ハッピーライティングマラソン#63|「あなたを支えてくれている人は、誰ですか?」
本田健さんの素敵な企画「ハッピーライティングマラソン」に、今週も参加させていただきます。
今回のお題は、『あなたを支えてくれている人は、誰ですか?』です。
真っ先に浮かんだのは、両親でした。
中学時代に学校へ行けなくなった私を、両親はニュージーランドへ送り出してくれました。
この先どうなるか分からない息子のために、年間数百万円という費用を払ってくれたのです。
以前、このお金のことを「値札をつけずに払われたお金」と書いたことがあります。
ただ、今回のお題を前にして、少し違うことを考えました。
あのとき私を支えたのは、払ってくれた金額のほうではなかったのではないか、と。
あの支払いについて、私は一度も請求書を受け取っていません。
支援には、あとから請求書が届くことがあります。
それは振込用紙の形をしていません。言葉の形で届きます。
「あれだけしてやったのに」
「元は取れたのか」
「無駄にするなよ」
お金は1円も請求されていないのに、受け取った側の心には、しっかりと残高が積み上がっていく。
世の中には、そういう支援のほうがずっと多いように思います。
両親は、それを言いませんでした。
言ったのは「行ってこい」だけです。
現地での5年間も、帰国してからの年月も、あのお金の使い道について、私が問いただされたことはありません。
正直に言えば、当時の私は、それを当たり前だと思っていました。
親になったいま、分かります。
あれは、言わなかったのではなく、言うのを飲み込んでくれていたのだと。
不安なとき、人は口に出したくなります。
このままで大丈夫なのか、確かめたくなる。
そして確かめるための言葉は、たいてい相手を追い詰めます。
自分の娘に対して、私が同じだけ黙っていられるかというと、まったく自信がありません。
だとすれば、支えとは、してもらったことの総量ではないのかもしれません。
言わずに飲み込んでもらったことの総量のほうなのだと思います。
そしてこの種の支えは、受け取る側から驚くほど見えにくい。
何もされていないように見えるからです。
請求書が来ないことに、人はなかなか気づけません。
私が両親から受け取った本当のものは、留学費用ではなく、催促されなかった年月のほうでした。
父は、一昨年に亡くなりました。
結局、最後まで請求書は届きませんでした。
けれど、支えられているという感覚だけは、いまも過去形になりません。
何も言わずにいてくれた時間は、相手がいなくなったあとも、こちらの中で働き続けるからです。
母は健在です。
今日も、たぶん何も言わずにいてくれています。
あなたを支えてくれている人は、誰でしょうか。
そしてその人が、あなたのために言わずにいてくれた言葉は、どんな言葉だったでしょうか。

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