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火種のないところに、煙が立った!?本人不在の“通訳”が生む誤解

私は先日、知らないところで「怖い人」になっていました。
ただ喜んで書いたコメントが、投稿者さんには、
「写真を勝手に使ったことへの注意喚起」
という意味として伝わっていたらしいのです。

え、いつ注意した?
私、めちゃくちゃ喜んでいたんですけど!?🤣

夏だからって、リアル「ほんとにあった怖い話」は体験したくないのよ😂

……と思っていたのですが。

その後、この件に関わったご本人から直接ご連絡をいただき、ご事情を伺うことができました。

そこで分かったのは、誰かが悪意を持って人間関係を壊そうとした、という単純な話ではなかったということ。

もしかすると、言葉が人から人へ渡る中で、少しずつ意味が変わってしまうこともあるかもしれません。

今回は、そんな本人不在の“通訳”によって、火種のなかったところに煙が立ってしまった出来事と、その後のお話です。

「私の本だ!」と喜んだだけだった

ある方がFacebookで、Amazonのペーパーバックについて紹介する投稿をしていました。

ペーパーバックとは、Kindle本を紙の本として出版できるAmazonのサービスです。

その方は実際にいくつもの本を購入し、表紙の質感や本文用紙、標準カラーとプレミアムカラーの違いなどを、とても丁寧に比較されていました。
そして、写真に並べられた本の中に、私の本があったのです。

それを見つけた私は、
「あれ!?私の『つれづれ』ペーパーバック買ってくださってる!?🤩✨
ありがとうございます😆」
とコメントしました。

本当に、ただそれだけです。
「私の本だ!」
「買ってくれている!」
「嬉しい!」
「ありがとうございます!」
以上です。

行間に暗号もありません。
もちろん、特殊な読解力も必要ありません(笑)

ところが、そのコメントについて、投稿者さんは第三者とのやり取りを通して、
「これは、写真を勝手に使ったことへの注意喚起だった」
という趣旨で受け取ったそうなのです。

投稿者さんは驚いて投稿を削除し、私にも丁寧な謝罪のメッセージを送ってくださいました。

私は、何のことだか分かりません。
「え!?何かあったんですか!?」
と確認したところ、初めて事情が分かりました。

いやいやいや。
全然そんな意味じゃないです〜〜〜😂💦

私が知らないところで、私が、
「“ありがとうございます”と言いながら、実は無断使用を遠回しに咎めている人」
になっていたのです。

どんな使われ方でも平気、という話ではない

もちろん、私も自分の本がどのような形で使われても、すべて気にしないわけではありません。
たとえば、本の中身を全ページ無断で公開されたり、無許可でAI学習に使われたりしたら、

「ちょっと待ってください」

とは言うと思います。
著作物の扱いについて、許可や配慮が必要になる場面はあります。

ただ、今回の投稿は、実際に購入した本を並べて、表紙の質感や本文用紙、印刷の違いを比較・紹介してくださっていたものです。
私としては、
「私の本を買って、こんなに丁寧に研究してくれている!」
と、純粋に嬉しかった。

