⸻「内縁」という言葉だけで説明できるのだろうか。⸻457日
事件を追う中で、私には一つの疑問が生まれた。
それは、
なぜ、一人の第三者へ財産管理や利益が集中するような構造になっていったのか。
ということである。
もちろん、
内縁関係とは、婚姻の届出こそ行っていないものの、婚姻の意思を持ち、共同生活を営み、社会的にも夫婦に準じた関係として実態を備えた関係であると理解されている。
そのような関係にある人が介護をし、生活を支え、本人の身近な存在となること自体は決して珍しいことではない。
しかし、
内縁関係であることと、本人の財産管理について法的な権限や根拠が当然に認められることとは、別の問題である。
本件で私が疑問を持ったのは、
その人間関係そのものではない。
本件では、
家族財産をめぐる紛争が既に生じ、
財産管理そのものが争点となり、
親族間でも異論が示されていた。
さらに、
* 多額の贈与が行われている。
* 財産管理に深く関与している。
* 先祖代々の財産の処分にも関与している。
* 本人との連絡窓口が一人に集約されている。
こうした事情が重なっている。
このような状況であれば、
私には一つの疑問が残る。
仮に内縁関係であったとしても、これら一連の財産管理や利益の集中まで、「内縁」という一つの言葉だけで説明することはできるのだろうか。
家族財産をめぐる紛争が既に生じ、
財産管理そのものが争点となった以上、
その第三者は、単に本人を支える立場にとどまるものではない。
財産管理に関与し、
多額の贈与を受け、
先祖代々の財産の処分にも関与し、
本人との連絡窓口を担うのであれば、
その人は、本人を支える立場であると同時に、家族財産について利害関係を有する立場にも立ち得る。
そのような状況であれば、
本人の意思はどのように確認されていたのか。
財産管理はどのような法的根拠に基づいて行われていたのか。
本人との連絡窓口を一人に集約する必要性は、どのような理由によって説明されるのか。
さらに、
家族との連絡や面会が事実上困難となる一方で、
特定の第三者のみが本人と継続的に接触し、
財産管理にも関与していたのであれば、
本人の利益と、その第三者の利益が競合し得る状況について、どのような確認や調整が行われていたのだろうか。
そして、
本人の判断能力や財産管理が問題となる状況であったのであれば、
本人保護制度の利用や、その必要性について適切な検討は行われていたのか。
また、
そのような状況を把握し得る立場にあった関係機関は、
本人保護の観点から、
本人の意思確認、
財産管理の適正、
関係者との調整について、
どのような対応を行っていたのだろうか。
これらについて説明が求められるのは、
むしろ当然ではないだろうか。
私が問いたいのは、
内縁関係の有無ではない。
家族財産をめぐる紛争の中で、その人はどのような法的立場で本人を支え、財産管理に関与し、その権限は何に基づいていたのか。
その経緯である。
財産の承継も、
贈与も、
財産管理も、
それぞれ理由があったのかもしれない。
だからこそ、
私は誰かを非難したいのではない。
むしろ逆である。
合理的な経緯と法的根拠があるのであれば、
それは説明できるはずである。
そして、その説明があるからこそ、
本人の意思も、
家族との関係も、
財産管理も、
本人保護も、
一つの流れとして理解することができる。
私が知りたいのは、
誰が利益を得たのかではない。
なぜ、そのような財産管理の構造が形成され、どのような法的根拠によって維持されてきたのか。
その経緯である。
私は、この事件を通して、
「内縁」という言葉は、一つの人間関係を説明することはできても、家族財産をめぐる紛争の中で形成された財産管理の法的根拠、その構造、そして本人保護の適切性まで説明する言葉ではない。
そう考えるようになった。
私が求めているのは、
「内縁」という関係の有無についての説明ではない。
家族財産をめぐる紛争が生じた後も、
その人がどのような法的立場で本人を支え、
財産を管理し、
その管理構造がどのような経緯で形成され、維持されてきたのか。
そして、
本人の意思確認はどのように行われ、
利益相反が生じ得る状況はどのように整理され、
本人保護はどのように担保されていたのか。
その一連の説明である。
