哲学の言葉の力🎁キルケゴールの「人生は後ろ向きにしか理解できないが、前向きに生きなければならない」+ラップ
キルケゴール
「人生は後ろ向きにしか理解できないが、前向きに生きなければならない」
まず、この言葉を二つに分けて考えると理解しやすくなります。
ひとつ目は
「人生は後ろ向きにしか理解できない」
という部分です。
これは、人は生きているその最中には、自分の人生の意味をすぐには理解できない、ということです。出来事が起きているとき、私たちはただ必死です。つらいことが起きたときには「どうしてこんなことが起こるの」と思うし、失敗したときには「全部だめになった」と感じることもあります。けれど何年かたって振り返ると、その失敗があったから今の自分がある、と気づくことがあります。
たとえば、受験に落ちた人がいたとします。そのときは絶望するかもしれません。でも後になって、「あの挫折があったから、本当にやりたいことに向き合えた」と思えることがあります。あるいは、失恋したときはただ苦しいだけでも、時間がたってから「あの恋があったから、人を大切にする気持ちを学べた」と感じることもあります。
つまり人生の出来事は、その瞬間には意味が見えにくいのです。意味は、あとから少しずつ見えてくる。点と点が、あとで線になるようなものです。キルケゴールは、そのことを「後ろ向きにしか理解できない」と表現したのです。
次に、ふたつ目の
「前向きに生きなければならない」
という部分です。
これは、どれだけ人生の意味があとからしかわからないとしても、私たちは未来に向かって進むしかない、ということです。人は昨日には戻れません。明日を予習して完全に知ることもできません。意味がわからなくても、答えが見えなくても、今日を生き、明日へ進むしかないのです。
ここがこの言葉の切なさであり、同時に力強さでもあります。
私たちはよく、「ちゃんと意味がわかってから動きたい」「失敗しないとわかってから決めたい」と思います。就職、結婚、転職、人間関係、引っ越し、挑戦。どれも先が見えないから不安です。でも、人生は説明書を全部読んでから始めることはできません。歩いてみて、転んでみて、迷ってみて、あとから「ああ、あれはこういう意味だったのか」と気づくしかないのです。
この言葉は、言いかえると
「理解してから生きるのではなく、生きたあとで理解する」
ということでもあります。
ここには大事な慰めがあります。
それは、今わからなくてもいいということです。
私たちは、すぐに答えを出せない自分を責めがちです。「この選択でよかったのかな」「この苦しみに意味はあるのかな」「なんでこんな遠回りをしているんだろう」と悩みます。でもキルケゴールは、人間とはそもそもそういう存在だと言っています。先に全部を理解できないのは、あなたが未熟だからではありません。人間が未来を生きる存在だからです。
たとえば、山道を歩いているとき、目の前にあるのは次の一歩だけです。頂上から見た全体の景色は、登っている途中には見えません。でも登り続けて、ある地点まで来たときに、初めて「あの曲がり道には意味があった」「あの坂道はここにつながっていた」とわかります。人生もそれと似ています。
この言葉には、人生の矛盾も表れています。人は意味を求める生き物です。けれど、その意味は先には見えません。なのに前へ進まなければならない。これは不安ですし、怖いことです。だからこそ、キルケゴールは人間の不安や迷いをとても大切に考えました。不安があるのはおかしいことではなく、むしろ生きている証拠なのだと。
ここで誤解してはいけないのは、この言葉が「何も考えずに前だけ見て生きろ」と言っているわけではないことです。そうではなく、振り返ることも大事、でも振り返るだけでは生きられないと言っているのです。
過去を見つめることには意味があります。反省することも、思い出をたどることも、自分を知る手がかりになります。けれど、過去に答えを求めすぎて動けなくなってしまったら、人生は止まってしまいます。理解は振り返ることで深まる。でも生きることは、常にこれから先へ向かう。この二つを同時に抱えているのが人間です。
だからこの言葉は、悩んでいる人へのやさしい励ましにもなります。
今の苦しみの意味が見えなくても、それでいい
今の選択に自信がなくても、それでいい
大事なのは、完全に理解してから進もうとするのではなく、不安を抱えたままでも一歩を出すこと
