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優しい白昼夢


9月のある週末、私は心臓の手術を受けるため大学病院に入院した。病名は心臓弁膜症、文字通り心臓の弁がうまく働かなくなる病気で、今回の手術は弁を人工のものに交換する予定だった。私は山下祐子、今は63歳で仕事も定年となり、その後少し働いていたが、体調を崩したため、今年の春に退職した。ちょうど後任もできたので安心してやめることができたし、今は自分一人のことだけを考えれば良かった。手術の説明も一人で受けた。主治医は、手術の詳細な説明と合併症について話してくれたが、途中で「まあ、よくわかってるよね。」と笑った。昨年までこの病院で医療訴訟関係の仕事をしており、この医師とは顔なじみだった。
「ええまあ、何が起きても文句は言いません。きょうだいにもそう言ってあるので」そう言って笑い合った。この医師とは、訴訟や患者との話し合いで数々の修羅場を潜り抜けた同志みたいなものだった。

入院したのは金曜日でその日は慌ただしかったが、一連の説明や検査が終わるとその後は何もすることがなかった。手術は月曜日で、その前に院外へでることはできない。部屋に戻ったり、ダイニングルームに行ったりしてみたが、妙に手持無沙汰だった。私はこの病院で長らく事務をしていたが、病棟にはあまり来たことがなかったので、ちょっと病棟内を散策してみようと思い立った。病棟は東西に分かれていて、それぞれ科が異なっている。東側廊下の突き当たりまで行くと、大きな窓があり大学の運動場やテニスコートが見えた。練習している学生の声やボールの音がかすかに聞こえてくる。ふと見ると、運動場の一番端のほうに茶色い動物らしきものが見えた。
「山下さん、何を見ているんですか?」通りかかった看護師が声をかけてきた。
声をかけてきた看護師は、私もよく知っている中野さんだった。
「あれって、馬ですよね?」と私が指さすと、看護師は頷いた。
「大学に馬術部があって、厩舎があるんですよ。あれ、山下さん知らないんですか?」と彼女は不思議そうに言った。
「病院には長いけど、大学のことはあまり知らないのよ。ほら私は病院雇だったから」大学に勤める公務員には大学採用と病院採用がある。私は高卒で院内採用だったので、異動することはなく、大学のことはあまり知ることがなかった。
「晴れた日には馬が外に出してもらえるみたい」と教えてくれた。
窓の外を眺めていると、色々思い出してきた。子供の頃、馬が好きだった。信州生まれで実家がりんご農家だった。両親が堆肥作りのために近くの牧場から馬糞を分けてもらいに行くとき、私はリンゴを持って行った。傷物のリンゴが入ったバケツを持っていくと、馬房から馬が一斉に顔を出す。一頭ずつリンゴをやって、なでてやるとうれしそうに鼻面を押し付けてきた。両親が馬糞や藁を積み込んでいる間、私は厩舎で馬や牛、農場に住み着いている猫と遊んで待っていた。
両親は数年前に亡くなり、リンゴ園は弟が継いでいる。
今もあの牧場はあるのだろうか。私は窓際にもたれ、馬やテニスコートの学生たちを眺めながらその日の午後を過ごした。

 週明けの手術日には、弟と近くに住んでいる妹が来てくれた。手術室の前で「行ってくるね」と軽い気持ちで二人の手を握った。二人とも私より緊張していて、泣きそうな顔をしていて、こちらの方が「大丈夫だから」と声をかけたくらいだった。
 しかし手術が終わった後、私は結構危険な状態にあったらしい。術後ICUに入ったことは全く覚えていなかったし、その間ずっと長い夢を見ていたように思う。最初は目の前を三角や丸い形をした光の塊が動いていくのをぼんやり見ていた。それは人らしかった。体にまったく力が入らず、感覚も無かった。それから、急激な熱さと息苦しさが襲ってきた。体中が焼かれるように熱く、意識が朦朧として声もでなかった。
夢の中で、私は燃え盛る建物の前に立っていた。火の粉がぱちぱちと音をたてて降り注ぎ、黒い煙が立ち込めている。馬の嘶きが聞こえた。ここは厩舎らしかった。中から馬の悲鳴のような声や蹄を踏み鳴らす音も聞こえてくる。馬は閉じ込められているのだ。
「助けなきゃ」私が建物の入り口へ向かうと、煙の中から二頭の馬が出てきて行く手を遮った。中からは馬の悲鳴のような嘶きが聞こえてきた。
「どいて、行かなくちゃ、助けないと」中に入ろうとすると、2頭の馬は足踏みをして私を中に入れようとしなかった。なおも進もうとすると、馬は前足を上げて威嚇した。やがて、建物が大きな音をたてて崩れ、炎と煙の中からさらに2頭の馬が現れた。
四頭の馬は互いを確かめるように首や体を擦り付けあっていた。ほっとして座り込む私を置き去りにして、馬たちは煙の立ち込める闇の中へと走り去っていった。

「良かった、みんな無事だったのね」
ほっとして、馬の行く方向に歩いて行こうとしたら、後ろから声が聞こえた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」妹と弟の声だった。声につられて、後ろを向くと急に光がさしてきて、目が覚めた。意識が戻ったときに見えたのは、泣きそうな顔をした弟と妹だった。
「お姉ちゃん、良かった」そう言って二人は私の手を握った。私には何のことかよくわからなかったが、後から聞いたところでは、術後の経過が不安定で、急変して心停止したというのだった。

