『語られなかった判断』――裁判における可視性と正当性について――第9章 可視性なき裁判はなぜ不信を生むのか――420日
1 不信の原因は敗訴そのものではない
裁判において敗訴した当事者が不満を抱くことは珍しくない。
しかし、敗訴と不信は同一ではない。
実際には、
敗訴した当事者であっても、
なぜその結論に至ったのかを理解できる場合には、
判断を受け入れることがある。
逆に、
勝訴敗訴を問わず、
判断形成過程が見えない場合には、
制度そのものへの疑問が生じる。
したがって、
当事者の不信は、
単なる結果への不満ではなく、
理由の不可視性から生じる場合がある。
裁判制度への信頼は、
結論への同意によって成立するのではない。
むしろ、
結論に至る過程が理解可能であることによって成立する。
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2 理解可能性と受容可能性
人は必ずしも自分に有利な結果だけを受容するわけではない。
社会における多くの制度は、
結果そのものよりも、
手続の公正さによって支えられている。
裁判も同様である。
当事者は、
自らの主張が検討されたこと、
提出した証拠が評価されたこと、
反対説が採用されなかった理由が示されたこと、
を確認できる場合、
たとえ不利益な結論であっても、
一定程度その判断を理解することができる。
しかし、
争点整理が不透明であり、
理由提示が不十分であり、
接続構造が示されない場合、
当事者は
「なぜその結論になったのか」
を理解できない。
理解できない判断は、
受容もまた困難となる。
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3 制度への信頼と説明可能性
法制度は強制力を持つ。
そのため、
制度は単に権力を行使するだけでは足りない。
なぜその権力行使が正当なのかを説明できなければならない。
この説明可能性こそが、
制度への信頼を支える。
説明可能性が存在する場合、
市民は判断内容を批判することができる。
しかし同時に、
制度がどのような論理によって結論へ至ったのかも理解できる。
一方、
説明可能性が失われると、
制度の判断は検証不能となる。
その結果、
市民は結論だけを見るようになり、
制度に対する信頼は徐々に弱体化する。
信頼とは、
誤りが存在しないことによって成立するのではない。
誤りがあった場合にも、
それを発見し、
検証し、
修正できることによって成立するのである。
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4 可視性と法の将来
法制度は、
常に正しい判断を行うことによって維持されるわけではない。
むしろ、
判断過程を公開し、
批判を受け入れ、
修正可能性を維持することによって存続している。
この意味において、
可視性は単なる技術的要請ではない。
可視性は、
法が法として存在し続けるための条件である。
争点整理、
証拠評価、
理由提示、
接続構造の説明。
これらが可視化されている限り、
法は社会との対話を維持できる。
しかし、
それらが不可視化されたとき、
法は次第に説明能力を失い、
最終的には権威だけによって支えられる制度へ近づいていく。
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