そう読むことができます。
そして、年を重ねるほどこの言葉はしみてきます。若い頃には無駄だと思っていた経験、人に言えない失敗、遠回りした時間。そういうものが、あとから自分の考え方や優しさや強さをつくっていたと気づくことがあります。人生は、その場ではバラバラの出来事に見えても、あとから見るとひとつの物語のように見えてくるのです。
ただし、その物語は最初から完成しているわけではありません。私たちが生きることで、少しずつ形になっていくものです。だからこそ、未来はわからないけれど、まだ書き換えられるとも言えます。過去は理解するもの、未来は生きるもの。この違いをキルケゴールは短い言葉で見事に表しました。
この言葉を、もっと身近な言い方にするなら、こうなります。
人生は、あとから「ああ、そういうことだったのか」とわかるものだ。
でも、その答えが見えないままでも、今日を生きていかなければならない。
とても厳しい言葉のようでいて、実はとても人間らしく、あたたかい言葉です。なぜならこの言葉は、迷いながら生きる私たちを否定しないからです。むしろ、迷いながらでも進むしかない私たちの姿を、そのまま認めてくれているからです。
キルケゴールは、この一言で教えてくれます。
人生は先に意味を知ってから始めるものではない
意味がわからないまま歩き出し
振り返ったときに、初めて自分の人生が見えてくるものなのだと
だから、今もしあなたに「これでいいのかな」と思うことがあるなら、その迷い自体が人生の一部です。すぐに答えが出なくても大丈夫です。人は後になって理解する生き物です。そして理解できない今を抱えながら、それでも前へ進むことが、生きるということなのです。

オリジナル歌詞・オリジナル・ラップ
あんたな
人生いうもんはな
先に答え合わせしてから
歩ける道やあらへんねん
ほら見てみ
昨日の傷あと
よう見りゃ勲章
でもその時ゃただの苦痛
「なんでうちばっかり」
泣いてた夜中
コンビニの灯りが やけに冷たかった
失恋 失敗 裏切り 借り
しんどい現実 山ほどあり
笑ろてごまかし 肩で風切り
けど家帰ったら 無音の闇
せやけどな
あとからわかる日ぃが来る
あの地獄も意味あった言う
その時その時 わからんままで
人は未来へ 首つっこむ
人生は後ろ向きにしか理解できへん
せやけど前向いて 生きなあかん
答えはいつでも あとから来る
今はただただ 泥水すすれ
人生は後ろ向きにしか理解できへん
せやけど明日へ 行かなあかん
わからんままでも 靴ひも結べ
ほら立ち上がれや
これ ほんまやで!
あの日の恥
あの日のミス
あの日の「なんで」が今の椅子
座ってみたら ようできてる
痛みの木材で 組まれてる
「あの会社 落ちてよかった」
「あの恋 終わって助かった」
そんなセリフも 後出しや
その時ゃ心 ほぼ墓場や
せやろ?
未来なんか見えへんやん
地図もないのに行け言うやん
神さん雑やで 無茶ぶりや
けど止まったままでも腹は減るやん
ほな進むしかないねん
涙目のまんまでええねん
意味なんか今すぐ
わからんでもええねん
今日の一歩が
明日の伏線
回収するんは
何年後か知れん
人生は後ろ向きにしか理解できへん
アルバムめくって やっとわかる
あの遠回り 無駄ちゃうかった
あの別れさえ 種やったんや
人生は後ろ向きにしか理解できへん
でも今日という日ぃは 待ってくれん
考えすぎても 朝は来る
ほな化粧して 行こか自分
これ ほんまやで!
よう聞きや
賢そうな顔した哲学も
結局言うてることはこれや
「わからんでも生きろ」や
しんどいけど核心や
人間ちゅうのは ほんま難儀
答え欲しがる せっかち装備
けど答えはレシートみたいに
買い物終わってからしか出えへん仕組み
その場じゃただの敗北
その場じゃただの迷子
けど十年たって振り返りゃ
「あれが分岐点やった」って最高
夜道でヒール折れても
人前で啖呵切れても
財布なくして 泣きそうでも
人生それでも 前へ出ろ
過去は解説
未来は本番
今この瞬間 ずっと本番
リハなんかない
台本もない
せやから声張れ
腹から吠えなあかん
人生は後ろ向きにしか理解できへん
けど前向きにしか 生きられへん
この矛盾ごと 抱いて踊れ
傷も歴史も 連れて踊れ
人生は後ろ向きにしか理解できへん
せやから今の不安も否定すな
迷いながらの一歩でええ
それが人生や
これ ほんまやで!
