見出し画像

曾祖父の「親日」で、なぜ曾孫が謝罪するのか──日本人気と韓国の歴史認識

はじめに──曾孫が書いた謝罪文

韓国の女優ハヨン(하영)は、番組やインタビューで「4代続く医師一家」について語った。曾祖父は日本で西洋医学を学び、高宗皇帝を診療した医師だったという。ところが、その曾祖父が安商浩(안상호/アン・サンホ)であると特定され、伊藤博文の追悼行事の準備や、内鮮融和を掲げた団体などに関与した記録が掘り起こされた。所属事務所は当初、親日疑惑を事実と異なると否定したが、資料の確認後に説明を撤回した。ハヨンは、自分は家族から聞いた話しか知らなかったとして、自筆の謝罪文を公表した。

現代の日本人の感覚からすれば、安商浩の行為に対する責任が、安商浩本人に帰属するのは当然である。曾祖父が何をしたとしても、約100年後に生まれた曾孫が謝罪する理由にはならない。まして、その血縁を理由に仕事上の不利益まで受けることは、歴史の検証ではない。祖先の責任を子孫へ負わせる連座にほかならない。

その一方で、現在の韓国では、日本に対する好感度が大きく高まっている。高市早苗首相と李在明(이재명/イ・ジェミョン)大統領もシャトル外交を続け、両国関係の強化を進めている。曾祖父の親日行為を理由に曾孫が謝罪へ追い込まれる韓国と、日本への好感が広がり、日本との連携を深める韓国。この二つの姿が、同じ社会の中に並存しているのである。

第1章──「親日派」は過去の人物ではない

韓国語の親日派(친일파/チニルパ)は、日本に好意を持つ「親日家」という意味ではない。日本による支配に協力し、民族を裏切った者を指す道徳的な烙印である。問題は、その烙印が本人の死によって必ずしも消えず、血縁を通じて子孫にまで及び得ることにある。

解放後の韓国では、「独立運動をすれば3代が滅び、親日をすれば3代が栄える(독립운동하면 3대가 망하고, 친일하면 3대가 흥한다)」という言葉が繰り返し語られてきた。植民地期の行政や警察、経済を担った人々の一部が新国家でも地位を保ち、財産や人脈を子孫へ残した。その一方で、独立運動家の家族は生活基盤を失い、困窮することも多かった。成功した家系から親日協力の履歴が見つかると、その繁栄自体が民族を売った利益ではないかという疑念が生まれる。

ハヨンの「4代続く医師一家」という言葉は、この歴史感情を刺激した。本人は家族の来歴を語ったにすぎないが、世論はそれを、親日により得た地位を子孫が誇った物語として受け取った。こうして曾祖父と曾孫の間にある時間は消され、家門全体が一つの道徳的主体として裁かれたのである。

第2章──憲法が禁じても残る連座の感覚

朝鮮王朝では、謀反などの重大犯罪について親族まで処罰する制度が存在した。近代以降も、北朝鮮へ渡った者や共産主義者とされた者の親族が、就職や公職、海外渡航などで不利益を受けた。現代韓国の親日派批判を、こうした連座制とそのまま同一視することはできない。しかし、制度としての連座制が廃止されたあとも、祖先の政治的立場によって子孫まで評価する思考の型は、完全には消えていない。

大韓民国憲法第13条第3項は、親族の行為を理由として本人に不利益な処遇を与えることを明文で禁じている。国家が行う法的な連座は、すでに否定されている。しかし、世論や市場による制裁は憲法の条文だけでは止められない。企業が本人の行為ではなく炎上の危険を恐れて起用を見直せば、法的処罰ではないまま、血縁を理由とする不利益が現実になる。

安商浩を親日協力者として歴史的に断罪することと、曾孫のハヨンに謝罪を求めることは、まったく別の問題である。ハヨンが曾祖父の医師としての功績を家族の誇りとして語るのは、ごく自然なことだ。だからといって、曾祖父の政治的責任まで引き受けなければならない理由はない。祖先の功績は誇ってもよいが、その罪まで子孫に背負わせない。それが、日本をはじめとする多くの国で共有されている、現代社会の個人責任の原則である。

第3章──財産の継承と罪の継承

韓国では2005年、「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法(친일반민족행위자 재산의 국가귀속에 관한 특별법)」が制定された。親日反民族行為の対価として得た財産は、子孫へ相続されていても国家へ帰属させる法律である。韓国憲法裁判所は2011年、その基本的な仕組みを合憲と判断した。