少なくとも今回の投稿に対して、私が相手を咎める意図はまったくありませんでした。

私は、京都のぶぶ漬け方式ではありません

念のため申し上げますと、私は京都のぶぶ漬け方式ではありません。

「もう少しゆっくりしていってくださいね」と言いながら、実は、
「そろそろ帰ってください」という意味が隠されている。

そんな高度な言語文化を、私は採用しておりません。笑

私の言葉には、基本的に隠れた意図はありません。

「嬉しい」は、嬉しい。
「ありがとう」は、ありがとう。
「それは困ります」は、それは困ります。

だいたい、そのままです🤣

だからこそ、私の知らないところで、まったく違う意図を持つ人として受け取られていたことには、正直かなり驚きました。

以前にも、私が一切言っていないことが、いつの間にか、
「あらゆうが、こう言っていた」
「あらゆうは、こう考えている」
という話に変わっていたことがあります。

言葉って、人から人へ渡る途中で、どんな姿になるか分からない。
その怖さを、改めて感じました。

「私はこう感じた」と「この人はこう思っている」は違う

もちろん、言葉の受け取り方は人それぞれです。

同じコメントを読んでも、「純粋に喜んでいる」と感じる人もいれば、
「もしかして、何か含みがあるのでは?」と不安になる人もいるでしょう。

人は、過去の経験や置かれている立場を通して、言葉を受け取ります。

だから、「私は、こう感じた」と思うこと自体は悪いことではありません

ただ、「私はこう感じた」と、
「この人は、こういう意図で言っている」は、まったく別の話です。

前者は、自分の受け取り方。
後者は、本人の気持ちの代弁です。

今回は、その解釈が私に確認されないまま、投稿者さんへ伝わりました。
ただし、ここにも注意が必要です。

私は、第三者の方が実際にどのような言葉で、どのくらいの強さで投稿者さんへ伝えたのかを、直接聞いたわけではありません。

今回の件は、いろんなことが絡み合ってしまって起こったことでしたが、

例えばそのように、第三者の方が別の角度から受け取り、
その方の言葉を、さらに別の角度から受け取る。

そんな二段階の“通訳”が起きることもあるかもしれません。

だから、誰か一人が意図的に嘘をついたとか、悪意を持って煙を起こしたと、単純に決めることはできないのです。

それでも、今回は結果として、問題のなかった投稿が一度削除され、投稿者さんは「失礼なことをしてしまった」と焦り、私に謝罪することになりました。

火種なんて、本当はどこにもなかったのです。

私は、自分の本を購入し、研究材料として使ってくださっていることが嬉しい。
投稿者さんは、出版を考えている人の参考になる情報を発信している。
誰も、誰かを咎めていませんでした。

「火のないところに煙は立たない」と言いますが、立つんですよ。人間界では。

それぞれが少しずつ意味を足した結果、火種がなくても煙だけがモクモク上がることがあります。

怖い怖い🫨

誰が言ったのかは、あえて聞かなかった

ここまでの話だけなら、「なぜ、そんな意味として伝わったのだろう」と、どうしても考えてしまいます。

正直に言えば、私も最初は、
「本当に親切心だったのだろうか」
「私たちを仲違いさせようとした人がいるのだろうか」
と、一瞬勘繰ってしまいました。

「誰がそんなことを言ったんだろう?」と、少しモヤッともしました。
本当は怖いけれど、ちょっぴり知りたい。
そんな気持ちが、まったくなかったと言えば嘘になります。

でも私は、投稿者さんに、「それを言ったのは誰ですか?」
とは確認しませんでした。

私がそれを聞けば、投稿者さんを板挟みにしてしまうかもしれないと思ったからです。

私と、その言葉を伝えた方との間に挟まれ、

「名前を伝えるべきなのか」
「黙っているべきなのか」

と悩ませてしまうかもしれない。
投稿者さんは、すでに誤解から投稿を削除し、私に謝罪までしてくださいました。

そこへさらに私が「誰が言ったのか」を問いただしたら、もっと苦しめてしまうかもしれない。
そう思い、知りたい気持ちは呑み込みました。

本当に、犯人探しをするつもりはなかったのです。

過去の匿名投稿が、頭をよぎった

ただ、私の中には、
「私に対して悪意を持っている人がいるのだろうか」
「知らないところで、そんなふうに人物像を変えられていたら嫌だな」
というモヤモヤと不安が残りました。

先に話した通り、私が言っていないことを私が言ったかのように広められ、トラブルになったこともあります。
また、最近、匿名で私に対して、「自己満乙」と書かれたことがあります。

誰が書いたのかは、今も分かりません。
その経験があったため、
「もしかして、あの匿名投稿者なのでは?」
「私の知らないところで、今も悪意を向けられているのでは?」
と、一瞬よぎったのです。

もちろん、何の根拠もありません。
あの匿名投稿だって、大袈裟なものではなく、ただのイタズラの可能性だってあります。

だけど、そういう悪意を向けられた時、人は、相手が見えないからこそ、頭の中で不安だけが膨らんでしまいます。
以前の「自己満乙」と言われた出来事については、こちらの記事にも書いています。

