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もし、この人が生きていたら・・悔やまれる10人を挙げるとしたら

AIジェミニに聞いてみました。
「幕末維新にかけてこの人だけは暗殺されてほしくなかった人、10人とその理由を挙げてください」

ジェミニの答え:この人が生き残っていれば、その後の日本の歴史(不平等条約の改正・憲法制定・政党政治・内戦の回避(戊辰戦争や西南戦争を指しているのかな?)がもっとスムーズに進んでいたかもしれない10人とその理由は・・、

1、坂本龍馬:暗殺された年、1867年「近江屋事件」
薩長同盟や大政奉還の立役者であり、卓越した国際感覚と「新政府綱領八策(船中八策)」に代表される柔軟な国家構想を持っていました。彼が生きていれば明治政府内の藩閥(薩長土肥)の権力争いや征韓論による国家分裂(西南戦争)を持ち前の交渉力と貿易ビジネスの視点で回避・調停できた可能性が高いです。

2、 大久保利通:暗殺された年、1878年「紀尾井坂の変」
明治政府の事実上の最高指導者(内務卿)として、岩倉使節団以降の近代化政策を強力に推し進めました。彼が50歳前の若さで倒れたことで、日本の官僚制の構想やインフラ整備のスピードに狂いが生じました。冷徹なリアリストであった彼がもう少し長く生きていれば、より安定した形で近代国家への移行が進んだと言われています。

3、 横井小楠(しょうなん):暗殺された年、1869年
「恐ろしいほどの知恵袋」と評された幕末屈指の先進的思想家です。福井藩、熊本藩の改革を指導し、開国・公議世論(民主的な話し合い)の重要性を説きました。明治新政府の参与に就任直後、攘夷藩士らにより「キリスト教を信じている」「夷狄の服を着用し断髪している」という理由で暗殺されました。彼の国家ビジョンが失われ、新政府の思想的支柱が損なわれました。

4、井伊直弼:暗殺された年、1860年「桜田門外の変」
大老として日米修好通商条約を独断で調印し、安政の大獄で反対派を厳しく弾圧したため悪役とされがちですが、彼の行動は一刻も早く開国し、外国の侵入を防ぐという幕府なりの危機感の表れでした。彼が暗殺されたことで、幕府の権威は失墜し、国内は一気にテロと混沌の時代(尊皇攘夷の過激化)へと突入しました。

5、大村益次郎:暗殺された年、1869年
近代日本陸軍の創始者であり、天才的な軍事戦術家です。戊辰戦争を早期終結に導いた後、身分に関わらず国民皆兵とする「徴兵制」の土台を築きました。が、特権を奪われることを恐れた元長州藩士らに襲われました。彼がいれば、その後の西南戦争などの士族反乱をもっと合理的に予防、あるいは最小限の被害で抑えられた可能性があります。

6、吉田松陰:暗殺された年、1859年「安政の大獄」
幕府による処刑ですが、実質的な政治的抹殺です。高杉晋作や伊藤博文ら維新の主役たちを育てた最高の教育者でした。もし、彼が処刑されずに生き残り、過激な攘夷思想から世界の現実を知って国際派へと脱皮していれば(当然開国派になるでしょう)明治の教育制度や思想界にどれほど巨大な影響を与えたか計り知れません。

7、高杉晋作:1867年 27歳没 (肺結核により死亡)
「この段階で失うべきでなかった惜しい人材」の筆頭です。奇兵隊の創設したり、既存の枠組みを壊すなどのカリスマ的存在でした。彼が明治まで生き、そのエネルギーを新国家の建設、特に海外外交や自由民権の先駆けとして、その方面に力を注いでいくならば、明治政府の形は変わっていたかもしれません。

8、 佐久間象山:暗殺された年、1864年
「東洋の道徳、西洋の芸術(技術)」を唱え、勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰らに多大な影響を与えた科学者・思想家です。
京都で公武合体と開国を説いていたところを過激派の攘夷志士に暗殺されました。彼が生きていれば、明治の科学技術国への歩みは確実に数年早まっていたはずです。

9、 橋本左内(さない):暗殺された年、1859年 安政の大獄による処刑 25歳
福井藩の若手藩士で、わずか25歳で処刑されました。ロシアの脅威をいち早く察知して開国を唱え、西郷隆盛らとも深く交流していました。その優れた国際情勢の分析力と人望は、西郷をして「左内が生きておれば自分たちの出る幕はなかった」と言わしめるほどでした。明治の外交を担う国宝級の頭脳でした。

10、 小栗忠順(ただまさ):暗殺された年、1868年 新政府軍による罪なき処刑
幕臣でありながら、横須賀製鉄所の建設やフランスからの資金調達など、圧倒的な先見の明で幕府の近代化を進めた財政・行政の天才です。新政府軍に捕えられ、まともな取り調べもないまま斬首(政治的暗殺)されました。明治政府の近代政策の多くは、この小栗忠順が作ったレールをそのままなぞったものであり、彼を味方として新政府に迎え入れることが出来なかったことは、日本にとって最大の損失といえるでしょう。

まとめ;幕末の暗殺や処刑の本質は、「未来の国家デザインを描ける最高峰の知性」が目先の感情や派閥争いによって失われたことにあります。
特に坂本龍馬・小栗忠順・横井小楠が明治の初頭に揃っていれば、士族の不満を西南戦争に向けることなく、産業や貿易といったビジネスの力で吸収できたのではないかと思わざるを得ません。(以上、AIジェミちゃんからの答えです)

みなさま、いかがでしたか!
「この人だけは!」という人がいましたらぜひコメントで教えてください。

徳川幕府260年築いた土台の上に、国中から若く優れた人材を吸収して、世界に唯一2600余年続く皇統の天皇を頂き新国家建設へと邁進していけば、日本国は西欧列強(西力東漸)によって虐げられていたアジア諸国の希望の星となったでしょう。asaisanの考えです。

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