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『ちみこそモテないよ。』



いまから10年以上も前の話。



私は当時、26歳だったと思う。(あ、やべ、年齢バレる!)
以前、スバルのレヴォーグという、なかなかに馬力のある強そうな車に乗っていた時のこと。





それを見たある人が、
怪訝そうな表情をしてこう言ったのだ。




「女の子はね、フィットとかヴィッツあたりに乗っておいた方が、モテるのに。残念だなぁ」





……残念なのは、その口かも⭐︎



というか、余計なお世話もいいところ。私は別に、ちみにモテたくてアクセルを踏んでいるわけではない。自分の生存をかけて、走りたい道を走っているだけなのだ。




そんなふうに「こうすればモテるのに」と悦に入ってアドバイスをしているつもりかもしれないが、そんな余計なジャッジをしている時点で、ちみこそ、モテないよ。




……と、喉元まで出かかった言葉を、おにぎり(梅干し入り)と一緒に飲み込んでおいた





なぜ彼らはこうも、教えたがりなのだろうか。





彼らの頭の中には、
序列という、目に見えない階段があるのだろうか。





自分より格下と見なした相手(特に女性)が、自分たちの聖域であるメカやスペックの世界に、戦略を立てて悠々と踏み込んでくるのが、たまらなく癪に障るようなのね。。。




彼らは、おもむろに「本質論」という重たい鎧を持ち出してくる。





「いや、本当の本質というものはだね……」



とはじまる、頼んでもいない講釈。それは、知識の披露というよりは、教えたい欲求の暴走であり、一種のスポーツのようなものに感じる。




女性同士であれば、「いいじゃん!」「似合ってる!」という、爽やかな風のような共感が吹き抜ける場面でも、彼らはまず、ジャッジ(審判)の席にどっしりと座りたがる。





「その選択は、僕から見れば〇〇点だね」





と、言わんばかりの冷ややかな視線。その採点表は自分の部屋の壁にでも貼っておく?


彼らにとって、女性が自立して何かを掴み取る姿は、自分たちのプライドを刺激するのかもしれない。


わざわざ土足で踏み込んできて、その価値を「無」に帰そうと必死になる。


そんなことに、いちいち付き合っているのは虚しくなる。
彼らが本質(と思い込んでいる事)を語っている間に、私は私で、おにぎりでも食べて、のらりくらりと自分の道を歩んでいくだけ。



実は、私がこうも好きなことに忠実なのには、ちょっとした理由がある。


私の右目は、緑内障ですでに光を失っている。いずれ左目も同じ運命を辿るかもしれなくて、そうなれば大好きな運転だって、もう二度とできなくなる日がくる。


だからこそ、私は「いつか」なんて生ぬるい言葉は信じない。たとえ残された時間が短くとも、生活に愉しさを持たせたいと思っている。



誰かの勝手なジャッジに耳を貸している暇など、私には残されてはいない。





殿方たちの張り合い。




出口を探すだけ時間の無駄なので、私はさっさと時速100キロで通り過ぎることにしている。



空の上のおじいちゃんなら、私のこの必死でわがままな生き方を、きっとニコニコして聞いてくれるだろう。



さあ、今日も私は、私だけの景色をこの目に焼き付けて生きていこうと思う。








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