病室に戻ったのはそれから3日後だった。ICUで1週間を過ごし、その後歩いて廊下に出られるようになるまでには時間がかかった。病棟内歩行の許可がでたため、初めて一人で部屋の外にでたが、すっかり足が弱っていた。手すりにつかまりながら東の端に向かってゆっくりと歩いた。病棟の端から端までがこんなに遠いとは思わなかった。絨毯の色が西と東を分ける境目を過ぎ、東のエリアに入ると窓の方向が明るかった。今日は良い天気だから、きっと馬たちも外に出してもらっているだろう。そう思った。夢のせいか、馬を見に行きたかった。東の窓にたどり着いて外を眺めると、厩舎の前には2頭の茶色い馬が出ていた。空が青く日差しが春めいて暖かそうに見えた。
「またこの景色を見られて良かった」ふいにそんな思いがこみ上げてきた。この数日間の苦しかったことが思い出されて涙が溢れた。仕事上覚悟はできていると思っていたが、案外未練があったらしい。その穏やかな景色は世界がもう一度私を受け入れてくれたように感じられた。
しばらくすると日差しが陰ってきたのか、寒さを感じたので部屋に戻ることにした。元気になったら大学の厩舎に行ってみよう。部員さんに頼んだら、触らせてもらえるかもしれない。

部屋に帰る途中「山下さん散歩してきたの? 」とスタッフステーションから中野さんが声をかけてきた。
「やっと歩けるようになったので、馬を見てきたんですよ。見られるようになって良かったわ」そう答えると、急に彼女が顔色を変えた。
「ええ? 厩舎はこの前火事になって、馬たちもみんな死んだって。」
「嘘!だって馬がいた」訳が分からなかった。
中野さんがスマホでそのニュースを探して見せてくれた。
10日ほど前の記事だった。『23日午前2時25分ごろ、大学の敷地内にある馬術部厩舎で「煙と炎が上がっている」と通報があった。警察によると、厩舎約144平方メートルを全焼し、馬4頭が死んだ。』
頭が真っ白になった。私は慌ててもう一度東の廊下に向かった。中野さんも私の様子を見て心配し、一緒についてきてくれた。窓の外を見ると、そこには黒く焦げた焼け跡があり、もちろん馬はいなかった。さっき見えたのは何だったんだろう。
まだ私はせん妄状態なんだろうか?
私は中野さんにICUにいたときのことを話した。
「山下さんの意識が無かった時、ちょうど厩舎が焼けたのよ。馬たちがこっちへ来るなって追い返してくれたのね」
そう言って看護師の中野さんが慰めてくれた。私はまだドキドキする胸を押さえて病室に戻った。色々調べてみたが、厩舎が焼けたのは紛れもない事実だった。
まだせん妄ではないかと内心ひやひやしたが、その後の経過は順調で、私は回復し、退院することができた。中野さんとは、その後も何度か話す機会はあったが、馬について話すことはなかった。

術後二か月が経った十一月の半ば、私は実家のある長野に帰省した。弟がりんご園を継いでから、気候の良い時期に帰ることはあったが、この季節に帰るのは久しぶりだった。いつもトラブルを抱えていて忙しかったし、長野の冬は身に堪えたからだった。でも、この時は無性にりんご畑が見たかった。
隣の農場はすでになくなっていた。りんご畑からみると、一面の牧草地になっており、刈り取られてロール状になった牧草がいくつも転がっていた。
翌朝、外にでるとりんご畑は雪が積もって真っ白になっていた。
「これくらいの雪なら、りんごの色づきも良くなって甘味が増すんだ」弟は嬉しそうに話してくれた。
「姉ちゃん、あったかくしないとだめだよ。向こうとは寒さがちがうんやから」そう言って、私に自分のマフラーをぐるぐる巻きにまいてくれた。マフラーにダウンコート、カイロも貼って、万全の体制で外に出ると、冷たい空気が気持ちよかった。

畑は雪で真っ白だったが、りんごの木には枝がしなるほど真っ赤な実がついていた。あたりには、甘い香りが漂っていた。弟はりんごを取ったら、あとで送ってくれると言ってくれ、好きなだけ取っていいということだったので、私は赤くて美味しそうなりんごを次々にもいでいった。リンゴの重みが腕にずっしりとかかる。少し欲張りすぎたかもしれない。私は籠いっぱいのリンゴの中からひとつ選んで、かじってみた。甘酸っぱさが口の中に広がり、冷たい果汁が喉を滑り落ちていくと、思わず身体が震えた。両親が造っていたりんごの味だった。香りがよく酸味のあるりんご、小ぶりだけど評判がいいんだよと、弟が自慢していた。雪の中で食べる冷たいりんごは、幼いころの感覚を鮮やかに蘇らせてくれた。目を上げると、リンゴ畑の向こうに雪をかぶった山の連なりが見える。ふるさとの山々は子供の頃と少しも変わらない。

あれから何度か病院での出来事を思い返してみたが、せん妄状態で見た夢なのかそれともいわゆる臨死体験だったのかはわからない。
でも馬たちは確かに私に生きろと言ってくれていた。それだけはよくわかった。
「姉ちゃ――ん」向こうから弟の呼び声が聞こえた。弟は私の病気以来、ずいぶん心配性になったみたいだった。
「はーい、今行く」
私は畑の中にあった切り株の上に、りんごを4個並べた。
「いつでも、好きな時にきて食べてね」あてもなく声をかけてみる。
届くといいな、そう思いながら家の方に歩いていくと、また雪が降り始めた。


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