なぜムソルグスキーは、亡き友の絵を音楽にしたのか――《展覧会の絵》に隠された友情

クラシック音楽には、風景や物語、文学から生まれた作品が数多くあります。

しかし、ムソルグスキーの《展覧会の絵》ほど、作品が生まれた背景そのものに人間らしい悲しみと友情が感じられる曲は、そう多くありません。

この曲は、ひと言でいえば、

亡くなった親友の絵を見ながら、展覧会を歩く体験を音楽にした作品です。

一枚の絵を見る。

そして歩く。

次の絵の前で立ち止まる。

また歩く。

その繰り返しの中で、亡き友への思いが少しずつ変化していく。

《展覧会の絵》は、絵そのものだけではなく、絵を見ているムソルグスキー自身の心まで音楽にした作品なのです。

39歳で突然亡くなった親友

ムソルグスキーの親友だったヴィクトル・ハルトマンは、建築家であり、画家でもありました。

二人は芸術の分野こそ違いましたが、共通する理想を持っていました。

それは、西ヨーロッパの芸術をただ真似するのではなく、ロシアならではの新しい芸術を作りたいという思いです。

ムソルグスキーは音楽で。

ハルトマンは建築や絵画で。

それぞれ違う方法で、同じ方向を目指していました。

ところが1873年、ハルトマンは突然亡くなります。

わずか39歳でした。

親しい友人の突然の死に、ムソルグスキーは大きな衝撃を受けたといわれています。

まだ若く、これから多くの作品を残すはずだった芸術家。

同じ夢を持って歩いていた友人。

その存在が、突然消えてしまったのです。

約400点の遺作が並んだ展覧会

翌1874年、サンクトペテルブルクでハルトマンの遺作展が開かれました。

そこには水彩画、スケッチ、建築の設計図、舞台美術のデザインなど、約400点もの作品が集められたとされています。

ムソルグスキーも、この展覧会を訪れました。

壁には、もう会うことのできない友人が残した作品が並んでいます。

絵を見るたびに、生前のハルトマンとの会話や姿が思い浮かんだのかもしれません。

ムソルグスキーは、この展覧会から強い刺激を受け、短期間でピアノ組曲《展覧会の絵》を書き上げました。

ここで大切なのは、ムソルグスキーが単に、

「面白い絵だったから音楽にしよう」

と思ったわけではないことでしょう。

そこにあったのは、亡き友が残したものを、自分の音楽によってもう一度生きたものにしたいという気持ちだったのではないでしょうか。

「プロムナード」は、展覧会を歩くムソルグスキー

《展覧会の絵》を聴くと、特徴的な音楽が何度も登場します。

それが「プロムナード」です。

プロムナードとは、「散歩」や「歩くこと」を意味します。

これは、展覧会場の中を歩きながら、次の作品へ向かうムソルグスキー自身の姿を表していると考えられています。

つまりこの作品では、

絵を見る。

歩く。

別の絵を見る。

また歩く。

という、実際の展覧会と同じ流れが音楽の中で作られているのです。

ここが《展覧会の絵》のとても面白いところです。

音楽になっているのは、展示されている絵だけではありません。

展覧会を歩く人まで音楽になっているのです。

しかもプロムナードは、毎回まったく同じように現れるわけではありません。

直前に見た作品の印象を残しているように聞こえたり、少し雰囲気を変えて現れたりします。

私たちも美術館を歩いているとき、一枚の絵を見た直後にすぐ気持ちを切り替えられるわけではありません。

心に残ったまま、次の部屋へ歩いていくことがあります。

《展覧会の絵》には、そんな人間の感覚まで込められているように思えます。

かわいらしいひよこから、暗い墓地まで

ムソルグスキーが音楽にした作品には、実にさまざまなものがあります。

たとえば《殻をつけたひよこのバレエ》。

これは、ひよこのような衣装を身につけた子どもたちの舞台衣装デザインから生まれた曲です。

音楽も軽やかで、ひよこたちが小さく跳ね回っているような楽しさがあります。

一方、《カタコンベ》では雰囲気が一変します。

カタコンベとは地下墓地のこと。

ハルトマンがランタンを手に地下墓地を訪れている姿を描いた作品がもとになったとされています。

友人を亡くしたムソルグスキーにとって、「墓」という題材は、単なる絵以上の意味を持っていたのではないでしょうか。

楽しい絵もあれば、不気味な絵もある。

かわいらしいものもあれば、死を思わせるものもある。

まるで人間の記憶そのもののように、さまざまな感情が次々に現れます。

最後に現れる「キエフの大門」

組曲の最後を飾るのが、《キエフの大門》です。

これは、ハルトマンが描いた建築デザインがもとになっています。

実際には建設されなかった門でした。

しかしムソルグスキーの音楽の中では、その門は巨大で壮麗な姿となって現れます。

鐘が鳴り響くような壮大な響き。

堂々とした旋律。

展覧会の最後に、それまでのすべてを包み込むような音楽が広がります。

私はここに、《展覧会の絵》の大きな魅力があるように思います。

現実の建物としては完成しなかった。

けれど音楽の中では、150年以上たった今も、その門は立ち続けている。

ハルトマンが残したアイデアを、ムソルグスキーが音楽によって完成させたとも考えられるのです。

原曲は、実はピアノ曲だった

現在《展覧会の絵》というと、壮大なオーケストラの音を思い浮かべる人も多いかもしれません。

しかし、ムソルグスキーが作曲した原曲はピアノ曲です。

現在広く知られている管弦楽版の代表的なものは、後にフランスの作曲家モーリス・ラヴェルが編曲したものです。

ラヴェルは、さまざまな楽器の音色を使い分けることで、一枚一枚の絵に異なる色を与えました。

ピアノで描かれた白黒のスケッチに、後から鮮やかな色彩を加えたようにも感じられます。

ムソルグスキーの音楽。

ハルトマンの絵。

そしてラヴェルの色彩感。

三人の芸術家の世界が重なることで、《展覧会の絵》は現在まで世界中で愛される作品になりました。

友人の絵は消えても、音楽は残った

ハルトマンが遺した作品のすべてが、現在まで残っているわけではありません。

《展覧会の絵》のもとになったと考えられる作品の中にも、所在が分からなくなっているものがあります。

少し不思議なことです。

元になった絵を見ることはできなくても、その絵から生まれた音楽は、今も世界中で演奏されています。

ハルトマンは39歳で亡くなりました。

もしムソルグスキーが《展覧会の絵》を書かなければ、彼の名前は今ほど広く知られていなかったかもしれません。

けれど友人が音楽にしたことで、ハルトマンの作品は別の形で生き続けることになりました。

《展覧会の絵》を聴くということ。

それは、ただ10曲のクラシック音楽を聴くことではありません。

私たちはムソルグスキーと一緒に展覧会場を歩き、

一枚の絵の前で立ち止まり、

また次の絵へ向かって歩いていく。

そしてその隣には、もうこの世にはいないハルトマンの存在があります。

だから《展覧会の絵》は、絵画を音にした作品であると同時に、

一人の芸術家が、亡き友に贈った大きな音楽の手紙

なのかもしれません。

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