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わたしと読書の記録


皆さんは、今までどんな本を読んできましたか?

前回の記事でも触れましたが、
読書は私にとって"心の調律"のようなものです。

その時々によって感じ方や価値観は変わっていくけれど、
振り返ると、
私の感性は読書に育てられてきたように思います。

文章を書くことが好きなのも、
きっとその延長線上にあります。
言葉に触れ、多様な価値観に触れ、
誰かの心が動く瞬間に出会う度に、
「こんなふうに、私も書けたら」と、
どこかで憧れていました。

小学生時代

昔の私は、自他ともに認める、
おっとりした子どもでした。

初めて"読書が楽しい"と感じたのは、
北海道にある母の実家に帰るときのこと。
長い移動時間のために、
両親が一冊の本を買ってくれました。

角川つばさ文庫の「ウルは空色魔女」。
確か、小学3年生くらいだったと思います。

ちょうどその頃、「おジャ魔女どれみ」や「ハリー・ポッター」に夢中で、魔法の世界に強く惹かれていました。

ページをめくる手が止まらなく、移動時間が溶ける感覚を今でも覚えています。

北海道に着いてからも、
祖父母に本屋に連れていってもらい、
シリーズの続きを買ってもらっていました。

あの頃の私は、不安や焦りとは無縁で、
ただ穏やかな時間の中で、
好きなものを静かに広げていたと思います。

少しだけ、あの頃にもどりたくなることがあります。

ほかにも、集英社みらい文庫の「絶叫学級」も読んでいました。

中学生時代

この頃は、部活動に明け暮れる日々でした。

読書の時間は、朝読書の10分間。
短い時間で、毎回本の深くまで潜り込み、
本に没頭していました。

自習の時間も、課題を急いで終わらせ、
残りの時間を全て読書にあてていたことを覚えています。

1年生の頃は、「タロとジロ 南極で生きぬいた犬」
「永遠のゼロ」などノンフィクションや史実に基づいた物語を読んでいました。
読書に没頭すると同時に、
少しずつ知識が増えていくことが嬉しくてたまりませんでした。

2年生の頃は、友達の影響で携帯小説にのめり込みました。
美嘉さんの「恋空」や「こんぺいとう」は、
寝る間を惜しんで読み進めていたことを記憶しています。

部活動で張り詰めた気持ちを、
物語の中でほどいていたのかもしれません。

3年生になると、受験を理由に一度読書から離れました。

中学時代の私は、どこかでずっと緊張していて、
だからこそ読書が、
心のバランスを保つための大切な場所になっていました。


高校時代

この頃の私は、ミステリーやイヤミス、
そしてファンタジーの世界に深く潜っていました。

受験で読書から少し離れていた私を、
もう一度本の世界へ引き戻してくれたのが、
湊かなえさんの「告白」です。

あの時ほど、鳥肌が立ち、手汗をかいて、
背筋がぞくりとする体験は、今でも他にありません。

それから、物語の温度は一気に広がっていきました。

知念実希人さんの「仮面病棟」や「天久鷹央シリーズ」、
上橋菜穂子さんの「守り人シリーズ」や「獣の奏者」。

現実と物語の境界が揺らぐような感覚に、
何度も心を持っていかれていました。

さらに、アガサ・クリスティやエラリー・クイーン、
アーサー・コナン・ドイルといった巨匠の作品にも
自分から意図的に触れ、
感性を刺激していました。

当時のお小遣いは月5000円。
読み終えた本はブックオフに持ち込み、
その買取金を次の一冊に変えていく。
限られた中でやりくりをしながら、
それでも新しい物語に出会いたくてたまらない日々でした。