考えてみれば、これも今回の記事のテーマそのものです。
分からない部分を、自分の過去の経験で補ってしまう。

私は、「誰かが私に悪意を向けているのかもしれない」という不安を抱えたまま、見えない相手の人物像を頭の中でつくり始めていました。

だからこそ、その怖さを抱え続けるのではなく、私はFacebookで意思表示をすることにしました。

怖さを払拭するために、意思表示をした

Facebookに今回の出来事を書いたのは、誰かを問い詰めるためではありません。

何度も言いますが、本当に、正体を突き止めるためではありませんでした。

FaceBookの投稿

「私が誰かに何か伝えたいときは、基本的には自分で伝えます」
「私の言葉は、基本的に文字どおり受け取ってください」
と、周りの方に意思表示しておきたかったのです。

「あらゆうさんが、あなたのことをこう言っていたよ」
「あのコメントは、本当はこういう意味らしいよ」
と誰かから聞いても、私本人に確認してほしい。

私は、笑顔でお礼を言いながら、裏では別の意味を込める人ではありません。
そのことを周りの方に知ってもらうことで、
「私に悪意を持つ人が、知らないところで何か言っているのかもしれない」
という、自分の中にあった怖さも少し払拭したかったのだと思います。

その後、ご本人から連絡をいただきました

そんな中、この件に関わったご本人が、私のFacebook投稿を見て、個別メッセージをくださいました。

黙ったままにすることもできたはずです。

それでも、ご自身から事情を説明し、
「そんな意図ではなかった」
「嫌な思いをさせてしまい、申し訳なかった」
と伝えてくださいました。
めちゃくちゃ誠実だと思いました。
私はますます、この方が好きになりました。そして、同時にやっと安堵できました

お話を伺うと、仲違いさせようとしたわけでも、私を怖い人に仕立てようとしたわけでもありませんでした。
著作物や写真の扱いによって、投稿者さんが今後どこかで困ることがないように、気を回した結果だったようです。

ただ、その心配が人から人へ渡る中で、違う意味になってしまった。

ご本人が実際にどのような表現で投稿者さんへ伝えたのか。
投稿者さんが、その言葉をどのような温度で受け取ったのか。
そのすべてを、私は直接確認したわけではありません。

だから今回の出来事を、「あの人が悪意を持って火をつけた」と断定することもできませんし、今回はそうじゃなかったことを確認できてよかった。

それでも時に人は、

誰かの言葉を深読みし、その心配を別の人へ伝え、
受け取った人が、さらに意味を強く感じることもある。

それぞれの場所で、ほんの少しずつ認識がずれた結果、火種のなかったところに煙が立ってしまうこともある。

直接お話しできたことで、「ああ、そういうことだったのか」と、私の中にあった不安はかなりほどけました。

もちろん、以前の匿名投稿者とは何の関係もありません。
「もしかして、あの人なのでは」というのは、相手が分からない状況で、私の中に勝手に膨らんだ不安でした。

私は考えても仕方ないことはあまり考えない主義ですが、それでも誰かから悪意を持たれているかも知れない(しかも、気に入らないならスルーすればいいだけなのに、わざわざ悪意を向けてくる人がいる)という不安は、どうしてもあります。

世の中には、話が本当に通じない、自分の妄想で犯行に及ぶという事件が、ゴロゴロ転がっています。だからその怖さは、イタズラだったにせよ、一度向けられてしまった悪意というのは、どうしても拭えません。

