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辺野古の事故についての考察

本題に入る前に、故人のご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表するとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

本題

船長は牧師との報道がありますが、なぜ牧師が過激な基地反対運動をしているのか。
私なりに、1960年代後半から70年代にかけて日本最大級のプロテスタント組織である「日本基督教団」を揺るがした、左翼活動との密接かつ複雑なつながりについてまとめたので、よろしければご覧ください。


日本基督教団と新左翼運動との交差


1960年代後半、日本社会を席巻した学生運動の嵐は、教会の門を叩き、その内部を根底から変質させました。いわゆる「教団紛争」と呼ばれるこの事象は、宗教的信念と政治的急進主義がどのように結びついたのかを示す、戦後史における特筆すべき一頁です。

1. 「社会派」と「教会派」の分断:万博闘争が火種に

教団内部の対立を決定づけたのは、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)への「キリスト教館」出展を巡る是非でした。

社会派:万博を「国家権力による祭典」と批判し、出展に強く反対しました。彼らは、教会は安住の地ではなく、社会の不正義に立ち向かう「闘争の場」であるべきだと主張しました。
教会派:万博を伝道の機会と捉え、出展を推進しました。

この対立は、単なる意見の相違を超え、東京教区総会が流血の事態により19年間も開催不能に陥るなど、組織の麻痺を招きました。

2. 「教会は革命の拠点である」:極左集団との連帯

特筆すべきは、教団内部の造反者たちが全共闘や中核派・革マル派といった極左暴力集団と連帯した点です。

彼らは「教会は革命の拠点である」というスローガンを掲げ、青年たちを扇動して世界同時革命を目指しました。その活動は極めて過激で、以下のような事態が常態化しました。

拠点の占拠:東京神学大学では、全共闘革マル派と連携した学生によりバリケード封鎖が行われました。また、早稲田に移転した教団本部の事務室も占拠され、当局に追われる極左集団の隠れ家として利用されるケースもありました。
組織への介入:常議員会などの会議体には「問題提起者」と称する人々がなぐり込み的に介入し、暴力や威圧によって議事をねじ曲げる光景が繰り返されました。

3. 賛美歌の代わりに「インターナショナル」:信仰の変質

この時期、最も象徴的だったのは1969年の第16回臨時総会です。

ヘルメットを被った集団が議場を占拠し、ハンドマイクで叫び声を上げる異様な雰囲気の中で進行しました。総会の終了時には、あろうことか賛美歌ではなく、革命歌「インターナショナル」が合唱されました。

4. 「革命家イエス」という神学的正当化

左翼活動とのつながりは、単なる政治的共感ではなく、独自の神学的解釈によって裏打ちされていました。
当時の活動家は、「私のは革命家イエス教です。あらゆる体制に反抗し粉砕するのがイエスの目的だ」と公言しました。キリストを既存体制を破壊する革命家として再定義することで、暴力的な政治闘争を「信仰の告白」として正当化したのです。

まとめ

このように、左翼と日本基督教団がかなり接近したことがありました。
社青同がトロツキストに乗っ取られたように、日本基督教団の社会派は左翼に染められたことで、基地建設に対して、極めて左翼的な妨害を行なっているのだと私は考えます。

かつての議場で響いたインターナショナルが響いたような状況は、宗教がその本質を見失い、政治の波に飲み込まれた結果が今回の痛ましい事故につながったのだと思います。

最後になりますが、亡くなられた方に対して、哀悼の意を表明します。

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