そしてこの頃、友達の影響で漫画にも触れるようになります。
小説とは違う形で物語に触れることに、
世界がぐっと広がった気がしました。

漫画は友達に貸してもらうことが多かったですが、
そんな中で、唯一自分で買った漫画があります。

「赤髪の白雪姫」。

前回の記事でも書きましたが、
これは今でも私のバイブルです。

少しだけ踏み込むと、
私は昔から父との関係が上手くいっておらず、
実家を居心地の良い場所と思えませんでした。

そんな時、白雪という存在に強く惹かれました。
凛としていて、強か。
自分の力で、大切な人を大切にできる。

「私もそうなりたい。」
そう、強く思います。

自分の未来は、自分の手で切り拓いていく。
その先にまた困難があったとしても、
信念を見失わければ、迷いながらも進んでいける。

私の座右の銘は、「赤髪の白雪姫」の中にあります。

「決意を重ねる。願う道を行く為に。」


大学時代

大学へは、電車で片道2時間かけて通っていました。
往復4時間ととても長い時間が、
私にとっては至福の時間でした。

何がきっかけだったでしょうか?
気づけば、純文学の世界に深く沈んでいました。

理由を言葉にするのは難しいけれど、
あの頃の私は、自分という人間を見つめ、
深く知ろうとしていたのだと思います。

父からの過干渉から少し距離ができ、
友人と、お互いのことを深く話すようになりました。

その中で、ふと気づいたのです。
自分は、思ったよりも偏った環境で育ってきたのかもしれない、と。
そして、思ったよりも気が強くて、
思ったよりも考え方や価値観が狭いのかもしれない、と。

そこからでした。
"もっと価値観を広げたい"と強く思うようになったのは。

純文学を読むことは、
自分ではない誰かの人生を生きることに近くて、
自分の外側にある感情や価値観に触れる価値観を広げる、
一つの手段でした。

読書だけでは足りなくて、
いくつかのサークルに所属したり、恋愛をしてみたり、
中学時代の友人に会いに行ったり、映画や劇団四季に触れたり。

自分の世界を、少しずつ広げていった時期でした。

もう一つ、忘れられない出来事があります。

小児看護の講義で、
10歳のがん終末期の患者さんと、その家族の看取りの映像を見たときのことです。

静まり返る中、先生が涙声でこう言いました。
「毎年この動画を見ているけれど、泣けなくなったら看護師の辞めどきだと思っている」
その言葉に、強い衝撃を受けました。

そのような感性を大切にしながら、
看護師をしている人がいるのだと知りました。

それまで、看護師は現場では涙を流すなど、
患者の前では感情的になってはいけないと思っていました。

賛否両論あると思いますが、確かに私は、
人として大切なものをその先生から学んだ気がしたのです。

当時から好きな作家は、
よしもとばななさん、村上春樹さん、江國香織さん。

一つの作品に心を動かされると、
同じ作家の本を端から端まで読み尽くしたくなる。

そんなふうにして、私は少しずつ、
自分の輪郭を見つけていったのだと思います。


社会人時代

仕事がお休みの日には、たいてい本を読んでいます。

自分を知ろうとしていた大学時代とは少し変わって、
今は、中学生の頃のように、
仕事で張り詰めた気持ちを、
読書でゆっくりほどいている感覚に近いと思います。

同じ“読む”という行為なのに、
その役割は、少しずつ変わってきました。

大学時代に好きだった作家は、今も変わらず好きで、
そこに、絵画やエッセイといった表現にも
興味が広がっていきました。

最近よく手に取るのは、
凪良ゆうさん、原田マハさん、尾形真理子さん、くどうれいんさんの本です。

仕事を始めて、少しだけ余裕が出てきたからか、
本の楽しみ方も、少し変わりました。

小説だけでなく、旅先で出会ったものを持ち帰るようになったのです。

劇団四季のプログラムや展覧会の図録。
オーストラリアを訪れたとき、
現地の本屋さんで購入した「星の王子さま」の洋書。

その時の空気や感情ごと、
閉じ込めるようにして、少しずつ集めています。

これからも、どこかへ行く度に、
一冊ずつ増やしていこうと思っています。

おわりに

振り返ってみると、読書はずっと、
その時々の私にとって、違う役割を持ちながらそばにありました。

夢中で物語に入り込んでいた頃。
張り詰めた気持ちを、そっとほどいていた頃。
自分の狭さに気づいて、外の世界を知ろうとしていた頃。

そして今は、
忙しない日々の中で、
自分の感情を見失わないための時間になっています。

最初に、読書は"心の調律"だと書きました。

読書以外にも、好きなものはいくつもあります。
どれも確かに、私を支えてくれている大切なものです。

けれど読書には、少しだけ別の役割があります。
代わりのきかないかたちで、
乱れた心を、そっと整えてくれるもの。

完全に元通りになるわけではないけれど、
それでもまた、自分のままでいられるところまで戻してくれる。

そんなふうにして、私はこれからも、
読書に何度も助けられながら、生きていくのだと思います。

変わっていく自分の中で、
変わらずにいたいものを、確かめるように。


劇団四季のプログラム
展覧会の図録
現在開催中のフェルメール展にも行ってきました

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