「愛国歌曲」と中華民国政府(2)団結のための愛国歌曲(研究にできなかったもの?ノート①)
代表的な愛国歌曲
中華民国の代表的な愛国歌曲といえば何を思い浮かべるだろうか(こんなこと誰も考えないだろうが)。「我是中国人」、「梅花」それとも「国家」であろうか。特に「中華民国頌」は中華民国を代表する愛国歌曲ではなかろうか。ヒマラヤ山脈や長江黄河など中国の大自然を軸に中華民国のすばらしさを謳った歌は台湾に関わることをされている方は一度は聞いたことあるのではないだろうか。
1970年代はこの「中華民国頌」をはじめ「梅花」や「風雨生信心」、「民国六十六年在台北」など様々な代表的愛国歌曲が制作された時代だ。では、なぜこのような愛国歌曲がこの時代に集中的に作成されたのだろうか。
台湾と中華民国が迎えた孤立の時代
1970年代は中華民国率いる台湾が国際的に孤立していく時期である。1971年の国連脱退に始まり、1972年の米中(共)接近と日華断交、1979年の米華断交と中華民国政府(国府)は国際的に孤立していくこととなった。特にアメリカとの断交は最大の同盟国かつ国府の法統(正統中国としての中国統一)及び台湾支配の外的な正統性担保を失うことと同義であり、国府にとっては大きな衝撃であった。
台湾社会もまた不安と国府への不満に満ち溢れ党外(民主化)運動は活発化していく。1979年には戒厳令下最大の党外民主化運動ともいえる美麗島事件が発生した。
筆者はこれらの国際的孤立から生じる不安と不満に対する国府の「処方箋」の1つが愛国歌曲なのではないかと考えている。
「中華民国」への愛国歌曲
1978年までに作られた愛国歌曲には「梅花」や「中華民国頌」、「国恩家慶」、「風雨生信心」、「四海都有中国人」などがある。これらの歌曲は外部正統性を失いつつある中華民国の正統性を台湾に再認識させるとともに、台湾社会を励ます目的で作られたのではないだろうか。
「梅花」という愛国歌曲
「梅花」は、テレサテンとして知られる鄧麗君の版が有名である1971年の愛国歌曲だ。作詞作曲者は劉家昌である。彼は国際的孤立の中にある、祖国を励ますためにこの曲を作ったと回想しており、実際台湾や華僑社会でも象徴的な愛国歌曲のひとつになっている。特に「吹雪や風雨をも恐れないこの花は私たちの国花である」という歌詞が厳しい状態にある中華民国を励まそうとする内容に感じられる。
【李錫安(2009)文化部臺灣大百科全書「梅花」https://web.archive.org/web/20201005111255/http://nrch.culture.tw/twpedia.aspx?id=10094 (ウェブページアーカイブサービスより2025年11月24日閲覧)。】
1977年という年と愛国歌曲
1977年にもなると、台湾社会は、在台米軍も大幅に削減され、目前に迫る米華断交を前にさらなる不安に襲われていた。11月には中壢事件が発生するなどその不安と不満は実際の民主化運動に現れた。そんな1977年は数多くの愛国歌曲が作られたと年でもあった。
「中華民国頌」は費玉清の「晩安曲」と並ぶ代表曲であり、これもまた劉家昌が作詞作曲を担当した。先述したようにヒマラヤ山脈や青海、黄河長江といった中国の偉大な国土を誇る歌詞が特徴である。さらに5000年の中華の歴史を誇るなど「中国ナショナリズム」的な歌詞であった。
「国恩家慶」もまた費玉清の曲であり(海天作詞、頑石作曲)、おめでたい慶日が来るのは国家のおかげであるという内容が特徴である。「飲水思源(水を飲むときは井戸を掘ったひとを思いだせ)」という歌詞が国家への恩を思い起こさせる歌であった。
これら2曲は人々に「中華民国の国民でいてよかった」と思わせる目的があったのではないだろうか。
この年には、粛孋珠の「風雨生信心」が同名のテレビドラマの主題歌として製作された(黄敏作詞、駱明道作曲)。この曲は「風や雨を怖がらず、波や山を怖がらない」「みんなで心を一つにして力を持とう」「明るい光は望むところにある」といった人々を勇気づける歌詞や古寧頭の戦いや八二三砲戦に勝利したことを誇る歌詞が特徴である。この曲はドラマとともに不安に揺れる台湾社会を励ましたという。
【國家文化記憶庫「《風雨生信心》鼓舞振奮人心」https://tcmb.culture.tw/zh-tw/detail?indexCode=Culture_Object&id=654347 (2025年11月30日閲覧)。】
さらに「民国六十六年在台北」もまた、劉家昌の手で1977年に制作された曲である。「民国66年(1977年)から私たちは更に努力をしなければならない」や「国難の中にいても、誇りを外の人々に見せつけよう」という歌詞が国際的孤独の中で人々を勇気づけようとした歌曲であることを物語る。
