【歴史総合講義録】#40(1) 第2次産業革命と帝国主義
今日のテーマは「第2次産業革命と帝国主義、そして列強各国の内政」です。
「歴史総合」という科目は、日本史と世界史の「結びつき」を重視する科目ですよね。今回の単元は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、世界がどのように一体化し、そしてどのようにぶつかり合っていったのかを示す「最大の転換点」になります。のちの第1次世界大戦、そして日本の運命を大きく変える日露戦争へと繋がっていくバックボーンです。
今回の授業では、「なぜ、このとき世界はこんなにぎらついた(帝国主義的な)動きをしたのか?」「それぞれの国は、中でどんな爆弾(国内問題)を抱えていたのか?」を、わかりやすく解説していきます。
長くなるので2回に分割してお届けします。
今回は帝国主義政策・イギリス、フランス、ドイツについて学んでいきましょう!
1. 導入:スマホも、プラスチックも、すべてはここから始まった!
まずは皆さんに一つ、身近な問いを投げかけてみましょう。
みなさんが毎日使っているスマートフォン、あるいは着ている服のポリエステル繊維、部屋のプラスチック製品。これらに共通する「大もとの原料」や「エネルギー」って何でしょうか?
そう、「石油」と「電力」ですよね。
実は、人類がこれらを本格的に使い始めたのが、今回勉強する19世紀後半の第2次産業革命の時期なんです。
これ以前の第1次産業革命(18世紀後半にイギリスで始まったもの)の主役は、「石炭」と「鉄」、そして「蒸気機関」でした。
それがこの時代になると、主役がガラリと交代します。
エネルギー源: 石炭 ➔ 石油・電力 へ
産業の中心: 軽工業(綿織物など) ➔ 重化学工業(鉄鋼・化学・電機など) へ
この変化が、世界の歴史をものすごいスピードで動かすことになります。なぜなら、重化学工業を興すには、これまでにない巨額の資本(莫大なお金)が必要だったからです。
個人商店や小さな町工場レベルでは、巨大な製鉄所や化学コンビナートは建てられませんよね。そこで、銀行から融資を受けたり、株式を発行したりして資金を集めた、巨大な企業(独占企業やカルテル、トラストなど)が誕生します。
しかし、ここに大きな問題が発生します。
巨大な工場で、製品を「大量生産」できるようになりました。でも、作ったものは誰が買うのでしょう? 原料の石油やゴムはどこから手に入れますか?
国内だけで消費しきれなくなった企業や国家は、「自国の製品を売るための市場」と「安くて豊富な原料の供給地」、そして「有り余った資本(お金)を投資してさらに儲ける場所」を、喉から手が出るほど欲しがりました。
その結果、何が起こったか。
武力を使ってでも海外に領土を広げようとする動き――そう、植民地拡大を競う帝国主義の時代が幕を開けるのです。
当時、欧米の列強(強い国々)は、この侵略行為を正当化するために、ある「大義名分」を掲げました。それが、キリスト教的な価値観に基づく「文明化」であり、イギリスの詩人キップリングの言葉に代表される「白人の責務」(未開の地を導いてやるのが進んだ白人の義務である、という非常に傲慢な考え方)です。他国を支配することを「良いことだ」と思い込もうとしたわけですね。
さあ、この「ギラギラした世界」の中で、列強各国の中身(内政)はどうなっていたのでしょうか。実は、外に対して強気な国ほど、国内には「労働者の不満」という大きな爆弾を抱えていたのです。ここからは国ごとにドラマを見ていきましょう!