でもだからこそ、今回はご自分から連絡をくださり、事情を説明してくださったことを、本当に、とてもありがたく思っています。

投稿を消すか、残すか

一方で、ご本人から連絡をいただいたあと、今度は別の迷いが生まれました。

私の投稿によって、結果的にご本人を名乗り出させてしまった。

犯人探しをしたい意図は本当になかったのに、当事者である方に、
「自分のことだと説明しなければ」と思わせてしまったのかもしれません。

もともと誰かを傷つけるつもりなどなかったご本人にとって、私の投稿はつらかったかもしれない。

では、投稿を削除したほうがいいのか。

それも考えました。
ただ、一度多くの方が見た投稿を突然引っ込めれば、

「何があったのだろう」
「誰かから何か言われたのだろうか」
「もっと大きなトラブルになったのでは」

と、また別の煙が立つ可能性もあります。
消したことで、新しい憶測を生むかもしれない。

そこで私は、投稿自体は残しつつ、

「その後、ご本人から連絡があり、少し行き違ってしまっただけだったことが分かりました」

という追記を入れる対応をしました。
これが最善だったのかは、正直分かりません。

残せば、ご本人が傷つくかもしれない。
消せば、別の憶測が生まれるかもしれない。

こういうときの判断は、本当に難しいものです。

少なくとも私は、「誰が悪かったのか」を決めることよりも、

「誤解が解けたこと」
「悪意によるものではなかったと分かったこと」
を、投稿を見てくださった方にも伝えることを選びました。

言葉は、人から人へ渡るたびに形を変える

今回の出来事で改めて感じたのは、言葉そのものだけでなく、受け取る人の背景や立場も大きく影響するということです。

私は、「私の本だ!嬉しい!」という気持ちでコメントしました。

時には、もしかしたら、
「著者本人が、自分の本であることに触れている」
「もしかしたら、写真の使用について遠回しに伝えているのではないか」
と受け取られてしまうこともあるかも知れません。

