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餃子は数が見えるから争いになる(最初から取り分ければよかった話)

取り分け、分けとけばよかった。
そういう話である。

餃子は数が見える。
見えると、人は政治を始める。

「ミミは何個取った」

「ルルはさっきーーーー!」

20個という数字は、姉妹にとって議席数だ。
理屈ではなく、感情の議席。

餃子可視化の弊害

夕食、臨時国会。
議席が見えると荒れる。
争点は「何個取ったか」。

つまり、数字。

私は学んだ。

争点を消せばいい。
数字を見せなければいい。


夕食、臨時国家

ここから我が家の治安維持策。

名付けて、私の適当餃子。

作ってしまった餃子。
皮もつけてしまった。
中途半端に“個体”が成立すると、また揉める。

今日の子どもたちは、たぶん食べる。

つまり、また荒れる。

だから私は、途中で制度を変えた。

まだ数えられる状態である

餃子議員たちを整列させる。

多様性は、オーブンの中で担保する。

そして上にパイシートをのせる。
数を数えられないように、封印する。


そして焼く。


「適切に処理した」

本件については、

「適切に処理した」以上の回答は差し控える。
なお議席(餃子)は、パイの下にある。

家庭内の平和は、
分配の公平ではなく、
数の不可視化で守られている。


民主主義ってちゃんとは知らないなーと思った。
でも餃子で揉めることはわかる。
結論:餃子は民主主義を壊す。
数字が見えなければ、世界は平和。

はい。「カロリーの件は、パイです。」


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