86arts|NORA(東京芸術劇場)
ヘンリック・イプセン『人形の家』を原作に、スマートフォンを使った演出で舞台を現代に置き換えた作品です。
名作演劇を観たくて
recr経由の演劇鑑賞も回数を重ね(5回くらい)、Geekにランクアップ!ちょっと演劇をみる眼が育ってきた気がします。最近は古典の名作が観たいという目標も出てきました。シェークスピアとか「かもめ」「ゴドーを待ちながら」とかですかね……。(パピヨン本田知識)
ということで、今回はヘンリック・イプセン「人形の家」原作の舞台を鑑賞してきました。
優しい夫と子どもたちと幸せに暮らしていたノラが、ある事件をきっかけに「夫は自分を愛しているのではなく、自分に相応しい美しく従順な妻を所有したいだけ」と気付いてしまい、夫の支配から離れて自立するお話と認識しています。主演の黒木華さんはイメージぴったり。セリフの約8割はスマートフォンという現代風の演出も面白そうです。
透明な壁の向こうで
舞台は上部がスマホ画面を映し出すスクリーン、下部が演者が見える透明なアクリル板(?)越しになっています。開演前や幕間には上部に「役者側のスマホの操作をリアルタイムで反映させるので、混線しないように電波を発する機器の電源は絶対にオフにしてね」という注意書きが映し出されていました。使い方が上手い、大事な注意喚起ですね。
このアクリル板越しというのが、また演出として上手いのです。
舞台は、役者と観客が同じ空間にいる一体感が売りのひとつでもあります。ですが、今回はアクリル板でステージと客席を明確に区切ることで、演者と観客との間に絶妙な距離感を生み出していました。
昼ドラやゴシップニュースを客観的に見ているようでもあり、プライベート空間に設置されたカメラの映像や他人のスマホ画面を盗み見ているようでもあり、こちらの安易な感情移入や共感を拒否する壁にも感じられました。
原作は古典ですが、場面転換の暗転中に重低音が流れるところに現代演劇っぽさを感じました。
スマホを駆使したやりとり
本作の演出の肝が、スマホを介したリアルタイムのやりとりです。開演前は「メッセージアプリのやりとりと実際の会話や行動の違いが、本音と建前や公私の顔の使い分けを表現するのかな」と予想していました。
実際はメッセージアプリ(LINEとFacebook?)とボイスメッセージ、ビデオ通話、それから検索画面や音楽再生といったコミュニケーション以外の使われ方もされて、主人公たちの行動様式がしっかりと現代化されていました。
本当にリアルタイムなので、打ち間違えや途中で送信してしまうミスもそのまま上演。DMでやりとりしながらSNSの投稿をチェックしたり、検索中にメッセージを受信したポップが出て画面を切り替えたり、登場人物たちの状況が刻々と変わっていく様を外面と内面から見ることができます。
ただ、外面/内面、リアル/スマホの対比を演出するために、誰かと会話してる最中やダンスレッスンの合間にスマホを操作する場面が出てきてしまい、スマホ依存の人や失礼な人になっているのが個人的に気になりました。(笑)

ノラは純真無垢なのか?
原作を読んだり観たりしていないので解釈違いはあるかと思いますが、ノラ(黒木華さん)は「仕事ができて優しい夫と可愛い子どもたちに恵まれ、私はなんて幸せなのかしら」と純粋に思っていた無垢な(ある意味無知な)女性だという認識でした。けれど本作を観ると、ノラにも打算的なところが十分にあったように思いました。
①経済力を重視
ノラと友人クリスティーン(瀧内公美さん)とは数年ぶりのやりとりで、お互いライフステージが変わっていることもあり、根掘り葉掘りプライベートなことを聞いて、FBの投稿も遡って見ていました。そこでストレートに「あなたの夫はお金持ちだったのか」と聞く場面もあって、意外に結婚相手の経済力を気にしているのだと伝わってきます。
もうあと、夫ヘルメル(勝地涼さん)がちょっと気持ち悪くて。ノラを「僕の可愛い子リスちゃん」と呼び、「クリスマスプレゼントは現金で欲しい(そのほうが自分で使い方を選べるから、本当は借金返済に充てられるから)」というノラに札束を広げた笑顔の自撮りを送りつけます。それから、イタリア大使のクリスマスパーティーに呼ばれたので、妻に民族舞踊「タランチュラ」を習わせて披露させます。しかもタランチュラにセクシーな意味合いを重ねて興奮してきちゃったとか言うんですよ。まあ気持ち悪さは置いておいて。