私から見れば、「どこをどう読んだら、そうなるの!?(驚)」という話なんですが、それはあくまで私の視点からの話で、それぞれの人には、それぞれの立場と心配があった。

ただそれだけです。

だからといって、本人に確認していない解釈を、本人の意図として伝えてよいとは思いません。

ただ、あとから事情を知ったことで、「悪意を持って、火をつけた人がいたんじゃなかった」という、単純な話でもなかったことが分かりました。

誰かを守ろうとした言葉が、別の人を驚かせる。
誤解を防ごうとした行動が、新しい誤解を生む。

人間関係とは、なかなか複雑です。

そして私自身も、過去の匿名投稿の記憶から、「もしかして、私に悪意を持つ人なのでは」と、相手のことを知らないまま、別の物語をつくりかけました。

これは、私たち当事者だけの話ではありません。

分からない部分を、自分の経験や恐れで埋めてしまうことは、誰にでもあるのだと思います。

人は、話せば分かり合えることもある

何度も言いますが、今回、ご本人が直接説明してくださったことを、私はとてもありがたく思っています。

私も、
「そんな意図ではなかったんです」
「知らないところで怖い人になっていて、驚いてしまいました」
と、自分の気持ちを、その方へ伝えることができました。

そして、話してみれば、
「なーんだ!そういうことだったのか(笑)」で終わりました。

人って、分かり合えることもあるんですよね。

もちろん、どんな相手とも必ず分かり合えるとは思いません。
直接話しても、どうしても考えが交わらないこともあります。

そして悲しいけれど、そもそも落ち着いて話し合える状態にならない人も、世の中にはいます。

こちらが対話を望んでも、相手が聞く耳を持てないときもある。

怒りや不安が強すぎて、同じテーブルに着くことすら難しい場合もあるでしょう。

だから、「話し合えば、誰とでも必ず分かり合える」と、きれいごとだけで片づけるつもりはありません。

それでも今回のように、お互いが事情を説明し、相手の言葉を聞ける状態であれば、話すことで解ける誤解は確かにあります。

本人に聞かないまま想像だけを膨らませるより、
「どういう意味でしたか?」と確認する。

そのひと手間で、人間関係が壊れずに済むこともあるのだと思います。

今回は、小さなトラブルとして起こってしまいましたが、その後「ま、いっか」で終わらせず、誠実に向き合ったことが、完全解決へと繋がりました。

本人不在の“勝手な通訳”をしない

今回の記事は、特定の誰かを責めるために書いたものではありません。
誰かに、犯人探しをして欲しかったわけでもありません。

最初に私が感じたショックも、その後に知った相手の事情も、投稿を残すか迷ったことも含めて、書いておきたいと思いました。

なぜなら、今回のことは、誰にでも起こり得るからです。

私たちはつい、
「あの人は、きっとこういうつもりだ」
「あの言葉の本当の意味は、こうだ」
と、相手の心の中を補完してしまいます。

でも、本人より先に本人の意図を決めてしまったら、それは理解ではなく、創作です。

もちろん、今回の件はそうではありませんでした。

だけど、例えばそうやって創作した意図を「本人の気持ち」として誰かに伝えれば、何もなかった人間関係を動かしてしまうことがあります。

推測することが悪いのではありません。
ただ、その推測を誰かに伝える前に、「本当に、そういう意味ですか?」と、本人に確認する。

そのひと手間が、とても大切なのだと思います。

同時に、伝えられた側も、
「〇〇さんは、こういう意味で言っているらしい」と聞いたとき、それを確定事項として受け取らず、
「本人に確認してみますね」と、一度止めることができる。

今回は、伝えた人だけの問題でも、受け取った人だけの問題でもなく、言葉が人から人へ動く仕組みの中で起きた出来事だったのかもしれません。

だからこそ、これは誰か一人に向けた話ではなく、私自身を含めた全員に向けた話です。

分からないなら、本人に聞く

私が本当に何か伝えたいことがあるなら、基本的には私から直接言います。

今後もし、
「あらゆうさんが、あなたのことをこう言っていたよ」
「あのコメントは、本当はこういう意味らしいよ」

と、私以外の人から聞いたとしても、そのまま信じ切らず、一度私に確認していただけたら嬉しいです。

「あらゆうさんが言っていたらしい」と聞いたときは、「本人に確認してみるね!」でお願いします😆🙏

あらゆう語の通訳は、基本的に不要です。笑

そして、これは私自身にも向けた言葉です。
相手のことが分からないとき、人はつい、過去の経験や不安を使って、見えていない部分を埋めようとします。

今回、私もそうでした。

誰かに悪意があったのではないか。
以前の匿名投稿者と関係があるのではないか。
何の根拠もないまま、不安の中でひとつの物語をつくりかけました。

だからこそ、今回の学びは、
「勝手に通訳しないでほしい」
だけではありません。

「私も、分からない相手の意図を勝手に完成させない」
ということでもあります。

火種のないところに、火をつけない。
そして、煙が見えた気がしても、「火のないところに煙は立たない」と決めつける前に、本人へ聞いてみる。

「もしかして、燃えてます?」

と🤣笑

人間界では、誰かの解釈が重なっただけで、火種がなくても煙が立つことがあります。
でも、その煙の向こうにいる本人と話すことができれば、「なーんだ、そういうことだったのか」と、拍子抜けするほど簡単に晴れることもあります。

もちろん、誰とでも必ず話し合えるわけではありません。
それでも、今回のように、相手の話を聞き、自分の気持ちも伝えられる関係であれば、想像の中で相手をつくるより、直接話したほうがずっと早い。

今回は、ご本人が自ら連絡をくださり、投稿者さんとも確認し合うことができ、無事に誤解が解けました。本当によかったです。

「嬉しい」は、嬉しい。
「ありがとう」は、ありがとう。

そして、分からないことは本人に聞く。

たったそれだけで防げる誤解は、世の中にきっと、たくさんあるのだと思います。
私もこれから、誰かの言葉に勝手な意味を足しそうになったときには、一度立ち止まってみます。

煙が見えたら、火元を決めつける前に、「これ、燃えてます?」と聞くために。笑


最後までお読みいただきありがとうございました。
なお、この記事は、今回の出来事に関わったお二方へ事前に共有し、内容をご確認いただいたうえで、ご了承をいただき公開しています。

誰かを責めるためではなく、今回の出来事を、これからのコミュニケーションに生かせる学びとして残したい。

そんな私の意図をご理解くださり、快く記事の公開をご承諾くださったお二方に、心より感謝いたします。

本当に、ありがとうございました。

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あらゆう(新城優)|ストーリーブランディングアーキテクト 読んでくださるだけでとても嬉しいです。 もしこの記事が少しでも思考をほぐしたり、日々を軽やかにするきっかけになっていたら、チップでそっと応援していただけると励みになります。 いただいた応援は、また次の言葉や企画を、必要な人へ届けるための制作費として大切に循環させていただきます。