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HSP気質の人が見るべき罠映画、「PERFECT DAYS」の魅力を語りたい。

今回の話は、読む人によっては 映画「PERFECT DAYS」のネタバレに映ってしまうかもしれません。細心の注意を払って書き進めていきますが、もし気にされる方は一旦映画本編を観てから戻ってきてくださいね。


「ここ1年くらいで見た映画の中で、一番良かった映画は何?」という問いに対して、ぼくは間髪入れず、「PERFECT DAYS」と言い続けている。

「主人公の平山(役所広司)が清掃員として働きながら、アパートの一室でルーティンを繰り返す物語」というあらすじに興味を持った。

「HSP気質の人は激しい変化を嫌う傾向がある」と言われている。ぼくもご多分に漏れず、読む本、見る映画はできる限り変化が少ないものを好んでいたりする。そういう点で、この「ルーティンの繰り返し」はとっても落ち着けそうでよいなぁという思いで見始めた。

結果ぼくは強く揺さぶられることになる。
この映画、とても巧妙にできている罠映画なのである。
気がついたら、「変化しなくて、本当に平気?」という言葉の刃を喉元に突きつけられていた。

今回は、そんなPERFECT DAYSのあらすじと魅力を語っていきたいと思う。
Amazonのプライムビデオで見られるので、この記事で興味を持ったら見にいってみていただきたい。ネタバレはできる限り伏せて書いていきたいと思う。

先に映画を見てからこっちに戻ってきてくれる、でも大歓迎だ。


PERFECT DAYSのあらすじ

トイレの清掃員として働いている平山(役所広司)は、昔から聴いている音楽や休日のたびに買う古本の文庫を読んで毎日を送っていた。それは繰り返しの日々に見えるが、常に新鮮な小さな喜びで満ちていた。いつも小さなフィルムカメラを持ち歩き、自身を重ねるかのように大好きな木々の写真を撮っていた平山は、ある日、思いがけない再会を果たす。

https://press.moviewalker.jp/mv81762/

変化への抵抗

あらすじの通り、この映画では役所広司演じる平山のルーティン化された一日が何度も繰り返される。朝起きて植物に水をやり、音楽をかけながら車で仕事場へ向かい、トイレ掃除の仕事をこなす。仕事が終われば銭湯で疲れを癒し、飲み屋で夕食、自宅アパートに帰って、眠くなるまで小説を読む。

多少の変化はありながらも、基本的に平山の平日はこのルーティンに守られている。

個人的にはこういうのたまらなく好きだ。
いいんですよねぇ、ルーティンの繰り返しって、なんか心が落ち着くんだよなぁ。しかも平山は小さなアパートで植物に水をやって過ごしたり、文庫本を読み耽ったりする、いわゆる「丁寧な暮らし」を実践している。こういう生活を眺めていると、心が浄化されるというか気持ちの波が凪ぐような感じがして、とってもいいのである。

一方で、平山のくらしにも多少の変化は訪れる。

『普段通い詰めている飲み屋。いつも同じ席についているが、その日は店が混み合っているために、隅のカウンター席に追いやられてしまう』なんていう小さな変化もあれば、『親戚が突然自宅を訪ねてくる』という、そこそこなサイズの変化も作中で描かれている。

こういった変化に見舞われながらも、平山のくらしは変わらない。というか「変えない」という方が正確かもしれない。平山は変化を拒む立場にあるのだ。

同様に、明確にこの映画が「変化に対しての拒絶」を示したシーンがある。

平山には休日用に別のルーティンが存在する。休日の夕方には行きつけの小料理屋にいくのだ。そこのママ(石川さゆり)のセリフだ。

「なんでずっと今のままでいられないんだろうね」

本作より

端的なセリフだが、ここからこの映画の序盤のスタンスがわかってくる。「私たちは変化したくありません!」という意思がありありと伝わってくるのだ。(個人の感想です。)

気付けないし、覚えてない

ここまではHSP気質の人も安心して見ていられる。「あぁこの映画選んで良かったなぁ」とつくづく思うわけである。問題はここからだ。慎重に書くね。

ある日、平山が自転車で街を走っていると建物が解体された跡に人が集まっているのが見える。そこに居合わせた人は、平山に対し「ここって前何が建ってたんだっけ?」と問いかける。平山も一生懸命思い出そうとするが出てこない。

これめっちゃあるあるじゃないすか?少なくともぼくは人生で5,000回くらい同じ感情になったことがあるので、わかりみ深すぎィ!とおもった。

と、同時に「有→無という変化が起こった時に、ぼくらは気付けないことがあるし、そこに存在していたものを覚えていないこともある」ということに思い至った。

存在していない人

「変化を拒絶する」を考えた時に、一番手っ取り早いのは「人との関わりをできる限り狭める」である。関わる人が多ければ多いほど、人生には想定外の変化がもたらされるからだ。

平山も同様に関わりを持つ対象を限定し、以外の人たちと積極的に関わろうとしない。

ただ、裏を返すと「人間関係の多少は、人に変化をもたらせた量」とも言える。変化を恐れ、他者から距離をおいた暮らしをすると、誰にも変化を与えられない存在となってしまう。

先ほどの解体された建物同様、人も存在を忘れ去られてしまう。存在しなかったことになってしまうのだ。

このメッセージは、おそらくぼくの思い込みではなく実際に監督が伝えたかったものなのではないかと思っている。ネタバレになるので詳しくは書かないが、とある男と出会い、一緒に酒を飲み交わす中で、平山が感情を露わにするシーンがある。ここには間違いなく、「変化と、人の存在」が隠喩で表現されている。

ぼくのライフはゼロです。

映画を見ていたぼくは「あぁそれ以上はやめて・・・」と呟いていた。完全に降参である。とんでもない罠に引っかけてくれたな。

「人との関係を持ち、変化を受け入れないと『存在しない人』になっちゃうけど、それでもよいか?」という、鋭すぎる問いを突きつけられているのである。これがエグい。けどめちゃくちゃ鮮やかでいい。

ぼくのような気質の人は変化に弱いし、人間関係を広げることに難儀する。だから、輪のような循環の中で生きることを渇望しているんだけど、本作はそれを否定する。

救いないやんけ、、

と、絶望してしまうかもしれないが、大丈夫だ。ぼくはこの映画が救いもセットで提示してくれているように感じている。

物語の後半で回収されることになるが、これ以上語ると観る楽しみを奪ってしまいそうなので、一旦ここまでにしておこうと思う。

まとめ

というわけで、「PERFECT DAYS」の魅力についてお話してきた。ゆるゆる見れそうなのに、その実しっかりとテーマを突きつけてくる「大いなる罠」を備えた映画だなぁと思う。

ただ、HSPな気質をもつ我々が向き合うべきテーマを取り上げてくれていて、一定の答えも表現してくれている(気がする)ので、ちょっとしんどいけど見るとアドだと思う。

ちなみにここまで語ってきた内容はあくまで映画を見たぼくの独自解釈(?)である。いろんな感想を抱く人もいるだろうからぜひコメントなどで「ぼくは/わたしは こう思った」を書いてくれるととっても嬉しい。

ではでは。

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