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「王家の紋章」が人生を変えた!?アラブx日本xイスラム 3つの視点を生きる通訳の物語

こんにちは!

私はアラビア語に携わって25年、現役アラビア語通訳の中東あいです。

生まれも育ちも生粋の日本人ですが、結婚を機にイスラム教に改宗し、現在は主に時事通訳として日本とアラブの橋渡しをしています。

「アラビア語の通訳をしています」

そう言うと、ほとんどの人が目を丸くします。

「えっ、アラビア語?珍しいね!」
「難しくないの?読めるの?書けるの?」

「って通訳ですから~」

たしかにアラビア語って、日本ではなじみのない言語に感じるかもしれません。
でも私にとっては、気づけばずーっとそばにいる“飽きない相棒”みたいな存在なんです。

ところでみなさんは、アラビア語ってすぐにイメージできますか?

「何か、ミミズみたいな、うねった線みたいな文字で・・・」

その通り!しかもそのミミズや線は右から左に走っているのです!

さらに世界中の言語の中で、アラビア語にしかない発音と言われる文字・ダード(ض)もあるのです!

「珍しいね!」「どうしてアラブなの?」ってよく言われますが、
「なんでだろう?ずっと好きなんだよね」と思いながら続けてきたものがアラビア語なんです。

アラビア語を始めアラブの文化や習慣に関すること、時事のこと、通訳が自分の言葉で少しでも分かり易く情報を伝えられたらいいな、と思ってnoteを始めました。

また日本とはちょっと違うけど、似ているところがある意外なアラブ人の生活習慣や考え方など、アラブにまつわるコラムや、イスラム教徒としての日本での生活について書いています。

 私のnoteをきっかけに、アラビア語や中東、アラブの人々に興味を持ってくださると嬉しいです。

ぜひフォローとスキをお願いします。


https://www.akitashoten.co.jp/comics/4253070604

アラビア語に興味を持ったきっかけは『王家の紋章』

アラビア語を学ぶ道へ進んだきっかけは、小学生の時に流行っていた漫画『王家の紋章』でした。

アメリカの石油会社の社長令嬢・キャロルがエジプトで考古学の勉強中に王家の呪いにかかってしまい、現代と古代を行ったり来たりする、細川智栄子先生作の大歴史ロマン漫画です。

古代に行った主人公がエジプトを始め、メソポタミア文明が栄えた場所で奴隷になったり妃になったり、人に追われたりしながら、時々考古学や現代の知識を披露して古代人にびっくりされる、というエピソード満載なストーリーが大好きでした。

