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1500年前の瞑想と祈り

新緑が芽生えはじめた季節。緑の風が気持ちよく吹き抜け、川のせせらぎが谷の下から聞こえくる山の中。なにもなさそうな自然のなかに、石で組まれた門がひとつありました。

ここからは人間の世界もありますよ。と語りかけてくるような門の中へと入っていきます。

人と自然が仲良く共存しているような空間は、ただ歩くだけで気持ちが良いです。

そうしてたどり着いた先がここです。


わたしは、ひとり

イタリア語でサンベネデット。日本語での名称は聖ベネディクト。

どなた?

480年 ウンブリア州のノルチャ生まれ。
10代になりローマに行くが退廃的で混沌とした都市に嫌気が差し、修道生活に入る。17歳からスビアーコと呼ばれる山の中で隠遁生活を送る。

歴史的に476年はローマ帝国が滅亡した年とされています。ローマは主を失い、右往左往と彷徨い迷走していた時期であることは容易に想像できます。美しい自然と愛する人たちに囲まれ育った、感受性が人一倍強い10代の少年ベネディクト君にとっては、同じ世界なのに、この天と地の差に衝撃を受けたのでしょう。

ローマの生活から180度振り子が振り切るように、修道士になることを志し、都市に背を向け山奥へと足を向けます。ベネディクト君が17歳のときです。

いまは497年。あと3年経てば500年。500年の復活祭のときまで、わたしは奥深い山の洞窟で、誰にも会わずたった1人で祈りを捧げる生活を送ります。

隠遁生活を送った洞窟と碑文

If you are seeking the light, Benedict, why do you choose the dark grotto?
The grotto does not offer the light you are seeking.
But continue in the darkness to seek the shining light,
Because only on a dark night do the stars shine.

ベネディクトよ、もしお前が光を追い求めるならば、なぜ暗い洞窟を選ぶのか? 洞窟はお前が求める光など与えてはくれない。 それでもなお、輝く光を求めて暗闇を進むがよい。なぜなら星々が輝くのは、深い夜の中だけなのだから。

暗闇の中にこそ光がある。意味深長なこの言葉。国も文化も違う遥か昔の人の言葉なのに、心に響きます。外に光を探すのではなく、内なる自分に光を探し、感情に振り回されず、いつも心穏やかに過ごしたいものです。

わたしは、みんなと共に祈り働く

西暦500年、ベネディクトは二十歳になり青年に成長していました。洞窟を出て山を少し下ったところで、ほかの修道僧と共同生活を送るようになります。

眼下に見えるのが修道院です。

まだ若い青年でしたが、カリズマ性があったのでしょう。修道長にと求められ、弟子も増えていきます。

約30年間に渡り留まりますが、その後、ローマとナポリの中間に位置する高台にモンテカッシーノ修道院を創設します。

モンテカッシーノ修道院は529年に建立されて以来、世紀を超えて聖なる場所として大切に扱われるようになります。それが20世紀に入り一瞬にして破壊されてしまいます。建立から1415年後のことです。興味のある方は、こちらのナポリ編をご覧ください。

当時は、ベネディクトのように、ひとりで山に籠り隠遁生活を送る修道士が多くいましたが、ベネディクトは自身の隠遁生活後に、共同生活を送るようになり、ひとつの戒律を定めます。

Ora et Labora 祈りと労働
祈りと労働の両方を通して神に仕えます。
祈るのはもちろん、農作業、写本制作、教育、手仕事などの労働も、わたしたちの重要な務めです。

欧州各国に修道院がありますが、その一番最初たるものがモンテカッシーノ修道院です。

「祈りと労働」の教えに基づき、修道士は外界から閉ざされた修道院の中で生活し、生きる糧である野菜やパンなどの食料は自給自足し、労働をする以外の時間は神に祈りを捧げて過ごしていました。

それまで修道士はひとりで隠遁生活をすることが常とされていたのを、修道院の中に1人1部屋を与えられ、共同生活することになります。これは大きな改革であり、イタリアにとどまらず各国に広まることとなります。

