見出し画像

青春を蘇らせる夢 -小説『回想のブライズヘッド』の面白さ 


 
ある芸術家の代表作が、その創り手の他の作品と大きく肌合いが異なることは、意外とよくあることです。しかし、子細に見てみるとその「例外的」と思われた要素も、その創り手の中に確かに存在していたものだったりします。
 
イギリスの小説家イーヴリン・ウォーの1945年の小説『回想のブライズヘッド』は、ブラック・ユーモアに満ちたこの作家に珍しくノスタルジックな要素があると言われつつ、ある種の連続性も感じさせる名作です。


岩波文庫版『回想のブライズヘッド』
表紙の絵は、若い頃の作者ウォーの肖像画




第二次大戦末期。将校のチャールズ・ライダーは、部隊と共に駐屯場所を転々としています。部下の俗物のフーパーにうんざりしつつ、次に駐屯する場所のあるブライズヘッド、その美しい屋敷の姿を見て衝撃を受けます。

 

私は前にここに来たことがあった。ここのことは何でも知っていた。

小野寺健訳

 
 
「私」ことライダーは回想します。20年前、オックスフォード大学の学生だったライダーは、ひょんなことがきっかけで、貴族の御曹司セバスチアンと出会います。
 
この魅力的だけど、テディベアを抱え、どこか破れかぶれなところがある若者によって、退屈な大学生活は一変。

セバスチアン一家が住む屋敷のあるブライズヘッドに招かれ、ワインを楽しみ、一緒に日光浴しては駄弁ったり。そして彼の風変わりな家族と出会い、夏休みはセバスチアンの父マーチメイン卿とその愛人が住むヴェネツィアの豪華な別荘まで旅行したり。
 
しかし、セバスチアンには過度の飲酒癖があり、家族からも浮いていました。。。


1981年のグラナダTVドラマシリーズ
『回想のブライズヘッド』




この作品の魅力は何と言っても、主人公ライダーが経験する、英国貴族の生活が垣間見られる青春模様でしょう。
 
英国式庭園を含めた広大な屋敷、いわゆるカントリー・ハウスの美の克明な描写。そこで暮らす貴族や執事、お茶の時間や食事。そしてヴェネツィアの別荘。
 
今でも英国BBCのテレビドラマシリーズにあるような(実際この作品も映画やドラマになっています)英国上流階級の生活。それをアッパーミドルクラス(中上流階級)の異邦人のライダーの視点によって、追体験できます。


 

81年版TVドラマシリーズ
『回想のブライズヘッド』



真の貴族とは、自分の財産を数え上げてお宝を自慢するような、ただのお金持ち・ブルジョワとは違います。
 
貴族たちとの付き合いも深かったココ・シャネルが『シャネル -人生を語る』で言っていたように「莫大な財産や価値のあるものを所有しているけど、一体どれだけあるか分かっていない」のが、本物の金持ち貴族です。その意識は、ブライズヘッドの上流階級の人々にも息づいているように見えます。


ノーヨークシャーにあるキャッスルハワード
81年版TVシリーズ『ブライズヘッド』のロケ地になった

 


ただ、それはジェイン・オースティン原作のテレビドラマシリーズと違い、第一次大戦後の世界です。美術に詳しいライダーがラスキンやロジャー・フライ(19世紀末の美術批評家)の話題を出すと、そういえばそんな時代だっけと思ったり。
 
つまり、これは英国貴族が滅びゆく世界でもあり、それを体現しているのがセバスチアンでもあります。


2008年の映画『回想のブライズヘッド』
配信の邦題は『博愛と友情』




しかし、この作品が興味深いのは、第二部以降の後半は、セバスチアンを離れて、画家になったライダーと、セバスチアンの妹ジューリアとの関係に焦点があたるところ。
 
そこでは、前半の青春の日々の甘酸っぱい回想はなくなり、ジューリアが結婚するレックスという有能で浅薄な国会議員への辛辣な眼差しや、ライダーの苦い結婚生活等、殆ど別作品のようなシニカルさが炸裂します。
 
ちなみに、ライダーの造詣には明らかにゴーギャンをモチーフにした痕があり、同時期イギリスのサマセット・モームの小説『月と六ペンス』と被っています。文明を捨てて最果てのタヒチで絵画を制作して没した彼の生涯が、現在考える以上に当時の人に大きなインパクトを与えたのを感じられたり。
 

ポール・ゴーギャン『自画像』
オルセー美術館蔵


そしてモームは自身を「三流の中の一流」と自虐していましたが、その評はある意味、『回想のブライズヘッド』作者のイーヴリン・ウォーにもあてはまります。
 
イギリスのユーモア小説に連なるウォーの作品はしかし、うまいことを言おうとして過剰になりがちな比喩も併せて、浅薄になってしまうような感触も。例えばプルーストであれば皮肉を聞かせつつ、息継ぎをさせないレベルの長文の大量の豊饒な語彙で圧倒するわけで、どうしてもウォーの方が皮相に見えてくるところはあります。まあそれも魅力と言えば魅力。
 
とこのように単なる「英国貴族文化を体験できるノスタルジア文学」に収まらない面白さがあるのが『回想のブライズヘッド』と言えるでしょう。




イーヴリン・ウォーは1903年ロンドン生まれ。父親は出版社の社長で文芸評論家。裕福な中上流階級出身でした。
 

イーヴリン・ウォー


パブリックスクールからオックスフォード大学に入学するも、放蕩が過ぎて退学。各地を放浪しつつ、1928年にラファエル前派の画家・詩人のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの評伝と、自身の放校体験を基にしたユーモア小説『大転落』でデビュー。
 
