生煮えのまま吐き出せ

「生煮えの状態でもいいので思考過程を見せてほしい」というフィードバックをもらったことがある。めっちゃいいと思った。

いきなり作り込まれたアウトプットを見せられてもレビューが大変なので、どういう悩みや試行錯誤を経てこのかたちにたどり着いたのかを追いたいという意図だ。または自分と同じくらいに考える時間を設けた上でアウトプットのレビューに臨みたいという思いも含まれていた。とても理にかなっているし、本当にいい単刀直入なフィードバックだと思った。

それに僕はふりかえりガチ勢なので、フィードバックループの重要性には心の底から共感している。少しでも早く他者が見えるかたちでアウトプットすることや、未完成の段階でも人に見てもらえる状態にすることの価値を理解している。

そのくせに、苦手なのだ。生煮えのものを生煮えのまま吐き出すことが。

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心理的に抵抗があるという話だけではない。もちろんそれも多少あるが、生煮えの段階ではどうも「人が読み取れるかたち」に成形できないのだ。
抽象的な言葉が頭の中にフワフワ浮かんでいて、関連がありそうな引き出しがあちらこちら開いていて、線で結ばれているものもあれば、そうでないものもある。フワフワを肯定する具体的なエピソードが思い浮かぶ一方で、本で読んだフレーズが否定しながら通り過ぎたりもする。そんな感じなのだ。

書いていて気づいたけど、頭の中でフワフワの断片を結びつけて整理する作業をしながら、同時にその考えを肯定する人格と否定する人格を行き来しているような感覚なのかもしれない。

まるでルービックキューブを回しながら答えにたどり着くルートを探すように、そしてズームしたり俯瞰したりしながらエラー品を分別するように、頭の中にあるものをいろんな角度で見て整理して抽象度を行き来しているのが、僕の「生煮え中」の状態なのかもしれない。

だから、他人が読み取れるかたちにアウトプットするのが難しい。この文章だって、生煮えのまま吐き出そうと思って書き始めたはずなのに、結局筆に気持ちは乗らず、ずいぶん慎重に書き進めてしまっている。勢いのまま吐き出せていない。

そうやって僕が丸1日考えに考えて出したアウトプットをレビューする人が「自分だって1日考えてから向き合いたい」と思うのは、自然なことだ。逆の立場ならそう思う。何なら相手より長い時間考えながらレビューしたいとさえ思う。

なんとかいい感じの落としどころはないものか。いったい他の人はどうやって生煮えを生煮えのまま吐き出しているのだ。
「生煮え」と言うくらいだから、きっと表現は違えど、僕とにたような「言葉にしにくい感覚」ではあるんだよね? それを早い段階で人と共有し、一緒に磨き上げる工程を踏むにはどうしたらいいんだ。

その技を、僕も得たい。

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ええい、今回はこれで終わりだ、締めも締まりもない。生煮えなんだ、許してくれ。

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