賢すぎて会社に疲れているあなたへ
「いや、私以外の全員が阿呆なのでは?」
「なぜあんなザルな提案が採用されるの・・・」
「その後始末、どうせ私なんでしょ・・・」
「結局何の問題も解決していないじゃん・・・」
会議が終わった後、こんな風に言われたことはないだろうか。
「言ってることは分かるんだけどさ」
「もう少し皆の理解を得てからかな」
「まだ早い気がするんだよね」
1. 正しいことを言っているのに、なぜ通らないのか
会議で正しいことを言ったはずなのに、なぜか話が進まない。
誰も表立っては反対していない。
論理もスッキリ通っている。
それなのに、歓迎されていない。ただ空気だけが微妙になる。
逆に、「え、それ本当に大丈夫?」と思うような案が、不思議なくらいスルスル進むこともある。
私は長いこと、これがよく分からなかった。
組織というのは、みんなで合理的な答えを探す場所だと思っていたからだ。
もちろん今でもそういう面はある。
ただ、長く会社という場所を観察していると、どうもそれだけでは説明できないことが多すぎる。
前回の記事では、「人は正論では動かないのかもしれない」という話を書いた。今回は、その続きを書いてみたい。
人が正論で動かないなら、人の集まりである組織はどうなのか。
こうして見ていると、組織とは、どうも合理的な機械というより、ひとつの部族のように見えてくる。少なくとも私にはそう見える。
2. 組織は思ったより人間くさい
かつての私は、組織をかなり合理的なものだと思っていた。
たとえば会社は成長するために存在し、そうである以上、成長に必要なものが正しいはず。だから良い案があれば採用されるし、問題があれば改善される。そう信じていた。
ところが実際に組織の中で働いてみると、どうも説明のつかないことが増えていく。
課題解決に必要だと思える提案が見送られる。
明らかに別の問題が起きそうな案が通る。
そして、その理由を誰もスッキリとは説明できない。
最初は不思議だった。
誰かが間違えているのだろうか。
誰かが怠けているのだろうか。
そのうちに
「私以外の全員が阿呆なのではないか」
と疑い始めた。
もちろん、そんなわけはない。
100人いたら、阿呆はせいぜい数人だ。
では何が起きているのだろう。
観察を続けるうちに、別の仮説が浮かんできた。
もしかすると、私が間違った前提を置いていたのではないか。
組織とは、
良い案があり、
議論があり、
最終的に一番良い案が選ばれる場所、
ではないのかもしれない。
実際には、
誰が言ったのか。
誰が支持しているのか。
誰が困るのか。
そうした要素が、私たちが思っている以上に大きな影響を持っている。
そして面白いことに、それは必ずしも誰かの悪意によるものではない。
人間が集まると、自然にそうなるらしい。
最近は会社を見るというより、少し文化人類学のフィールドワークをしている気分になることがある。
会社という名前の部族を観察しているような感覚だ。
3. ロジックによる意思決定という幻想
部族を観察していて、もう一つ面白いことに気づいた。
それは、誰も自分を感情的だと思っていないことだ。
反対している人も、
賛成している人も、
慎重な人も、
大胆な人も、
みんな自分は合理的に判断していると思っている。
私もそうだった。
事実やエビデンスを集め、
ロジックを積み上げ、
合理的に意思決定をしている「つもり」だった。
その一方で、会議の時間や場所を慎重に設定したり、対面で話せるようにスケジュールを調整したり、笑顔や身だしなみや挨拶に心を砕いている自分がいた。
ロジックだけで人が動くのなら、そんなことをする必要はない。
でも実際には、それが案外効く。
どうやら私は、自分で思っていた以上に人間という生き物を理解していたらしい。
そして、改めて会議や意思決定の場を振り返ると、周囲の人たちもまた、ロジックだけで判断しているようには見えなかった。
不安だったり、
安心だったり、
期待だったり、
プライドだったり。
そういうものが先に動いているように見える。
そして後からもれなく理屈がやってくる。
こういう日々を繰り返した私が、確信したことがある。
完全に、順番が逆なのだ。
私たちは、ロジックが正しいから人は納得すると思いがちだ。
でも実際には、
安心できるから納得する。
信頼できるから納得する。
感情的な抵抗がないから納得する。
その後で、
「だからこの結論は正しい」
という理屈がついてくる。
ロジックが感情を解決するのではない。
感情が解決されているから、ロジックが受け入れられるのだ。
だから賢い人ほど疲れることがある。
論理を見ているのに、周囲は別のものを見ているように感じるからだ。
私もそうだった。
でも最近は、
「ああ、この人は今、不安なんだな」
とか、
「この案は合理性より安心感を買われているんだな」
と思いながら見ることが増えた。
そうすると少しだけ面白くなる。