同年イーヴリンという同名の女性と結婚していますが、彼女の浮気により離婚。同時にカトリックに改宗しています。1930年の二作目『卑しい肉体』は第一次大戦後の「ブライト・ヤング・ピープル」という無軌道な若者たちの生態を辛辣に描きつつ、離婚の痛みが反映された作品でした。
 

『卑しい肉体』初版本表紙


『一握の塵』『スクープ』といったブラック・ユーモアに満ちた小説を発表する一方、第二次大戦には将校として参加しています(有能とは言い難かったとのこと)。
 
訓練中の負傷による離脱の時に執筆したのが『回想のブライズヘッド』で、1945年に出版されると、一大ベストセラーに。
 
戦後も従軍経験を基にした『名誉の剣』三部作等を手掛けました。1966年62歳で死去。
 
ちなみに、兄のアーサーも当時はイーヴリンを凌ぐ人気作家で、息子のオベロンもジャーナリスト・作家。さらに孫のアレクサンダーも作家であり、彼が書いた、ウィーンの名門貴族一族を追ったノンフィクション『ウィトゲンシュタイン家の人々』は邦訳もされています。






ウォーの文学の特質は、アイロニー、辛辣なブラック・ユーモアです。
 
パブリックスクールを放校になったぼんくら学生の放浪を描く『大転落』から既に見られる、浅薄な人々が何も考えずに?うろついては、予想もしない災難に遭うシニカルでアイロニカルな展開。
 
『スクープ』の特ダネを偶然手にする凡庸なジャーナリストや、『黒いいたずら』の架空のアフリカの国を巡る、色々な意味でひどすぎる描写等、ヴォルテールの『カンディード』を20世紀初頭にアップデートしたかの如き、黒い嗤いに満ちた展開の作品群です。

 

若い頃のウォー


それが一変したのが、『回想のブライズヘッド』で、これについては作者ウォー自身が後に付けた序文で書いています。欠乏の時代だからこそ、作品の描写は華やかに、表現は過剰になったこと。そして、貴族階級についてはこんなことを述べています。
 

一九四四年の春には、現在のような、英国のカントリー・ハウスを礼讃する風潮など予測もできなかった。当時は、英国が産んだ重要な芸術作品である先祖代々の邸宅も、いずれは十六世紀の修道院とおなじように、荒れて朽ち果ててしまう運命にあると思えたのだった。だからこそ、わたしもその運命を、真剣な情熱をこめてやや誇大に描いたのだ。
 
今日ならば、ブライズヘッド邸も観光客に開放され、邸内の美術工芸品は専門家によって整理され、建物もマーチメイン卿の時代より入念に管理されるにちがいない。それに、英国の貴族社会は、そのころ考えられた以上に堅固だったのである。フーパー的人物は、いたるところで前進をはばまれたのだ。
 
したがって、この本は多分に、遺体の入っていない空の棺を前にした、讃辞のようなものになってしまった。

小野寺健訳


 
なるほど、確かにその後の「BBCドラマ」は、英国貴族の意識が、それへの憧れを含めて、堅固だからこそ出てきたものでもあったのでしょう。
 

イギリスのTVドラマシリーズ『ダウントン・アビー』
1910~20年代のカントリー・ハウスを舞台に
貴族や使用人の人間模様を描く。
2010年代に製作され大ヒットした。


こうしてできた作品はウォー曰く「かつてわたしが同時代の人々から受けていた尊敬を奪い、それまではなじみのなかったファンレターや新聞雑誌のカメラマンなどの世界に、わたしをつれこむことになった」とのこと。
 
しかし、これもまたウォーの資質の一つのように思えるのです。




アイロニーを好む人というのは、辛い現実から逃れようとしている人とも言えます。

「こんなことが起こるはずないんだけどね」と留保を入れながら、辛辣な言葉で現実から距離を置く。そこには現実への恐怖と、ここにはない理想を求めるような部分がある。ウォーの場合、現実の妻の浮気で破綻した結婚生活への恐怖は、確実に作品の展開に影響があります。
 
理想に手が届かないと分かっているからこそ、辛辣になる。ある意味誰よりも純粋に、心のどこかで理想を信じているかもしれない。それは『回想のブライズヘッド』のラストに出てくる「信仰」の問題にも繋がってきます。それも英国国教会(労働を貴ぶプロテスタント)ではなく、カトリックなのは、そうした現実への苦しみの問題への対処にも関連している気がするのです。
 

81年版TVドラマシリーズ
『回想のブライズヘッド』



そして、現実が苦しく辛いからこそ、回想の中の幸福な日々は一層輝きを増す。
 
ここに第一次大戦後のイギリスの若者の心象風景が描かれているのは間違いありません。アイロニーのフィルターを通して、その青春は夢のように美しく輝いて蘇る。そんな普遍的な魅力を備えたこの小説を、是非体験いただければと思います。
 



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


こちらでは、文学・音楽・絵画・映画といった芸術に関するエッセイや批評、創作を、日々更新しています。過去の記事は、各マガジンからご覧いただけます。

楽しんでいただけましたら、スキ及びフォローをしていただけますと幸いです。大変励みになります。



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集