脱北者の証言(2005年11月13日 大宮講演会資料より)
*2005(平成17)年11月13日、あおいのママとパパ(夫)は埼玉県さいたま市大宮区で開催された「第16回講演会 拉致問題を通して日本のあり方を考える・第5弾 ~恐怖の北朝鮮、驚愕の人権抑圧の実態!~」にボランティア参加をしました。(主催:日本再生フォーラム)当日、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会の山田文明代表(当時)が脱北者の証言についてのお話をされていました。事前に配布された資料のその部分をテキストにしておりますので紹介したいと思います。(※お名前は仮名です。お母さんが日本にいた方だということです)手打ちのため間違いのある可能性もございます。どうぞご了承くださいますようお願い致します。写真は別所にて脱北者の方が履いていた靴を撮影したものです。
【白明葉さん】(2003年3月9日 東京の集会にて証言)
この場をお借りして、私が経験したことを簡略にお伝えしようと思います。
〘狂人だけが生きられる地獄〙
幾度か申しましたが、北韓こそは、この地上で存在する価値のない、最も破廉恥で独裁的、非人間的な生き地獄です。人間の尊厳と権利と自由を空しくし、生存の最も基本的かつ初歩的な手段である衣食住さえ充足できない未開の地です。
お腹が空いて泣く子を殺そうとし、その死体を肉にしてしまう、そんな腐った社会。電気、水道の供給もなく、生きる道を求めて立ち上がった家族が離れ離れになってしまう、そんな社会。
私の家族で7歳になる甥が飢え死にしました。飢えて泣く子供に草をあてがわなければならない母親の心情。「そんなものは食べない」と嫌がる子供に、「こんなものでも食べてこそ生きられるのだ」と、泣く子を叩いて、けっきょく死なせてしまった。そんなこともありました。
そのとき、姉は妊娠中だったのですが、7歳の子供を飢え死にさせる有り様なのに、8か月になるお腹の子供をどう養えましょう。生まれてきた赤子に乳も与えられず、ビニールにくるんでそのまま死に至らしめた。2時間もの間痛々しく泣き続けて死んでしまった赤子にはまとわせる衣服もなく、そのまま土に埋めなければなりませんでした。
そうした中でも、人民たちは、「将軍様ありがとうございます」と言わねばならず、「社会主義を守らん」「世に羨むこと無し」を歌わなければならない、狂人だけが生きられる生き地獄です。
〘命を賭して立ち上がる人々〙
先軍政治なるでたらめを繰り広げては、飢えて死ぬ人民を尻目に、資金を核兵器だ、ミサイルだのに投じて、戦争の火遊びにまで興じています。
1996年になり、社会秩序をもはや維持できない段になり、金正日は、社会の安全を社会安全部(警察)に委ねることはできないと言って、軍人に対して銃口でもって社会の安全を維持せよと命令しました。人民の軍隊であると称する者たちが、駅前で、畑で、田で、銃口を差し向けて人民たちと対峙するようになりました。
そのころ、羅南という、日帝時代に羅南19師団が駐屯したところですが、ここに人民軍第6軍団があります。その6軍団で、「もはやこれ以上未練のない、この地の政治を変えておくのだ」と言って反政府的謀議を行いました。
陽の目を見る前に、発覚したのでしょう。1か月に渡って、まるで戦争でもしているように、軍部隊が夜中に咸鏡道に移動し、入れ替わりに、前方の部隊が後方に移るということがありました。
青年たちも、反政府陰謀の団体を構成するようになりました。平城医科大学で青年たちの反政府団体が作られたのですが、これもまた陽の目を見る前に発覚しました。
〘反逆者への凄惨な見せしめ〙
当時、その組織を処罰する方針が下されたのですが、関わった青年たちの直系家族を秘密裏に呼んでおき、青年たちを暗々裏に撲殺するという惨状を見せました。
殴って殴ってどんどん殺していきましたが、一人だけ死なずにいました。その青年の母親がもはや見ていることができずに、その撲殺の舞台に上って、息子の鼻を塞ぎました。それを見た処刑の指揮官は、「見ろ!反逆者には実の母親でさえ憤慨し、こうするんだ」と宣伝しました。
本当に夢もなく、希望もなく、未来もなく、私の青春も幸福も家庭も子供も父母もすべて奪っていった野蛮な社会です。
〘中国もまた生き地獄〙
思う様に泣くこともできず、心から笑うこともできない、あの国では生きていけず、私は脱北を決心しました。人間らしく生きられる地があるならば、この世の果てであろうとも探していきたい気持ちでした。
そうした願いの下に、私たち脱北者は、中国からベトナムに、タイに、モンゴルに、捨て身の覚悟で生きる場を求め、さまよいさまよいしているのです。
そうした最初の出口が、鴨緑江と豆満江を境とする中国なのですが、この中国もまた私たちにとっては生き地獄となりました。
四方に北韓と結託した公安の監視がありましたし、女性を金儲けのネタにしようと暗躍する人身売買屋の攻撃と、脱北者に賭けられた報奨金に目を眩まされて、北韓の人間と見れば無条件に密告する人たちに、いつどこでどうなるかわからないという不安、恐怖の中にさ迷わなければなりませんでした。
人間が商品に転落してしまう中で、卑しめ、蔑視、恥を噛み締め、国なく、家なく、カネなき者として辱めを甘受する長い時間でありました。
私がかつて経験し、今も私の同胞が中国で、北韓で味わっているこうした苦痛を私たちはただひたすら耐えて甘受しなければならないのでしょうか。
私はこの場を借りて、世界の良心の前に問いたかったのです。私たちが一体いかなる罪を犯したが故に、何のために、誰のためにこうした苦痛を舐めなければならないのかを。
同じ空の下、同じ人間として同じく幸福な人生を歩みたいのが道理であるのに、なぜ私たち北韓の同胞だけが踏みにじられる凄惨な人生を歩まなければならないのですか。
〘今、希望が見える〙
しかし、今、私には希望が見え、力が湧いてくるのです。ここにいらっしゃる皆様のように、私たちの痛みに共感し、私たちの訴えに耳を傾けてくれる世界の良心が生きている限り、私たちは希望を抱いて生きていくでありましょう。
こうした皆様がありがたく、こうした世の中がありがたく、感謝を尽くせません。
心からお願いいたします。この世から北朝鮮という悪の巣窟がなくなるまで、私たちの守り手となり、力となり、慰めとなり、希望となってください。その先頭に立って一身を投げ打ってまいります。
終わり
*北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
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