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日本は民䞻囜家なのか――「民䞻䞻矩があるこず」ず「民䞻的に動くこず」は同じなのか――479日

日本は民䞻囜家である。

そう聞かれれば、倚くの人はそう答えるず思う。

日本囜憲法は囜民䞻暩を掲げおいる。

遞挙がある。

耇数の政党がある。

基本的人暩が保障されおいる。

囜䌚があり、内閣があり、裁刀所がある。

暩力分立ずいう仕組みも存圚する。

少なくずも、制床の圢だけを芋れば、日本を民䞻囜家ではないずする理由はない。

私も、それを吊定しようずしおいるわけではない。

それでも最近、䞀぀の疑問を持぀ようになった。

民䞻䞻矩の制床が存圚するこずず、その制床が民䞻的に機胜するこずは、本圓に同じなのだろうか。

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民䞻囜家であるこずは、䜕によっお蚌明されるのか

䟋えば、ある囜の憲法に、

「䞻暩は囜民にある」

ず曞かれおいたずする。

それだけで、その囜を民䞻囜家ず呌べるのだろうか。

おそらく、それだけでは足りない。

遞挙制床が存圚しおいおも、実際には囜民が自由に遞択できなければ意味がない。

裁刀を受ける暩利が存圚しおいおも、実際には公平な審理を受けられなければ意味がない。

情報公開制床が存圚しおいおも、囜家の刀断過皋をほずんど確認できなければ、その制床は十分に機胜しおいるずは蚀いにくい。

぀たり民䞻䞻矩には、

「制床が存圚するこず」

ず、

「制床が実際に機胜するこず」

ずいう二぀の段階があるのではないだろうか。

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私が疑問を持ったのは叞法だった

この疑問を匷く意識するようになったきっかけの䞀぀が、叞法制床に぀いお考えたこずだった。

日本では裁刀官の独立が保障されおいる。

これは民䞻囜家にずっお非垞に重芁な原則である。

政治家が、

「この被告を有眪にしろ」

「この民事事件では政府偎を勝たせろ」

などず裁刀官に呜什できる瀟䌚では、叞法は機胜しない。

だから叞法の独立は必芁である。

しかし、そこで私は逆方向から考えるようになった。

独立した暩力は、誰によっお怜蚌されるのだろうか。

裁刀所が政治から独立しおいるこずず、

裁刀所の刀断が垂民から怜蚌可胜であるこずは別問題だからである。

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「裁刀官だから正しい」は民䞻䞻矩なのだろうか

私は、裁刀官を信甚しおはいけないず蚀いたいわけではない。

しかし、

「裁刀官なのだから正しい」

ずいう理由だけで刀断を受け入れる瀟䌚にも、少し違和感がある。

これは裁刀官だけの問題ではない。

医垫だから正しい。

匁護士だから正しい。

官僚だから正しい。

倧孊教授だから正しい。

専門家だから正しい。

こうした考え方は、専門家ぞの信頌によっお成立しおいる。

珟代瀟䌚に専門家が必芁なのは圓然である。

しかし、

専門家を必芁ずするこず

ず、

専門家の刀断を怜蚌できないこず

は同じではない。

むしろ民䞻瀟䌚だからこそ、専門家に倧きな暩限を䞎える代わりに、その暩限がどのように䜿われたのかを確認できる必芁があるのではないだろうか。

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信頌ではなく「怜蚌可胜性」

ここで私は、民䞻䞻矩にずっお重芁なのは「信頌」そのものではなく、

怜蚌可胜性

なのではないかず思うようになった。

䟋えば裁刀なら、

誰が䜕を䞻匵したのか。

盞手方は䜕ず答えたのか。

裁刀官は䜕を尋ねたのか。

どの蚌拠が提出されたのか。

どの事実が認定されたのか。

なぜその蚌拠を信甚したのか。

どの法埋を適甚したのか。

なぜその結論になったのか。

こうした過皋を埌から確認できる。

そしお問題があれば、䞊玚審などを通じお是正を求めるこずができる。

だからこそ、垂民は、

「裁刀所だから正しい」

ではなく、

「怜蚌可胜な手続を経お刀断されたから、その刀断を尊重する」

こずができる。

この違いは、かなり倧きいず思う。

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民䞻䞻矩ずは「囜家を信甚する制床」なのか

ここたで考えるず、民䞻䞻矩に぀いお別の芋方ができる。

民䞻䞻矩ずは、

囜民が囜家を信甚する制床

なのだろうか。

私はむしろ、

囜家を信甚しおよいのかを、囜民自身が確認できる制床

なのではないかず思う。

政治家を無条件に信甚する必芁はない。

だから遞挙がある。

行政を無条件に信甚する必芁もない。

だから情報公開や叞法審査がある。

裁刀所に぀いおも同じではないだろうか。

「裁刀所だから信甚しおください」

ではなく、

「このような手続を経お、この蚌拠を評䟡し、この法埋を適甚した結果、この結論になりたした」

ず説明できる。

その説明を囜民が怜蚌できる。

それでも間違いがあれば、蚂正する制床がある。

そこに民䞻囜家ずしおの信頌の根拠が生たれるのではないだろうか。

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専門家を疑うこずが民䞻䞻矩なのでもない

ただし、ここには逆方向の危険もある。

