もらい星
「父ちゃん、描いて」
息子が修正ペンを持ってやって来る。
修正ペンで、息子の人差し指の爪に白い点を一つ描く。
「これでいいか?」
息子は満足そうに人差し指を見つめ「うん」と笑う。
息子が小学生の頃だ。息子は水泳にどっぷりとハマっていた。ありとあらゆる方法でタイムを伸ばそうと研究した。研究の矛先はちょっと違う方向にも行ってしまった。
『明日日記』を書いて、次の日の自分をイメージしたり、天使を呼ぶポーズをマスターしたり……
その一つが爪を伸ばすことだ。なぜ伸ばすのか分からないのだが、息子は爪を切らない。微妙な爪の長さで水の掴みが違うとか。ゴールにタッチするときに微妙な長さが影響するのだろうか。単なる気分的な問題でもあると僕は思うのだが、息子は自分が信じたら、とことんこだわる。
息子の爪はいつも異常に長かった。怖いぐらいに。学校では毎月のように身だしなみ検査をして、生徒に「爪長い!切ってこい!」と言っている僕が、息子の爪だけは諦めて放置していた。
修正ペンで爪に描いた点もそうだ。
誰に聞いたか、記録を伸ばすためのおまじない。願いを叶えるための「もらい星」
爪に白い点ができると願いが叶う。
もらい星ができないなら自分で作れと思ったのだろう。
修正ペンで人差し指に白い点を入れ、希望を託した。
子供の頃、いつも僕は爪を見ていた。
白い点が出てこないかいつも気にして見ていた。爪にできた白い点は「もらい星」といって、幸運の印だと誰かから聞いた。もらい星が現れると何かプレゼントをもらえたり、いいことが起きると信じていた。
もらい星ができると嬉しかった。自分の中では、もらい星が爪の先まで来たらいいことが起きると信じていた。もらい星を発見すると、はやく爪の先端まで行かないかといつも爪を見ていた。もらい星が爪の先まで来ても、結局いつも何もおこらない平凡な毎日だったのだけれど。もらい星は平凡な僕の毎日を、ひとときだけど光輝かせてくれた。
おまじないとか、お祈りとか。人は何か目に見えないものに期待して生きるときもある。努力じゃどうにもならないことは確実にある。願うしかないときがある。じゃなきゃ、誰がお寺や神社にお参りするだろう。誰が宝くじを買うだろう。誰が菊花賞を買うだろう。誰がそれを笑えるだろう。叶わなくても、叶うかもしれないという望みが、日常を光り輝かせることもたしかにある。
息子はやがて、自分でもらい星を描くようになり、もらい星の数は一つ二つと増えて行った。
願いごとは一つでなければならないわけではない。
夢は幾つあってもいい。
「爪の白い点はさぁ、何かにぶつけたり、指を使いすぎたりしたらできる、物理的な原因らしいよ」
そんなことを言う、夢のないヤツとは金輪際話をしたくない。
あ、それ俺か…