2. イギリス:世界帝国の光と影と「アイルランド問題」
まずは「太陽の沈まない帝国」ことイギリスです。
世界中に膨大な植民地や、実質的な支配下にある自治領(カナダやオーストラリアなど、白人移民が中心で内政の自治が認められた地域)を抱え、世界最強を誇っていました。
しかし、国内では労働者が力を持ち始めていました。1900年、労働組合などを母体として「労働代表委員会」が結成され、これが1906年に労働党へと改称されます。
イギリスといえば、長らく「自由党」と「保守党」の二大政党制でした。しかし、このとき誕生した労働党がじわじわと支持を伸ばし、やがて自由党を圧倒して二大政党の一角にのし上がっていくことになります。労働者の声が政治を動かす時代に入った証拠ですね。
そして、この時期のイギリス内政の最大のトピックといえば、アイルランドをめぐる問題です。
隣の島であるアイルランドは、長年イギリス(イングランド)に征服され、厳しい支配を受けていました。彼らの多くはカトリック教徒ですが、イギリスはプロテスタントの国。宗教対立もあって、アイルランド人たちは「自分たちの政府を持たせてくれ!」と猛烈にアピールし続けます。
これに対し、イギリス議会では1914年にようやくアイルランド自治法が成立します。
「よし、これで解決だ!」と思うじゃないですか。ところが、そうは問屋が卸しません。
アイルランド北部(アルスター地方)には、イギリスから移住してきたプロテスタントが多数住んでおり、彼らは「自治法大反対!イギリスにとどまりたい!」と主張したのです。さらに、同じ1914年に「第1次世界大戦」が勃発してしまったため、この自治法の実施は一時延期されてしまいます。
これがのちに、過激な独立運動(1916年のイースター蜂起など)へと繋がっていくことになります。外では世界最強でも、足元のアイルランドは大揺れだったわけですね。
3. フランス:スキャンダルに揺れる「第三共和政」とドレフュス事件
お次はドーバー海峡を渡ってフランスへ。
フランスはナポレオン3世の帝政が崩壊した後、皇帝のいない政治体制である第三共和政(1870年〜)をとっていました。
フランスの特徴は、小党分立でとにかく内閣がコロコロ変わること。政治が非常に不安定でした。そんな中で、国を二分する「大スキャンダル」が発生します。これが有名なドレフュス事件(1894年〜)です。
ある日、フランス軍の軍事機密が、敵国であるドイツに漏洩していることが発覚しました。容疑者として逮捕されたのが、ユダヤ系のアルフレッド=ドレフュス陸軍大尉でした。
実はこれ、まったくの冤罪(無実の罪)だったんです。真犯人は別にいたのですが、当時の軍部は「ユダヤ人だから裏切ったに違いない」という偏見にまみれ、事実を隠蔽してドレフュスを悪者に仕立て上げました。
これに対して、作家のゾラらが「私は告発する」という公開質問状を発表し、ドレフュスの無実を訴えます。
ドレフュス擁護派(人権擁護・知識人・共和派・社会主義者): 「人権を守れ!冤罪を許すな!」
ドレフュス糾弾派(軍部・カトリック教会・右翼・ナショナリスト): 「軍の威信を守れ!国家の秩序が第一だ!」
国中を巻き込んだ激しい対立の末、最終的にドレフュスの無罪が証明されました。この事件の結果、フランスでは軍部やカトリック教会といった保守勢力が後退し、共和派が主導権を握ります。
そして1905年には、社会主義勢力が大合同して社会党(統一社会党)が結成され、労働運動も盛んになっていきました。
4. ドイツ:「新皇帝」の暴走と、社会主義の「現実路線」
続いて、19世紀後半にヨーロッパの超新星として急成長したドイツです。
ドイツ帝国の基礎を築いたのは、名宰相ビスマルクでした。彼は「フランスを孤立させる」という天才的な外交ゲーム(ビスマルク体制)を展開し、ヨーロッパの平和を保っていました。
ところが、1888年に新しい若い皇帝が即位します。それがヴィルヘルム2世です。
【人物像:ヴィルヘルム2世ってどんな人?】
非常に目立ちたがり屋で、プライドが高く、軍服が大好き。おまけに「ビスマルクの影」に隠れるのを嫌いました。彼は即位するやいなや、老練なビスマルクと対立し、1890年に彼を引退させてしまいます。
ヴィルヘルム2世は、ビスマルクの「ヨーロッパ内でのバランス外交」を捨て去り、自ら先頭に立って海外へ進出する世界政策をぶち上げます。「ドイツも世界帝国になるぞ!日の当たる場所を獲得するぞ!」というわけです。
当然、これはイギリスやロシアといった先発の列強を激しく刺激し、国際緊張を一気に高めることになります。
一方で、国内に目を向けると、ドイツでも工業化に伴って労働者が激増していました。
ビスマルクはかつて「社会主義者鎮圧法」というアメとムチの政策で労働運動を力づくで抑えていましたが、彼が引退したことでその縛りが解けます。
そして力を伸ばしたのが、社会民主党(SPD)です。
この政党の中で、歴史的にとても重要な理論の論争が起こりました。
マルクスが唱えた社会主義の基本は「革命によって資本主義を打倒すること」です。でも、選挙で議席を取って、法律をまっとうに変えていけば、革命なんて物騒なことをしなくても労働者の生活は良くなるんじゃないでしょうか?
この「議会を通じて平和的に社会主義を実現しよう」という考え方を唱えたのが、ベルンシュタインです。彼のこの思想は、マルクス主義を修正したという意味で修正主義と呼ばれます。
結局、ドイツ社会民主党は、建前としてはマルクス主義の「革命」を掲げつつも、実質的にはこのベルンシュタインの「修正主義(現実路線)」に近い形で議会での影響力を強め、国内最大の政党へと成長していくことになります。
今回はいったんここまで。
