デューン/砂の惑星
キザワくんに勧められて読んだフランク・ハーバートの「デューン/砂の惑星」。
舞台は未来の宇宙。
砂漠の惑星アラキスで採取されるスパイス「メランジ」をめぐって、宇宙帝国の内部で戦いが繰り広げられる。
精神のコントロール、超能力、砂漠の生態系、環境に適応するための身体の変化、水の再生・再利用といったことが詳細に描かれていてとても面白かった。
砂漠には体長100メートル以上もの巨大な砂虫(sandworm)が数多く棲み、砂漠でメランジを採取するのは砂虫との戦いでもある。(ちなみに、アニメ「風の谷のナウシカ」のオーム(王蟲)は「デューン」の砂虫から着想を得ているらしい)
アラキスの砂漠の住民「フレーメン」は砂虫を「シャイ・フルド」と呼び、恐れながらまた一方では「地の神」として崇めている。
砂漠でメランジを採取するためには、この砂漠を熟知しているフレーメンの協力が不可欠だ。
フレーメンは「スティルスーツ」という、肉体を包みこんでしまう衣服を着ている。
それは特殊な素材でできており、熱を分散し、肉体が排泄するものを濾過する機能を持っている。
回収された水分は、キャッチポケットからのチューブで再利用できる。
「デューン」シリーズには他にも興味深いものがいろいろ登場するが、特に印象に残っているのは、「デューン/砂丘の子供たち」に登場する「砂鱒」。
砂鱒は砂漠の砂の中に生息する生き物で、頭がなく、手足がなく、目もないが、的確に水をみつけることができる。
仲間同士で体をくっつけ合って結合し、巨大な袋状の有機体となって水を包み込む。
主人公ポールの息子レトが砂の中から砂鱒を捕まえると、それは細胞の水分に引かれてレトの手をすっぽりと包み込み、薄い膜となって手を覆った。
レトがもう1匹捕まえて最初の砂鱒の上にかぶせると、2匹の砂鱒たちは結合してレトの腕を肘まで包みこむ。
また次の砂鱒を探し出してつかむと、砂鱒は他と結合して薄い膜となり、ずるずるとレトの肩までのぼっていった。
こうして何匹もの砂鱒を探しては体にくっつけていき、しまいには砂鱒が皮膚のようにレトの全身を覆う。
レトは口のそばにある薄膜を噛んで砂鱒の甘い汁を吸い、砂鱒はレトがかいた汗を吸収する。
砂鱒は生きたスティルスーツ(循環システム)となったのだった。
SFならではの、こういう発想が面白い。
「デューン」は1965年に書かれ、日本では1972年に矢野徹の訳でハヤカワ文庫から出た。
その後シリーズが次々に発表されたが、残念ながらハヤカワ文庫版は今は絶版になっている。
「デューン/砂の惑星」はデイヴィッド・リンチによって映画化されている。
恐怖は心を殺すもの。
恐怖はすべてに忘却をもたらす小さな死。
ぼくは自分の恐怖を見つめよう。
それがぼくの上を、ぼくの中を通りすぎていくがままにまかせよう。
そしてそれが通りすぎてしまったとき、ぼくはふりかえって恐怖の通っていった道を見てみよう。
恐怖が去ってしまったところ、そこには何もない。僕が残っているだけなのだ。
デイヴィッド・リンチの砂虫はあまり怖くないが、ドゥニ・ヴィルヌーヴの映画の砂虫は迫力満点。
ここで砂虫に乗ることに成功したのは主人公のポール・アトレイデ。
惑星アラキスの砂漠の民から「ムアディブ」(小説では「ムアドディブ」と訳されている)と呼ばれている。
もうひとつ、赤ん坊の砂虫からメランジを抽出するシーンがすごい。
