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【音楽×文芸】エッセイ:愛は一度きりの足跡(中原中也×イヴ・モンタン)

こんにちは、青鴉真尾です🌸
今日は少し新しい音楽×文芸のエッセイを。いつものクラシックでなく、フランスシャンソンです☺️🌸

それでは、「あなただけの感情を独り占めして」
お楽しみくださいませ🍀


【音楽】イヴ・モンタン「枯葉」
音源を聴きながらどうぞ

歌詞は、ジャック・プレヴェール氏によるもの。日本でいうなら谷川俊太郎さんのような方。
現代口語で詩を綴り、フランスの小学校で彼の作品はよく取り扱われるそう。

(抜粋翻案)
ああ、君は覚えているだろうか。
僕たちが友達で、幸福だった日々を。
あの日々は、今よりもっと人生が輝いていて、
太陽も、もっと眩しかった。

枯葉は山を作る。思い出も後悔も。

北風はそれらを運び去り、忘却の寒い夜。
ねえ、それでも僕は忘れなかった、
君が僕に歌ってくれた歌を。(ここまでが語り部分)

それは一つの歌だったね、僕たちによく似て。
君は僕を愛していて、僕も君を愛していた。
一緒に生きてたよね、
君は僕を愛する人だった、僕は君を愛する人だった。

でも、人生は、愛し合う者を引き離してゆく、
音もなく、優しく。
ほら、海は砂上を消すんだ、
離れ離れになった恋人の足跡を。


--

【エッセイ】


この歌は、「夜の門」という映画に出てくるもの。第二次世界大戦、終戦直後のパリを舞台にした映画。
戦争が、社会が、人生になって、どうしようもなく、惹き合う二人を静かに引き離してゆく。


優しい歌声。「でも、人生は、愛し合う者を引き離してゆく、音もなく、優しく。ほら、海は砂上を消すんだ」この時、

バックミュージックは消えて、「僕」だけの声が世界に残る。
まるで自分だけが、思い出に取り残されたみたいに。音なんて聞こえない。

もう見分けもつかない、君の後ろ姿を見つめながら。

「離れ離れになった恋人の足跡を」
足跡という具体的事実を認識した時、世界が動き始める。
「僕」の耳に音が届く。「僕」が世界に追いつく。

「僕」はどうしようもない事実を、終わらない砂浜に重ねる。




歌詞だけでなく、「音楽を付けて歌にする意味と効果」が素晴らしいこの曲。
私は、どうしようもなく惹かれた。
そうして思った、現代の日本人に「戦争で引き裂かれる愛」というものは遠いけれど、
「好きだけど一緒にいられないこと」は、普遍かもしれない。



【文芸】中原中也「一度」

結果から結果を作る
飜訳の悲哀──
尊崇はたゞ
道中にありました

再び巡る道は
「過去」と「現在」との沈黙の対坐です
一度別れた恋人と
またあたらしく恋を始めたが
思ひ出と未来での思ひ出が
ヲリと享楽との乱舞となりました

一度といふことの
嬉しさよ

中原中也「一度」





一度離れてしまったら、もう、どうしようもない。
好きで寄りを戻しても、なんだか上手くいかない。

中也さんは1925年18歳の頃、7歳程年上の長谷川康子さんに出会い、二人は恋仲になる。若さ特有の激しい恋。愛も憎しみも。

その後、中也さんが紹介した小林秀雄さんに泰子さんは惹かれ、中也さんの元を去る。1928年。21歳の頃。





誰かを好きになる事は奇跡に近い。
委ねたいと思える安心感と期待を、そんな傷つきやすい心を相手に傾けてしまうから。

一度委ねた安心感を知っているから、私たちは復縁をしたがるのかもしれない。復縁をしたがる恋は、とてもいい恋だったように思う。
例え実現しなくても。



「一度」は1934-36年、彼が27-29歳の頃に作られた作品とされている。
彼は泰子さんと別れた後、彼女に会う事もあったそうだけれど、再び一緒に生きる事はなかった。