今はやりの異世界転生系の先駆けといえるかもしれません。

私は、この漫画が大好きで、いつかはエジプトにピラミッドを見に行きたい、と本気で思っていました。

古代エジプトをきっかけに海外に興味を持った私は、中学では英語と国際協力・アフリカの飢餓問題に関心を抱き、高校は英語とフランス語を必修とする学校に進学しました。

言葉を生かして仕事をする。世界で仕事をするために語学を身に着ける。外国語が話せるようになりたい、と強く思っていました。


就職を拒否して親と大喧嘩

あっという間に過ぎていく高校生活。

進路相談が近づいてきた時、ふと「メジャーでない言語を勉強するのは楽しいかも」と思い出したのがエジプトでした。

かつてあこがれたあの国で話されているのは「アラビア語」

でも当時離婚したばかりの母から「学費の工面はできないから就職してほしい」と言われてしまいます。

周囲への憧れと、自分だけ環境が違うという引け目と恥ずかしさ。

4年は無理でも2年ならと希望を抱きつつ、何とか語学専門学校を見つけましたが、三者面談ではあくまで就職を希望する母。私は悔しさのあまり大泣きして怒鳴りました。

「このまま就職なんて絶対イヤ!」
「親なら子供を応援して!」

そんなやり取りを見た先生が、翌日私に持ってきてくれたのは、小さな新聞の切り抜きでした。


先生がすすめてきたのは…

先生が渡してくれたのは、新聞奨学生を募集する記事でした。 

でも友達の前で受け取るのが恥ずかしくて、その場でビリビリ破いてしまいます…。

未熟だった私にとって自分の家庭環境を「他人の目を通して受け入れる」ことは、とても難しくて辛くて、悲しさと悔しさで心がいっぱいになってしまったのでした。 

しかしそのあと冷静になり、先生に手紙を書いて謝罪。


「自分の手で切り開いていくんだ」

奨学生をしながら、勉強をしていこうと決意しました。
 
こうして新聞奨学生として3時起きからの朝刊配達・学校・夕刊配達・チラシ作り、という過酷な2年間が始まったのです。 

体力的にも精神的にもハードな生活でしたが、アラビア語への情熱は冷めることがありませんでした。


行ってみたらスゴかった

ハードな2年間が過ぎ、次にしたかったのは留学でした。

ついにエジプトに行くのか!と思いきや、留学先はシリア・アラブ共和国に決めました。

シリア・アラブ共和の首都ダマスカスへ

決定打になったのは「方言の美しさ」でした。アラビア語には正則語フスハーと各地の方言アンミーヤがあり、現地で生活するなら方言も身につけざるを得ない、ならばきれいな方言を(エジプトごめん!)ってことで選びました。

そこで私を待っていたのは、目くるめくアラブの世界

着いて早々、右も左も分からないのに、滞在や学校の登録などやらなければならないことは沢山!

あちこち回るならタクシーが一番手っ取り早い、と一日お世話になった翌日、ビックリする出来事が・・・。

呼んでないのに昨日の運転手が学校に来て、私を待っていたのです。
タバコをぷかぷか吸いながら、ニヤッと笑って

「今日も必要かなと思って」

え?!

「何それ!」「あり得ない!」「どういうこと?」「考えるな・ただ感じろ!」「何も起きない日はない!」そんな毎日でした。

道を歩けば「チン・チャン・チョン」と言いながら私のそばを通り過ぎる人々。堂々と差別・侮蔑し、からかって楽しんでいるわけです。

教育や文化のレベルは人それぞれ、とは思っても、一日に何回も強烈な不快感を味わう新米の私。これが本当にツラかった・・・。


首都ダマスカス市内 左はカシオン山 中央奥は国立図書館

地獄の胃痛から運命の出会いへ

超ハードな異文化体験の結果、到着してからの一ヶ月間、極度のストレスで四六時中胃痛に襲われ、日本から持って行った胃薬が全然効かないという悪夢に襲われます。

そんな中、ダマスカス大学で当時日本語を勉強していた観光ガイドのシリア人男性と交流会で知り合います。

その彼が私をダマスカス郊外の自然豊かな場所へと連れ出してくれて…。
胃痛がスーッと引いていきました。故郷に似た空気のきれいな場所で、心身が癒されたからでした。

その時の彼が、今の私のダンナです。

2年の留学を終えて、日本に帰国した後に結婚するのですが、これは別の機会にお話ししたいと思います。


アラビア語に携わる日本人として伝えたい

これまでに、アラブの人や社会から学ぶことはいろいろありました。

異文化体験が私に気づかせてくれたことも沢山あります。
日本人にすると中東は、

「身近じゃないし、情報もあまりない」
「アラブ=戦争」


そんなイメージが多いと思います。

私のnoteでは25年の経験を通して、いろんな中東・アラブを紹介していきます。

そして何より、アラビア語はアラブをぐっと身近に感じる強力なツールです。

一度あなたがアラビア語で話しかけたら「私たちの言葉を話す人だ!」と、どんなアラブ人でもとびきりの笑顔でこたえてくれて、あなたをほおってはおかないことでしょう。

彼らの世界を覗いてみたいと思いませんか?

魅力たっぷりのアラビア語と彼らの世界をお伝えするため、愛情を込めてコンテンツ作りをしています💪

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ここまで読んでくださり、ありがとうございます!

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