読者から編集者へ。僕は、自分の人生を編集する。
今朝のお天気は素晴らしく心地よい。
若干のアゲンストなので7鉄で低めに打ち込むことにした。少し吹き上がって行ったけどドローでカラー付近で着弾したようだ。深呼吸して歩く。芝を歩く。

僕は最近、「成功とは何か」と考えることが増えた。
年収がいくらあるとか、資産がいくらあるとか、会社を何社持っているとか、何人の人にフォローされているとか。
もちろん、それらは人生の一つの結果ではある。
けれど、それを成功そのものだと思ってしまうと、どこかでおかしくなる。
なぜなら、年収が増えても、自分の時間を自分で使えなければ自由とは言えない。
資産が増えても、他人の期待に応えるためだけに生きているなら、自分の人生とは言いにくい。
僕が考える成功は、もっと別のところにある。
「人生の編集権を、自分の手に取り戻すこと」だ。
僕たちは、生まれた瞬間から一冊の人生を自分で書いているわけではない。
親がいて、学校があり、会社があり、社会があり、世間の常識がある。
「いい学校へ行きなさい」
「安定した会社に入りなさい」
「出世しなさい」
「結婚しなさい」
「家を買いなさい」
「老後のために貯蓄しなさい」
こうして人生には、他人がたくさんの文章を書き込んでくる。
僕たちは、その文章を読みながら生きる。
つまり最初は、「読者」なのだ。
社会が用意した人生という本を読んでいる。
ところが、ある年齢になると、僕はふと思う。
「これ、本当に僕の人生なのか?」
ここから人生が変わり始める。
読者だった自分が、少しずつ編集者になっていく。
僕自身も、振り返ればそうだった。
若い頃は、世の中が決めた成功にかなり影響されていた。
仕事をして、会社を大きくして、売上を伸ばして、人を増やして……。
もちろん、それはそれで面白かった。
しかし、あるところから「増やす」ということに疑問を持つようになった。
会社を増やす。
仕事を増やす。
人脈を増やす。
情報を増やす。
所有するものを増やす。
増やせば増やすほど成功する。
そんな単純な話ではない。
むしろ人生の後半になって重要になるのは、「何を捨てるか」ではないかと思うようになった。
人生の編集では、「足し算」より「引き算」のほうが難しい。
付き合わなくてもいい人間関係を切る。
意味のなくなった仕事をやめる。
惰性で続けている習慣を捨てる。
人からどう見られるか、という余計な文章を削除する。
「こうしなければならない」という思い込みを消す。
すると、不思議なことに人生の密度が上がってくる。
これは文章の編集と同じだ。
長い文章を書けばいいわけではない。
余計な一行を削ることで、残った一行が強くなる。
人生も同じだと思う。
何を持っているかより、何を残したか。
それが、その人の人生を決めていく。
そしてもう一つ大切なのが、「意味付け」だ。
同じ出来事でも、どう意味付けするかによって、その後の人生はまるで違ってくる。
失敗した。
普通なら「失敗した」で終わる。
でも僕なら、
「これは次の判断材料を手に入れた」
と編集する。
嫌なことがあった。
「最悪の出来事だった」で終わることもできる。
しかし、
「自分が何を嫌う人間なのかが分かった」
と意味付けを変えることもできる。
過去そのものは変えられない。
しかし、過去に付けるタイトルは変えられる。
僕はここが人生編集の面白いところだと思っている。
人生は、起きた出来事の集合ではない。
その出来事を自分がどう編集したかによって、物語になっていく。
だから僕は、過去を消そうとは思わない。
むしろ、失敗も、遠回りも、恥ずかしい経験も、全部素材として残しておく。
ただし、その素材の使い方を変える。
「あの失敗があったから、今の自分がある」
そう編集できた瞬間、過去の意味が変わる。
そして、人生編集にはもう一つ強力な方法がある。
未来から現在を見ることだ。
僕は最近、これをかなり意識している。
「今、何をするべきか?」
と考えるのではなく、
「自分はこの先、どんな人生を完成させたいのか?」
と先に考える。
完成した本の最後のページを想像する。
そこから逆算すると、今のページに何を書くべきなのかが見えてくる。
これは経営でも同じだ。
会社をどうしたいのか。
自分は何歳まで何をしたいのか。
どんな人たちと仕事をしたいのか。
どんな時間を過ごしたいのか。
そこを先に決める。
すると、「今やるべきこと」と「今やらなくていいこと」が、かなり明確になる。
僕はこれを、未来から現在への編集だと思っている。
人生を偶然に任せていると、目の前の出来事に振り回される。
しかし、自分で未来の構成を決めれば、現在の出来事の配置まで変わってくる。
だから人生は、運命というより編集作業なのかもしれない。
もちろん、僕たちには編集できないページもある。
生まれた場所も、時代も、他人も、過去も変えられない。
突然起きる出来事もある。
だから人生のすべてを自分でコントロールできる、などとは思っていない。
ただ、その出来事を次のページにどう配置するかは、自分で決められる。
ここに人間の自由がある。
僕は「自分編集者」という言葉が好きだ。
誰かに編集してもらうのではない。
会社にも、世間にも、家族にも、SNSにも、自分の人生の編集権を丸ごと渡さない。
助言は聞く。
批判も聞く。
世の中の変化も見る。
AIからも学ぶ。
でも最後の編集ボタンを押すのは、自分だ。
そして、その先に「人生編集者」という考え方がある。
自分の人生を編集できるようになると、今度は他人の人生にも余計な編集をしなくなる。
「あなたはこう生きるべきだ」
とは言わなくなる。
その人には、その人の物語がある。
僕は自分の原稿を編集する。
あなたはあなたの原稿を編集する。
それでいい。
人生の後半になって、僕が一番大切だと思うのは、ページ数を増やすことではない。
自分が本当に書きたかったページを、ちゃんと残すこと。
そして、不要になったページは削る。
過去の意味を編集する。
未来の完成形を先に描く。
そこから現在を編集する。
そうやって一日一日を組み直していく。
僕は、成功とは人生を巨大化することではないと思う。
成功とは、自分の人生の作者に戻ること。
読者として与えられた物語を読むのではなく、編集者としてページをめくる。
必要なら削る。
必要なら書き直す。
必要なら、まったく違う章を始める。
人生は完成品ではない。
死ぬまで編集可能な作品なのだ。
だから僕は今日も、自分の人生を編集している。
昨日までの自分を否定するためではない。
明日の自分に、もっと面白いページを渡すために。
フジ
JINSEN BOTTI
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