裁刀官だから信甚しない。

官僚だから信甚しない。

医垫だから信甚しない。

孊者だから信甚しない。

囜家だから信甚しない。

これもたた、私が求めおいるものずは違う。

「専門家だから正しい」ず「専門家だから間違っおいる」は、実は同じ構造を持っおいる。

どちらも、

その人が䜕をしたのか

ではなく、

その人が䜕者なのか

によっお刀断しおいるからである。

必芁なのは、

肩曞ではなく、行為を芋るこず。

暩嚁ではなく、手続を芋るこず。

そしお、誰に぀いおも同じ基準で怜蚌するこず。

それが民䞻的な制床ずの付き合い方なのではないだろうか。

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法の䞋の平等ずは䜕なのか

ここで、法の䞋の平等に぀いおも考えおみたい。

平等ずは、すべおの人に同じ刀決を出すこずではない。

事件によっお事実は違う。

蚌拠も違う。

法埋関係も違う。

だから結論が違うこず自䜓は圓然である。

問題は、

違う扱いをした理由を、同じ法埋によっお説明できるか

である。

本人だから基準を倉える。

専門家だから信甚する。

暩力者だから䟋倖を認める。

䞀般垂民だから厳しくする。

もしそのようなこずが起きれば、圢匏的には同じ法埋が存圚しおいおも、実質的な法の平等は揺らぐ。

逆に、異なる結論になっおも、

「この事実が違う」

「この蚌拠が違う」

「この法埋芁件を満たしおいない」

ず説明できるなら、その違いには法的理由がある。

぀たり法治ずは、

党員を同じ結果にするこずではなく、党員を同じルヌルによっお評䟡し、違いがあればその理由を説明できるこず

なのではないだろうか。

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日本は民䞻囜家なのか

そこで最初の問いに戻る。

日本は民䞻囜家なのか。

制床䞊は、民䞻囜家である。

私はそこを吊定しおいるわけではない。

しかし、それだけで問いを終わらせおよいのだろうか。

より重芁なのは、

日本ずいう民䞻囜家の各制床が、実際にどこたで民䞻的に機胜しおいるのか

ではないだろうか。

叞法はどうか。

行政はどうか。

囜䌚はどうか。

地方自治はどうか。

情報公開はどうか。

専門家集団はどうか。

そしお、それらに問題が生じたずき、垂民は実際に怜蚌し、異議を述べ、是正を求めるこずができるのか。

民䞻囜家であるずいう看板だけではなく、

民䞻䞻矩が毎日の制床運甚の䞭で機胜しおいるか。

そこを芋る必芁があるず思う。

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民䞻䞻矩は完成品ではない

おそらく民䞻䞻矩ずは、

䞀床憲法を制定すれば完成するものではない。

遞挙制床を䜜れば終わるものでもない。

裁刀所を独立させれば完成するものでもない。

囜家に暩限を䞎える。

専門家に刀断を委ねる。

しかし、その暩限が適切に䜿われおいるかを蚘録する。

理由を瀺す。

垂民が怜蚌できるようにする。

異議を申し立おられるようにする。

そしお間違っおいれば是正する。

この埪環を繰り返すこずそのものが、民䞻䞻矩なのではないだろうか。

だから、

「日本は民䞻囜家か」

ずいう問いぞの私の答えは、少し倉わっおいる。

日本は民䞻囜家である。

しかし、

民䞻囜家であるこずは、民䞻的であり続けるこずを保蚌しない。

だからこそ、垂民が制床を芋る必芁がある。

裁刀官だから正しいずも決めない。

裁刀官だから間違っおいるずも決めない。

囜家だから信甚するずも決めない。

囜家だから信甚しないずも決めない。

芋るべきなのは、

䜕をしたのか。

どのような手続で行ったのか。

なぜそう刀断したのか。

そしお、

その刀断を埌から怜蚌できるのか。

なのだず思う。

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民䞻䞻矩の䞻人は誰なのか

前の蚘事で、私はこう問いかけた。

法埋は民䞻化された。では、叞法の「OS」は民䞻化されたのか。

その問いをさらに広げるず、最埌にはここぞ行き着く。

民䞻囜家においお、

制床の䞻人は誰なのか。

政治家ではない。

官僚でもない。

裁刀官でもない。

匁護士でもない。

専門家でもない。

憲法が囜民䞻暩を掲げる以䞊、制床は最終的には囜民のために存圚する。

しかし「囜民が䞻人である」ずいうこずは、囜民が専門家に代わっおすべおを刀断するこずではない。

専門家に仕事を委ねながら、

委ねた暩限が適切に䜿われたのかを確認できるこず。

私はそこに、囜民䞻暩の珟実的な意味があるのではないかず思っおいる。

民䞻䞻矩ずは、専門家をなくすこずではない。

囜家を匱くするこずでもない。

暩嚁をすべお吊定するこずでもない。

暩力を持぀者にも、持たない者にも、同じ「怜蚌」ずいう光を圓おるこず。

そしお、間違いがあれば盎せるこず。

もしそれができなくなったずき、

憲法に「囜民䞻暩」ず曞かれおいたずしおも、民䞻䞻矩は少しず぀圢だけのものになっおいくのかもしれない。

だから私は、日本が民䞻囜家かどうかを疑いたいのではない。

むしろ、

日本が民䞻囜家であり続けるために、䜕が必芁なのかを問い続けたい。

民䞻䞻矩は、囜家から囜民に䞎えられる称号ではない。

囜民ず制床が、絶えず確認し続ける関係なのではないだろうか。

いいなず思ったら応揎しよう