そうしたことから、ヘルメルはノラを「人形(出世のための駒)」と思っていること、お金持ちであることが何よりのステータスで、自分の振る舞いに酔っていることがうかがい知れます。「何でこんな人と結婚したのだろう」と引っかかるところがありました。
ヘルメル自身への愛がなかったわけではありませんが、ノラはヘルメルの経済力や社会的地位に惹かれて、多少のことには目を瞑っていたのかもしれません。
愛よりお金を優先するにしても、人間性は大事では? 原作当初の女性の経済状況や結婚観の違いもありますし、一旦私の考えは置いておいて。
②取り繕いが上手い
ヘルメルの友人クログスタ(鈴木浩介さん)からの暴露の手紙を読ませまいと、ビデオ通話で気を引くシーンがあります。ビデオ通話の画面に自分の顔が映った途端にノラは泣き顔になり、ほかのレッスン生や先生も巻き込んで、グダグダと下手な踊りを見せます。
ここはヘルメルも辛抱強く付き合ってくれてるなと感心しました。(笑)
文書偽造の罪がバレないようにと必死な気持ちはわかります。にしても、声だけではなく顔や全身が映る状態で嘘をつくわけですから、(役柄上)素人なのに泣きの演技が上手いことに、恐ろしさも感じました。
そもそも専業主婦の名義で大金を借りることが難しく、エリートの妻がアルバイトをするのは世間体が悪い。それでもヘルメルの医療費をどうにかしたいとクログスタに借金をして、夫や子どもにバレないように自分に使うお金を切り詰め、上手いことお小遣いをせびり、借金を返済します。
ノラは決して愚かではなく、むしろ賢く家庭を回して、さらに肝が据わっているように感じます。
*
総じて、以前から悲しみの種は存在していたのですが(アクリル板越しの観客は明確に冷静にそう判断できる)、現段階では発芽を抑え込める、無害なままで通せるとノラは判断していたのでしょう。
上手いこと打算的に生きる
主要な登場人物の4人は、それぞれ自分の思惑どおりに相手に動いてもらおうと画策します。一番上手く立ち回れたのはクリスティーンで、新しい仕事とパートナーをなんとか手に入れました。
そのクリスティーンは友を思う気持ちから、「本当のことを夫に打ち明けた方が良いのでは」とノラに助言します。ノラも誤魔化したままでは居心地が悪いだろうし、いつかまた秘密が露見する日が来るかもしれない。夫が自分を愛しているなら罪をともに背負ってくれるのではと、真実をヘルメルに告げます。
ヘルメルは「信用できない、子どもたちを任せられない」とノラを罵りますが、クログスタが文書偽造を公表しないとわかると前言撤回します。
豪快すぎる手のひら返し。ここでヘルメルが冷静に話し合いや批判をして、ノラを信用しない態度を貫いたら道理もわかるのですが、小物ですね。
ヘルメルは自分のことしか考えておらず、簡単に妻を切り捨てる選択ができると判明した以上、これまでの関係には戻れないと、ノラは夫と子どもを置いて家を出る決心をします。
ノラは少なくとも、お互いに夫婦という心のつながり、共同体としての意識があると信じたかった。ですが、その希望は打ち砕かれてしまったのです。
劇中、ノラはシルクのベッドリネンの商品ページを見ていていました。おそらく借金が返し終わったら欲しいと思っていたのでしょう。ベッドリネンは、大抵は夫婦お揃いで、家での安らぎを象徴するものです。その願いは叶いませんでした。
というか、クリスティーンやクログスタは友人と言っていいのだろうか。同級生や同期程度の仲やフレネミー(表面上は仲の良さを装っているが敵)なのではないだろうか。
ノラの旅立ち
ノラは夫の支配から脱却して決意も新たに旅立っていくのかと思いきや、あまり晴れやかな感じはしないのです。もちろん経済的な基盤と子どもを失うわけですから、幸先は明るくありません。
ですが、それよりも不都合なことに蓋をしていた自分と向き合い、自分の人生を責任をもって生きていこう。まるで戦場に繰り出すような、腹を括る様子が感じられました。
本作は「妻であり母親である前に一個の人間として生きたい、女性解放の書」とされていますが、1879年に発表された原作を現代に置き換えているので、そのように現代の価値観で解釈するのも鑑賞態度としてありなのではないでしょうか。
私の人生経験の無さとドロドロ・コミュニケーションの苦手さもあり、何だか綺麗な受け取り方しかできていない気がするので、もったいなさも感じています。
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