この法律は、子孫を祖先の罪によって処罰するものではないとされる。親日反民族行為の対価として得た財産は、相続によって正当な財産へ変わるものではないという考え方である。そのため、親日行為と財産取得との因果関係が問われる。憲法裁判所も、親族であること自体を理由に不利益を与える制度ではないと整理している。

この境界は重要である。財産上の利益は相続されるが、人格や道徳的責任まで相続されるわけではない。ハヨンが親日行為の対価として得た財産を保有していたと確認されたわけではない。それでも謝罪へ追い込まれたのは、「親日派の血を引く人物」という印象そのものが問題とされたからである。法が慎重に分けている財産と罪を、世論が再び結びつけたのである。

これこそが、法の上では否定されながら、親日派をめぐる世論の中に残り続ける韓国社会の連座意識である。

第4章──日本人気を信頼と取り違えない

現在の韓国では、日本旅行が身近なものとなり、日本の文化も日常的に楽しまれている。若い世代を中心に、日本への好感も高まっている。しかし、日本文化への親近感が深まったからといって、歴史問題における対日認識まで和らぐわけではない。日本を旅行し、日本のアニメや音楽を楽しみながら、親日派、慰安婦、徴用工などの問題では、日本に対する厳しい見方を崩さない。韓国社会では、この二つは矛盾することなく両立するのである。

日本側がこうした日本人気を、韓国社会が歴史問題にこだわらなくなった兆候と受け取れば、いずれ「また裏切られた」と感じることになる。だが、韓国が突然変わったのではない。文化的な好感を、歴史認識の変化や外交的信頼の高まりと読み違えたにすぎない。日本文化を好むことと、歴史問題で日本の立場を受け入れることは別なのである。

日本への好感度の上昇は、人的交流や相互理解を広げるうえでは歓迎すべき変化である。しかし、それが韓国政府の政策の継続性や、国家間の合意の履行を保証するわけではない。好感度は参考にはなっても、外交判断の土台にはならない。国家間の関係を支えるのは、相手への期待ではなく、合意と利益である。

第5章──期待ではなく国益で協力する

中国、ロシア、北朝鮮という核保有国に囲まれた北東アジアで、日韓が恒常的に対立することは日本の国益にならない。ミサイル情報、海上交通路、重要物資の供給網、米国を中心とする抑止体制など、韓国と協力すべき領域は明確に存在する。高市・李両政権がシャトル外交を続ける理由も、互いの歴史観が近づいたからではなく、戦略的利益が重なるからである。

同時に、協力のために日本が歴史問題で新たな譲歩を重ねてはならない。解決済みの合意を世論の変化に応じて再交渉すれば、合意は最終性を失う。協力は具体的な利益に基づいて制度化し、約束は文書に残し、その履行を求める。重要分野で韓国への過度な依存を避けることも必要である。

日本に求められるのは、親近感でも敵意でもなく、国益によって管理された距離である。利益が一致する案件では協力し、衝突する案件では原則を守る。日韓関係全体を「友好か対立か」という一つの尺度で測らず、分野ごとに利益と危険を判断するべきである。

むすびに──外交は相手国に期待してはならない

ハヨンへの批判が示したのは、韓国で日本人気がどれほど高まっても、「親日」の罪が今なお世代を越えて子孫にまで問われ得るという現実である。日本文化を好む人が増えても、韓国社会の対日歴史観まで変わるわけではない。日本はまず、この二つが同時に存在する韓国社会の現実を正確に知る必要がある。

日本は、その隔たりがいずれ埋まるという期待を捨てるべきである。国益が一致する分野では協力し、衝突する分野では原則を守る。国家間の合意には履行を求め、韓国側の対日世論が硬化しても、新たな謝罪や譲歩には応じない。現在の韓国を前提として、対韓政策を組み立てるべきである。

外交とは、相手国を好きになる営みではない。相手国の性質と限界を見誤らず、自国の国益を最大化する営みである。日韓関係に歴史認識の一致や心情的な和解を求める必要はない。日本の国益にかなう範囲で協力し、それを超える要求には応じない。

隣国同士でありながら、ここまで割り切らなければならないことに、日本人はどこか寂しさを感じるかもしれない。しかし、好意や交流を積み重ねれば、やがて歴史観の隔たりも消えるという期待を、外交の前提にはできない。韓国との関係を期待ではなく国益によって管理する。これが、日韓関係の現実なのである。

関連記事

いいなと思ったら応援しよう!