国際的孤立の中にある1977年には中華民国を代表する愛国歌曲が数多くつくられた。続く1978年にも「黄埔軍魂」や「黄埔男児最豪壮」、「四海都有中国人」といった愛国歌曲が製作された。
米華断交と愛国歌曲
1979年元日にアメリカは正式に中華民国と断交した。国府はこの危機を乗り越えようと国連脱退時と同じように「自強」や「団結自強」という言葉をキーワードに小規模ながらも大衆運動を繰り広げた。
【中華民國團結自強協會「榮光會史」https://www.uasa691212.org.tw/web/about/about.jsp (2025年11月25日閲覧)。】
そんな1979年には数多くの愛国歌曲が作られた。この年の愛国歌曲のトレンドは「アメリカへの恨み」と「団結」であった。
アメリカを恨む愛国歌曲
「龍的伝人」は後年にワンリーホンにカバーされたものが中華圏全体で有名となったがもとは候徳健のフォークソングである。1978年に米華断交が発表されると侯徳健は、中国の運命が欧米に握られていることを憂い、すぐに義和団事件をイメージしながら「龍的伝人」を書きあげた。この曲は中華をたたえる愛国歌曲であるとともに、中国が欧米に翻弄されてきた歴史を描いた。制作当初は「西洋人の剣こそが四面楚歌である」という歌詞があったが、行政院新聞局がアメリカを刺激しないように歌詞を改変するよう命じた。
【 台灣流行音樂維基館「龍的傳人」http://www.tpmw.org.tw/index.php/%E9%BE%8D%E7%9A%84%E5%82%B3%E4%BA%BA (2025年12月23日閲覧)。】
「誰都不能欺侮它」は1979年3月発売の劉文正の代表曲である(周燕蘭作詞、岳勲作曲)。この曲には「匪(中国共産党=共匪)の詐欺を許さない(不容匪寇欺詐)」という歌詞があり、この曲は、国府視点での、中華人民共和国政府がアメリカを「だまして」国交正常化したという国際情勢に対する反発を表現している。
「自由的女神哭泣了」は自由の女神が泣いてしまったという衝撃的なタイトルがつけられた曲であり、やはり1979年に制作された(黃瑩作詞、駱明道作曲)。この曲の歌詞には「イエスキリストの信徒が悪魔と抱き合った」という歌詞があり、アメリカをイエスキリストの信徒、中華人民共和国を悪魔とたとえ、その国交樹立を厳しく批判していることが見て取れる。
このように米華断交の国府側における行き場のない怒りは愛国歌曲にも表れている。
団結を呼びかける愛国歌曲
この1979年には『時代心声』、『自強年的獻礼中華民国』、『我們的心声 愛国歌曲精華』、『愛国歌曲精華第三集』、『閩南語愛国歌曲集』といった愛国歌曲アルバム集が数多く販売された。この中で目立つのが団結を呼びかける愛国歌曲である。
鳳飛飛の「巨航」は蒋栄伊作詞作曲の曲で「風は急で雨が激しくなり、海も荒れ狂うが恐れるな、慌てるな。我らを導く光は永遠に点いている。おだやかに舵をとり同舟共済で高波を破ろう」というように不安な情勢を一致団結して乗り越えようという呼びかけがなされた歌である。
これ以外にも「団結力量大」などの国府に忠誠し団結を呼びかける愛国歌曲が製作された。
これらの団結を呼びかける愛国歌曲は翌翌年の1981年元旦に「団結自強迎新年」という曲(李廉作詞、陳澄雄作曲)が発表されることで集大成を迎え、それ以降落ち着きを見せた。これらの団結を呼びかける愛国歌曲は1979年以前に作られた国民を励ます愛国歌曲とともに不安に揺れる台湾社会を一定程度は励ますは作用があったのだろう。
1970年代の愛国歌曲
以上のように1970年代には台湾で数多くの中華民国愛国歌曲が作られた。筆者はその最大の狙いが国連離脱に始まり米華断交でピークを迎えた1970年代の国府および台湾の国際社会での孤立から生まれた不安を和らげるためのものであったと考えている。先述した通り、多くの歌曲が国民を励ましたり団結を呼びかける歌詞で構成されていることから愛国歌曲の狙いはある程度推測することができる。
一方で、前回の投稿と同じくこれらの歌曲が実際に国民党や国府と政治的にどのような関係性があったかを分析することは現状の筆者には難しく、政治学的な分析はできていない。この課題を解決すると、愛国歌曲と国府や国民党の関係性や音楽業界とそれらの政治的関係性を論じることも可能となる。引き続きこの時期についても調査や档案の捜索を続けていく。
現状は別のテーマで学士・修士論文を書こうとしています
中華民国115年4月23日