この改革者がベネディクトであり、現在は聖ベネディクトと呼ばれています。

聖なる洞窟 サクロ・スペーコ修道院

わたしが訪れたのは、ベネディクトが17歳のときに隠遁生活を送ったスビアーコにあるサクロ・スペーコ修道院です。スペーコはラテン語で洞窟を意味しており、『聖なる洞窟の修道院』という意味になります。

ガイドさんの案内が始まります。日差しが強く暑い日でした。木製の扉から室内に入り、薄闇のなかに身を置くと、ひんやりとした空気と教会の独特の匂いに包まれます。外界とはまったく違う時間軸にいるようで、自然と厳かな気持ちになります。

「目を見開く」という言葉がありますが、まさに、そのときの感情を言い当てています。すべての壁が装飾されており、白い部分が見当たりません。フレスコ画は中世には読み書きできない人のための「貧者の聖書」と呼ばれていました。正面にキリストの磔刑図、左右には聖書の物語、天井には聖人が描かれています。

フレスコ画技法なので、上まで足場を組み描いていったものです。

なんて鮮やかな色なんでしょう。青色の下にうっすり赤色が見えるのは、天体のような深い群青色を出すためでしたが、時間とともに青色の顔料が薄れていったので、このような効果になっています。

聖ベネディクトは数々の奇跡を起こしており、もちろん教会内に描かれています。

聖人の前にひざまづく修道士が手にしているものは?

ふっふっふ。ワインに毒薬を盛ってあるから、これを飲んだらベネディクトは頓死するぞ。偉そうに、何様だと思っているんだ。思い知れ。

ワインを持ってきてくれてありがとう。ちょっと十字を切ってみるね。

あれまあ、パカっとグラスが二つに割れてしまいましたとさ。

こちはどんなシーンでしょう。

最近、あの修道士、ちょっと変じゃないか?祈りのときも気がそぞろで外に出ようとばかりするよ。

悪魔に服を引っ張れている姿を目撃した聖ベネディクト。

ちょっと、こちらに来てみなさい。パン!パン!パン!

悪魔を追い出し、若き修道士は正気に戻りましたとさ。

1700年代のパイプオルガンの音色

小さい祈祷室もあります。

飴色の丸みのある木の温もりは時間が作り上げたもの

小さなパイプオルガンが置かれており、観音式の木製の扉には、内側にあるパイプの様子が描かれています。

「音色の組み合わせの規則」と記載があります。パイプオルガンを鳴らすときの決まりがあるんでしょう。

「このような環境で、1700年代のオリジナルのパイプオルガンを見たことありますか? どんな音が鳴るか聞いてみたいですか?」とガイドさんが嬉しい提案をしてくれ、参加者たちがうんうん。と頷くと、おもむろに椅子に座り、木製の扉を開け、鍵盤に手を載せます。

私たちのガイドさんは、知識が豊富で説明も上手な、若いお兄さんでした。白いコットンのセータにハーフダウンジャケットというカジュアルな出で立ちの彼が、まさかの、パイプオルガンの演奏。

音を聞きながら、ベネディクト派の修道服に身を包む、若い修道僧に見えてきました。

こんなに近距離で聞いたのは初めてで、パイプオルガンはストップというのかしら、レバーひとつでこんなに音が変わるなんて感動です。心の奥まで響くような、とても美しい音色でした。

そうしてここが、聖ベネディクトが17歳のときに3年間、隠遁生活をしていた聖なる洞窟です。

洞窟がただあるのみの闇の中で、光を求め祈りを捧げたところです。

もうひとりの聖人

修道院には、もうひとつ、とても珍しい絵が残されています。

アッシジの聖フランチェスコの肖像画です。1223年にここスビアーコにやって来て、この洞窟を訪れています。当時の修道士が、有名な説教者であることに気づき描いたようです。

聖フランチェスコが存命中に描かれた唯一の肖像画で、 まるで写真のように描かれています。後世になり描かれるようになる、頭の後ろの後光もなければ、両手に受けた聖痕もありません。両目の大きさが違うのは、作者の技量不足ではありません。

