『水曜日14時の奇跡』— シーズン①脳出血から人生を書き換えた完全実話 —
【第9回 廃業、実家・母との別れ——手放すことで守る】
【時系列の杭】2020年春〜冬(術後/コロナ禍)
回復は、待ってはくれませんでした。
身体がまだ本調子でない間に、現実は次々と「決断」を
要求してきました。廃業。実家、母との別れ。
これは、壊れていく記録ではない。
作り直すために、「手放した」記録です。
1. その旅行会社は、先祖の声から始まった
私が旅行会社を継いだのは、偶然ではありませんでした。
バブルが弾けた後、細々と続いていた母の会社でした。
父が遺し、母が守り続けた——家族の歴史そのものです。
その会社を継ぐことになったのには、理由があります。
命の恩人「お爺さん」に、背中を押されたからです。
地獄のどん底にいた私が、その言葉を聞いた時、
不思議なほど迷いが消えました。
詳しくは前日譚で書きますが、一念発起して会社を継ぎ、
妻と出会い、V字回復を遂げ、「創業50周年」を迎えた。
だから「自主廃業」は、単なる経営判断ではありませんでした。
命がけで20年走り続けた旅の「完結」だったのです。
2. コロナが背中を押した——廃業の決断
2020年の春。世界が止まり始めていた。
私のお客様の旅行も、同時に止まり始めていた。
手術を終え、リハビリを続けながら、私は毎朝、
キャンセル処理に追われ、
売上のない通帳の残高を見ていた。
廃業を考えたのは、その数字を見た瞬間ではなく、
もっと前から、わかっていた。
コロナは「引き金」に過ぎない。
本当は——身体が壊れたあの日から、
この旅は、終わりを迎えていたのです。
そして、半世紀の歴史に終止符を打つ「廃業届」を出した日。
コロナ禍で静まり返った法務局は、張りつめた空気に
包まれていて不思議なほど静かだったことは覚えている。
悲しくなかった、とは言わない。
でも、あまりにも「あっけなかった」のだ。
涙より先に「次」を考えていました。
先祖に呼ばれ、走りきった。悔いはない。
その事実だけは、誰にも消せない。
3. 実家を手放す——45年の「土台」との別れ
廃業と同時に、実家を手放す決心をしました。
名古屋の家は、私が生まれ育った45年の実家です。
旅行会社から車で10分、父の記憶が残る場所でもありました。
荷物をまとめながら、捨てるものが多かった。
仕事道具。書類。名刺の束。
潔く「過去」を全て捨てようと思った。
「立つ鳥跡を濁さず」
かつての自分の「証明」のようなものが、
段ボールの中に積み上がっていった。
でも——1つ1つ捨てるたびに、心身が軽くなりました。
「環境」を変えることは、逃げることとは違う。
45年分の「過去」を抱えたまま「未来」へは行けない。
「起点」を変えることだ。
妻のお腹の中には、新しい命「美月」がいた。
その命を迎えるために——
私は生まれた場所を、手放しました。
「過去」を捨てると、「未来」が入ってくる。
あの時の私には「確信」があったのです。
4. 母との別れ——「円満な決別」という最後の禊
本当のことを書きます。
母との関係は、ずっと「難しい」ものでした。
特に父親を亡くしてから、30年以上ずっと。
感謝がなかったわけではない。
でも——その不器用な想いは、
ずっとお互いを苦しめる形でもありました。
私は、この関係の在り方を変えなければ、
未来へは進めないと思いました。
理屈ではない。
近づけば傷つく。
そしてその負荷は、もう私の身体が
耐えられないところまで来ていた。
だからこそ、距離を取ることが正解なのだと。
それが、家族を守るために
私がたどり着いた答えでした。
これは誰かを裁く話ではありません。
この「縁の在り方」を変えないまま
同じことを繰り返せば、「過去の延長上」でしかない。
今度は私だけではなく、子どもにまで影響が及ぶ。
私はそう確信していました。
だから引越しの前に、私は人生で最も大切な
「最後の禊」に向き合うことにしました。
それが「母との決別」です。
ただし、それは憎しみで断ち切るもの
ではありませんでした。
それでは、「本当の意味で」
断ち切れないと思っていました。
逃げるのでもない。
「お互いの幸せを願って離れる」
——私は、その「円満な決別」という
一生に一度の「賭け」に出たのです。
孫の代にこの苦しみを引き継がせないために。
長く続いた「負の連鎖」を断ち切るために。
今回の脳出血と後遺症、
そして左副腎という犠牲が、
その重さを何より証明していました。
すると母は、泣きながらこう言いました。
「今まで本当にごめんなさい。幸せな未来を生きて下さい。」
私は、その「私に対して」の人生初の謝罪の言葉を
受け取りました。
母は初めて理解し、受け入れてくれたのだと思います。
今の私には、母への恨みはありません。
むしろ、貴重な「経験」をさせてもらえたこと、
成長のための「修行の対象」となってくれたことに
心から感謝しています。
5. 手放すことが、守ることだった
廃業し、実家を手放し、母と円満に距離を置いた。
端から見れば「失った」ように見えるかもしれない。
でも、「手放す」ことで「守れるもの」があった。
守りたかったのは、はっきりしていました。
妻と息子。生まれてくる美月。
そして——自分の身体です。
これを守るために、他のものは
「すべて」手放すしかなかった。
それは諦めではなく、
潔しという「選択」でした。
誰かに決めてもらった選択ではなく、
私の「意志」と「覚悟」で選んだもの。
それが——生まれて初めて持てた
「自分の人生」だったのかもしれません。
名刺はない。会社もない。住む家もない。
でも、「ゼロ」は終わりではない。
ゼロは、どこへでも行ける「起点」だ。
私はここから、もう一度、
自分の「居場所」を作ることにしました。
6. 美月の誕生——ゼロの先に来てくれた命
2020年10月22日。
私たち家族のもとに、
新しい命がやって来てくれました。
あの術後の満月の夜に祈った通り、
生まれてきてくれたのは「美月」でした。
息子の時もそうでしたが、
今回も私は「必ず叶う」と確信していました。
脳出血。手術。リハビリ。廃業。引越し。
私は、この短い期間の中で、
あまりにも多くのものを失い、手放してきました。
それでも、そのゼロの先に、この子は来てくれた。
私が脳出血で生死を彷徨い、
手術やリハビリの痛みと苦しみを
重ねた記憶さえ、この子の誕生によって、
「歓喜の記憶」へと上書きされていきました。
私にとって、ここは
「辛い出来事が起きた場所」ではなく、
「希望の未来が生まれた思い出の場所」
になったのです。
息子がいて、妻がいて、美月がいる。
守るべきものが、もうはっきりしていた。
私はこの時、「元の人生に戻るため」に生きるのではなく、
この「新しい家族を守るため」に生きる人間に、
本当に生まれ変わったのだと思います。
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