文系の私がAI基礎の資料を作るとき#13:同じケチャップを見ているか
私は「見る」ということが苦手です。子供の頃、母が目の前に並べてくれたメロンに気づかず、食べそびれてしまい(つまり、家族の誰かが私の分を食べてしまい)、なぜか私が怒られたこともありました。食べそびれたことではなく、そんなことで怒られたことが悲しかったので、今でもよく覚えています。怒られなければ、気がつかないのですから、放っておいてくれてもよさそうなものですが、大人からすれば、残念だったのでしょう。
このような私の傾向は、年齢を重ねても変わりません。「相変わらず見てないねー」と家族や友人に笑われることをごくごく日常的なこととして、今まで過ごして来ました。実際、特に困ったこともないのです。私の基準で「見たいもの」はちゃんと見ています。特に、あらかじめ文字で読んでおいたものであれば、絵でも景色でも地図でも、お目当てのものを見落とすことは、まずありません。
「AI基礎」第12回授業のテーマは「AIを活用して文章を起こす」。第11回授業で生成した学生自身の新商品の画像を各自が見直し、そこから読み取れる魅力を、NotebookLMを使って商品説明の原稿にする回です。見るのが苦手な私が、この回の資料をどう作ればよいのか、正直なところ、準備の段階から少し身構えていました。
第11回で私がGeminiに与えたプロンプトには、実は、商品「サマー・ピーチ・フール」のターゲットに関する情報(年齢・性別・人数)も、家具やインテリア、イギリスらしさの出し方も、何も書いていませんでした。有名百貨店のスイーツフロアで期間限定販売する、イギリスの伝統的なお菓子で、持ち帰ったらテーブルに出すだけで気軽に楽しめる商品——それだけを伝えて、あとは「ターゲットに魅力を感じさせる画像を生成してください」とだけ頼んだのです。
戻ってきた画像には、若い日本人女性たちと、英国風の小物、明るいリビング、木製の家具が描かれていました。これらは、私がプロンプトには書かなかった要素です。そして私は、その画像から「若い女性がターゲットなのだろう」「イギリスらしさはインテリアによって表現されたのだろう」と意味を読み取りました。
一方で、私が確かに書いた「イギリスの伝統的なお菓子」という情報は、「英国風インテリア」に引っ張られて、画像の中からほとんど消えてしまいました。前回の記事で触れた、主役がフールではなくパッケージになってしまうという欠点も、ここに関係しています。AIは、私が与えた情報を、すべて同じ重みで扱ってくれるわけではないのです。
こうした違和感を、そのままNotebookLMに伝えてみました。Geminiによるターゲットの補い方はむしろ好ましい方向だと思えたので、そのこともNotebookLMに渡す資料(ソース)へ書き加えました。NotebookLMに渡したのは画像そのものではなく、私が画像から読み取り、言葉にした内容なのです。そして、NotebookLMは素敵な文章にまとめてくれました。
ただ、その中にあった「英国風の明るいカフェのような華やかな空間」という一文で、私は思わず手を止めました。
フールは、もともとイギリスの家庭で作られる、つつましいデザートです。イギリスの家庭のリビングは、光が入る明るい場所であることはあっても、開放感のある「カフェ」のような空間ではなく、家族の写真がところ狭しと飾られているような、生活のにおいの濃い場所だと私は思っていました。遠い国のいつものお菓子を、日本で少し特別な気持ちで楽しんでほしい、と伝えたつもりが、なぜ「カフェ」になったのでしょう。そして、「英国風の明るいカフェ」という像を、日本の消費者が共有しているはずだという前提は、いったいどこから来たのでしょう。
そんな不思議さを私自身も抱えながら、今日の問いは次のように置いてみました。
・AIが言葉を生み出す前に、人は何を読み取っているのだろうか。
NotebookLMは画像を見て文章を書いたわけではありません。画像を見て意味を読み取ったのは私であり、NotebookLMは、その私の解釈をもとに文章を整理し、読みやすい形へと言い換えてくれました。
私がGeminiの画像から読み取ったことを言葉にし、その言葉をNotebookLMが整理して文章にした。同じ画像を出発点としていても、そこに現れる表現は少しずつ変わっていきます。私自身の解釈と言葉が、文章として再構成される過程で別の形を取ったからなのでしょう。「英国風の明るいカフェ」という表現も、おそらく大量の文章の中で結び付けられてきた言葉の組み合わせの一つだったのだと思います。人もAIも、与えられた情報をそのまま映しているわけではありません。人はこれまでの経験や知識を通して意味を読み取り、AIは学習した言葉の結び付きから表現を組み立てます。読み取るという行為は、いつも、そこにないものまで一緒に連れてきてしまうのかもしれません。
そのことを考えていると、思い出す場所があります。私には、この四半世紀、ほぼ毎年、年に一度は足を運ぶ美術館があります。ある画家を記念した小さな美術館です。毎年、ほぼ同じ絵を見ます。訪れる人も少なく、展示室の真ん中には椅子があるので、私は1人でそこに座って、何分でも、ぼーっと絵を眺めています。私なりに、どの絵に何が描かれているかは理解していて、それらに年に一度、再会することを楽しんでいます。たくさんの絵の中に、きっとまだ気づいていない、あるいは一生気づかないものもあるでしょう。でも、人間の私は、それで十分に楽しいのです。
野矢茂樹氏は、『新版 哲学の謎』(講談社現代新書、2026年)の中で、あなたが見ているケチャップの赤と、私が見ているケチャップの赤が同じかどうかは、実は誰にも確かめようがないと論じています。人間同士でさえ、同じ赤を同じように見ている保証はないのです。まして、AIが読み取るものと、私が読み取るものが一致する理由など、どこにもないのでしょう。それでも、その一致しなさを面白がりながら、これからも「見る」ことについて、学生たちと一緒に考えていきたいと思います。
第12回の授業計画については、以下の記事で紹介しています。よろしければご覧ください。