また彼自身、激情の感覚から変わって、落ち着いて人生を歩みたいと思い始めたのか、別の女性福田孝子さんと1933年に結婚している。

1934年、長男の文也くんが誕生するも、僅か2年後1936年、文也くんは亡くなってしまう。
1937年、後を追うように、中也さんは結核性髄膜炎で亡くなってしまう。

だから、「一度」を制作年代から考えると、単なる恋愛作品と読むのは少し味わい足りない気がする。

「先人の優れた作品を作り直す『翻訳』」で稼ぐ虚しさ、創作の苦悩、子供の死、かつての情熱。

それらも含まれている気がする。人生のこと。


まるでこのシャンソン「枯葉」が歌われた映画「夜の門」のように。






そんな人生を送った中也さんの死後、
彼を愛した女性二人だけが、生き残った。

彼女達は、何を見たのか。

若き恋の象徴、泰子さん。

酒癖が悪く収入も安定しなかったが、繊細で、
自分達の子供をとっても可愛がってくれた面も知ってる妻、孝子さん。







中也さんは生前、世間認知ではほとんど無名だったそう。それが、1938年遺稿をまとめた「在りし日の歌」刊行。戦後1950年代に再評価され、1960-1970年代には教科書に掲載される。


教科書掲載からは速かった。1980年代には雑誌やテレビで特集された。1994年には中原中也記念館が開館。

この頃、彼を愛した二人の女性は、生きていた。
彼女達は静かに見つめていた。




アイデアに溢れてやんちゃ、純心な詩人だった、かつての恋人を。

気分の浮き沈みが激しくて、贅沢なんてできない収入だけれど、家庭を愛してくれた夫を。


無名ながらも奮闘した愛する人が、世間に愛されてゆく世界を。

激情が、死が、引き離したその足跡を。


引き離された足跡。恐らくそれは、綺麗な感情だけではない。
どうしようもなく、憎くて堪らない夜もあったはず。





泰子さんは1993年、80代後半で亡くなる。晩年の1980年代には、中也さんについて優しく振り返る事もあったそう。

孝子さんも1980年代まで生きられたそう。中也さんとの死別の後は、再婚をした。一般人として静かに暮らしたため、資料も少ない。



ふと思う。夫の収入に頼って生きる女性が、夫亡き後一人で生きるのは、今より大変だった。

当時より、女性が一人で生きてゆけるようになってきた現代日本。


愛する人の記憶を胸に寄せたまま、
静かに生きられる自由もあるのかもしれない。

それも一つの人生。





でも、人生は、愛し合う者を引き離してゆく、
音もなく、優しく。
ほら、海は砂上を消すんだ、
離れ離れになった恋人の足跡を。

ねえ、それでも僕は忘れなかった、
君が僕に歌ってくれた歌を

ジャック・プレヴェール/イヴ・モンタン「枯葉」


愛していても、人生が引き離すこともある。



それでも、かつて幸せだった日々があった事は、
私の足跡になっている。

例えどんなにその足跡が、あなたとかけ離れたって。

その私の足跡が、今の私に無関心だって。

波に消されたって、ここまで歩いてきた道のりは存在する。


一度別れた恋人と
またあたらしく恋を始めたが
思ひ出と未来での思ひ出が
ヲリと享楽との乱舞となりました

一度といふことの
嬉しさよ

中原中也「一度」

誰かを愛するのは奇跡みたいなこと。

情熱も、閃きも、幸せも、一度きり。
そのたった一度の奇跡が、詩人の言葉になる。




愛していても、人生が引き離すこともある。

それでも、辿った浜辺の道のりは、
塩辛い海だって、消せない。


















いつもお読みいただきありがとうございます💐【音楽×文芸】で、ご自身の感情に浸る時間をお過ごしいただけましたら、幸いです🍀

また、今回の記事を機に、中原中也さんや、ジャック・プレヴェール氏、フランスシャンソンにご興味を持っていただけましたら、これ程嬉しいものはございませんね☺️🌸

嬉しくて、本当に空を飛べそうな青鴉です☺️🌸

今日もきれいになりましょう🍀



ご紹介いただきました☺️🌸ありがとうございます💐

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