『好きだよ、知らんけど。~ちいちゃん流・藤井風のへんな聴き方~』
耳から流れ込んできたのは、ドラマチックで哀愁を帯びたメロディだった。昭和の場末のスナックか、あるいは昼ドラの修羅場か。藤井風の『真っ白』という曲を聴いていた時のこと。
世界中のファンたちがその切ない世界観に涙し、うっとりと聴き入っているであろうその最中、私は部屋でひとり、腹を抱えて爆笑していた。
ファンの人たちには、あらかじめ平謝りしておきたい。
ごめんて。
しかし、どうしてもそうとしか聴こえなかったのだ。この歌は、悲恋の美しきバラードなどではない。巨大な感情をぶつけてくるメンヘラな相手にロックオンされ、精神的な限界を迎えた人間が、やんわりとフェードアウトを試みる「のれんへ押し問答」の記録である。
一度そう思ってしまったら最後、この曲が「メンヘラからフェードアウトする歌」にしか聴こえなくなってしまって、もうやっぱり笑いが止まらないのだ。
私の脳内フィルターを通すと、歌詞のすべてが切実な保身のセリフへと変換されていく。
好きだよ 好きだけど
まずはこれだ。完全に、これ以上相手を刺激して逆上させないための、乾いたリップサービスである。「一応、好意はあるからね?」と。
離れなくちゃ 置いてかなきゃ
にじみ出ているのは「あーあ、どうしようかなー困ったなー」という、少々呆れたような、それでいて内心かなり困惑しているトーンだ。とにかく離れなきゃ、置いていかなきゃ、と頭を掻きながらため息をついている姿が浮かぶ。
好きだよ 知らんけど
ここでついに耐えきれなくなって、投げやりな本音の「知らんけど」が漏れ出している。情緒もへったくれもない。
悪いのはそうよ いつも私でいいの
話し合いが泥沼化し、終わりなき押し問答に突入した際、コミュニケーションを力技で強制終了させたいときに放たれる定番のセリフだ。
「全部俺が悪かった。この話はもう終わり。」
そう言って、すっかりエネルギーを使い果たし、覇気のない顔でただひたすらに幕を引こうとしている。もう何を言っても無駄だ、と諦めきった人間の、生気を失った呟きが聞こえるようである。
先に進まなければ ゴールできぬゲームなのよ
「あーあ、これじゃあ先に進めないよー」という、手詰まり感からの嘆きに聴こえてしまう。これ以上ここで揉めていても埒が明かないし、次のステップに行けないじゃない、という、やんわりとした、しかし確実な幕引きの口実なのだろう。ここまでくると、もはや哀愁すら漂う。
私自身、なぜだか妙に粘着されやすい星の下に生きており、言葉の裏を読ませようとする人間や、巨大すぎる感情をぶつけてくる手合いには、人一倍敏感なところがある。
私に向けられる他人の熱量はいつもバグっている。
かつて、こちらのエネルギーをひたすら吸い取っていくテイカーからロックオンされた時は、文字通り「これ、殺されるな」と直感した。
「今日仕事?何してる?」「休みの日は何すればいいの?」「こんどいつ会える?」「元気?今日は休み?」「私のこと嫌い?」
毎日スマホの画面を埋め尽くす、怒涛の千本ノック。あまりのしつこさにヘトヘトになり、危うく心が曇りかける一歩手前までいった。しかし不思議なもので、相手の温度が沸騰すればするほど、こちらの心は冷え切っていく。
あの「必死になればなるほど、こっちはどんどん興醒めしていく」という冷ややかな温度差は、経験した者にしかわからない絶妙なシュールさがある。
しかもこの粘着され体質、今に始まったことではない。
子供の頃は、どういうわけか恐ろしく手数の多い嫌われ方をした。毎日上履きを隠されるのは朝の挨拶代わり。登校中はどつかれ、踵(かかと)は何度も踏まれ、授業中になれば鉛筆で背中をツンツンと突かれる。しつこい、とにかくしつこいのだ。嫌うならもっと省エネで嫌ってほしい。
さらに大人になってからも、前の上司がこれまた蛇のようにしつこく付き纏ってきては、私の欠点をチクチクチクチクと指摘してくる始末であった。好かれるにせよ嫌われるにせよ、なぜみんな私に対してそこまで執念深くなれるのか。世間からの執着のインフレが止まらない。
日々の生活で余計な波風を立てず、穏やかに生きることを最優先にする身としては、感情の乱高下に巻き込まれることほど避けたい事態はない。だからこそ、この歌詞の裏に潜む(と私が勝手に睨んでいる)必死の綺麗事と、その奥にある乾いた現実逃避が、ツボに入って仕方がなかったのだ。
思えば、藤井風というアーティストの、あの、掴みどころのない飄々とした佇まいの裏側には、何があるのだろう。
あの若さで、あれだけの容姿と才能を持ち合わせているのだ。有象無象からの執着や、重たい感情を向けられる機会など、それこそ桁違いに多いはずだ。
一時期、すべてを背負いすぎてバーンアウトし、そこからお笑いへと舵を切っていた時期があるのも頷ける。シリアスに受け止めすぎたら心が持たないからこそ、笑いやユーモアのフィルターで世界を煙に巻くしかなかったのではないか。
藤井風くんは一体全体何人の人間から生命力を吸い取られてきたのだろう。あの年齢であの落ち着き、相当に人間関係に参ったに違いないのだ。誰からも相手にされないのもつらいが、好かれ過ぎるというのも大変なものだ。
そんな彼は、以前こんなことを話していたという。
「良い事も悪い事も、執着せんように。まあどうせ何とかなります。何があってもどうせ上手くいくんです最後には」
「なんかすごい好きでいてくれてるかもしれないんですけど、そういう方もいると思うんですども、僕を。でもなんかその人が、ほんとにピンチ、人生のピンチになった時とかに、僕はいつでも助けに行けたりするわけではないので、物理的に。だからこそ、その人自身の中で生まれる発見、みたいなその人の中で感じる変化、その人の中で何かを見つけて欲しい」
これを読んだ時、私は途方もなく遠い場所から、この言葉をぽつんと眺めていた。
良いことも悪いことも、すべては執着しないように。物理的に助けに行けるわけではないから、自分でなんとかしてね、という、どこまでも平熱で、潔いほどの他人との間合い。
執着の凄まじさを知っているからこその、宇宙規模の突き放し。あるいは、己をまもるための究極の知恵。
そう考えると、この『真っ白』という歌は彼なりの、実体験に基づく本能的な回避行動の表れなのかもしれない。
風くんも大変ね。
スターというのも、本当に大変な職業である。
……まぁ、全部ちいちゃんのへんな解釈なのだから、実際のところは知らんけど。ファンの人、本当にごめんて!
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