聖フランチェスコは目の病気を患っており、左右の目の大きさが異なっていたようです。それがそのまま描かれています。

聖なる階段

わたしたちは、地上階から階下へと少しづつ降りましたが、地下から入り、階段を上がって行くのが正当なルートです。「聖なる階段」と呼ばれる階段を登っていくと、先ほどの聖フランチェスコのフレスコ画があり、さらにもう少し先へ行くと、聖ベネディクトの聖なる洞窟があります。

聖なる階段には、死にまつわるフレスコ画が描かれています。白馬に乗って剣を振りかざしているのは死神です。

こちらは死の経緯を表しています。命を落とした人物が棺桶に寝かされており、少しづつ腐敗が進み、最後は骸骨化することを時系列で示しています。

これらのフレスコ画はシエナ派の工房が描いたようですが、1348年に欧州を震撼させた黒ペストでシエナの人口は3分の1になります。これらの体験があるから、この絵が描けるのかもしれません。

この階段を登るとき、死を想い(メメント・モリ)、ひいては、「今のこの瞬間を大切に生きよう」という気持ちが湧き起こることでしょう。

丸い大理石の下に、「ここで聖なる階段は終わりです。」と表示があります。

丸い大理石には、意味不明な、言葉にならないアルファベット文字が並んでいます。

これはなんでしょう。

悪魔を退ける祈りの頭文字です。

聖なる階段から上は、悪魔は退散せよ。というお祓い的な意味もあるのでしょう。

聖ベネディクトのメダイの裏面は、カトリック教会の中でも特に強力な「悪霊追い払い(悪魔祓い・退魔)」の祈りが込められたデザインとして有名です。

十字架の四隅の文字 C S P B
Crux Sancti Patris Benedicti (聖なる父ベネディクトの十字架)
十字架の縦のライン C S S M L
Crux Sacra Sit Mihi Lux (聖なる十字架が私の光となりますように)
十字架の横のライン N D S M D
Non Draco Sit Mihi Dux (竜〈悪魔〉が私の導き手となりませんように)

メダイの縁(外周)を囲む文字
上部の中央には、キリスト教の象徴である 「IHS」の文字。時計回りに、悪魔を退ける激しい言葉の頭文字が並びます。
V R S N S M V Vade Retro Satana! Nunquam Suade Mihi Vana!
(退けサタン!決して私に虚しいことを勧めるな!)
S M Q L I V B Sunt Mala Quae Libas. Ipse Venena Bibas!
(お前が差し出すものは悪である。お前自身がその毒を飲むがよい!)

映画「エクソシスト」で神父さんが悪魔に向かって十字架を手に持ち言葉を唱えますが、そんなシーンを思い浮かべました。

高尚なメッセージを伝えるフレスコ画のところどころに、文字がつらつらと彫られています。すごく不自然。絶対に製作時に描かれたものではありません。

訪問した巡礼者のなかで、文字の書ける人たちは、「我ここにあり」的に、フレスコ画にガリガリと、自分の名前を書き入れていたようです。

一言で表せば「落書き」。

1800年代までこの落書き文化は続いたようで、いまでは貴重な歴史のひとつとして認識されています。

聖なる階段を登り、洞窟を訪れ、さらに先に歩を進めると、私たちが一番最初に足を踏み入れた教会へと辿り着きます。

敢えて下から建物に入ることで、死の勝利を通り過ぎながら地下を抜け、上昇を続け、最終的に光のある天界へと移動するような心持ちになったのはないでしょうか。

外に出ると、太陽の日差しが現世に迎え入れてくれました。

聖ベデディクトはキリスト教のなかでも特に重要で大切な聖人です。名前は頻繁に出てきますが、実際にスビアーコに行き、理解が深まったように思えます。紙面上の名前だったのが、姿を現したようです。

スビアーコの聖ベネディクト修道院

予約は必要ありません。訪問される方は、午前もしくは午後の最初の開始時間に合わせて行かれることをお勧めします。時間が過ぎるにつれ、団体グループがバスで乗りつけてくるので、すごい混みようでした。見学後は各々が喜捨します。相場はひとり5〜10ユーロです。

ローマから公共交通館を乗り継いで1時間30分ほどで行けるみたいです。

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