r>gの裏側
「r > g だから投資しよう」とよく言われる。だが、その根拠にされるトマ・ピケティ『21世紀の資本』を開くと、これは投資を勧める式ではなく、相続で富が受け継がれ、世襲的な格差が強まるという話だった。個人が投資で自衛するのは正しいが、それは富の集中を抑える社会の答えにはならない。ピケティの提案は累進課税による再分配。そして日本語の「親ガチャ」も、緻密な統計とは正反対のネットスラングという入口から、生まれによる差が努力では埋めきれず残る構図を言い当てている。
投資の合言葉「r > g」
投資系のコンテンツでは、こう言われる。
「働いているだけでは、資産を持つ人に追いつけない。だから、投資を頑張ろう」
その根拠としてよく引かれるのが「r > g」という式だ。資本収益率(r)が経済成長率(g)を上回る。つまり「働いてお金を増やすよりも、すでにあるお金のほうが増えるスピードが速い」ということだ。だから、働くより投資で資産側に回ったほうがいい、というわけである。この式を広めたのが、トマ・ピケティ『21世紀の資本』だった。
だが、その原典を開くと、話はそこで終わらない
原典を開いてみる
『21世紀の資本』は、どの株を買うべきかを教える投資指南の本ではなかった。
それでも r > g は、投資を始める理由としてよく使われる。資産を持つ人のほうがお金を増やしやすい。それなら、自分もS&P 500を買って、資産を持つ側へ回ればいい。
この考え方は、個人の行動としてはおかしくない。私も投資をしているし、投資をやめたほうがよいと言うつもりもない。今の社会で自分や家族の生活を守るなら、投資は役に立つ。
ピケティが考えていたのは、資産を持つ人がますます豊かになったとき、社会がどうなるのかという問題だった。
ピケティが調べたのは金持ちの歴史
『21世紀の資本』のもとになったのは、株価の記録ではなく、税金や相続の記録である。
ピケティらは、各国に残る所得税や遺産の資料を集めた。国全体にどれだけの所得と資産があり、そのうちのどれだけを金持ちが持っていたのか。各時代の記録をつなぎ、富の分布が長いあいだにどう変わったのかを復元した。
一年分の所得だけを見ても、今年たくさん稼いだ人と、代々の資産から収入を得る人の違いはわかりにくい。長い期間の記録を重ねると、働いて得た富と、親から受け継いだ富の関係が見えてくる。
ピケティが調べたのは、「投資すると儲かるか」ではない。誰が富を持ち、それがどう増え、どう受け継がれてきたかだった。
お金は、お金のあるところへ集まる
r > g の状態が長く続くと、すでにある資産は、社会全体より速く増えていく。
大きな資産を持つ人は、得た利益をすべて生活費に使う必要がない。残ったお金をまた投資し、さらに増やせる。その資産を子どもが相続すれば、次の世代も大きな元手を持ったところから始められる。
ピケティは、労働と相続の差を説明するために、19世紀フランスを舞台にしたバルザックの小説『ゴリオ爺さん』を紹介している。
私も、青空文庫版を読んでみた。
青年ラスティニャックは、働いて出世しようとしている。そこへヴォートランという男が、そんなことをするより、財産を相続する女性と結婚したほうが早く金持ちになれると説く。
手っ取り早く金持ちになりたいんだったら、既に金持ちであるか、金持ちに見えるかしなけりゃならんのだ。
努力して出世するより、財産を受け継ぐほうが豊かになれる。そういう社会である。
もちろん、これだけですべてが決まるわけではない。収益を消費すれば、その分だけ資産の増え方は鈍る。税金、戦争、インフレ、運用の失敗で資産が減ることもある。
それでも、何もしなければ、お金はすでにお金のあるところへ集まる。
r > g が示すのは、今の努力より、昔からある富のほうが強くなりうるという現実である。
投資で守れるもの、守れないもの
投資は自分を守る方法にはなるが、富の集中を抑える方法にはならない。
誰でもS&P 500を買うことはできる。だが、誰でも同じ金額を買えるわけではない。100万円を投資できる人と、毎月1万円を出すのがやっとの人では、同じ商品を買っても結果は違う。
自分も資産を持つ側へ回れば、自分の暮らしは少し楽になるかもしれない。しかし、最初に持っているお金の差や、親から受け継ぐ資産の差は残る。
「だから投資しよう」は、自分を守る答えにはなるが、社会をどうするかの答えにはならない。
お金はすごい。だが、金持ちが偉いとは限らない
たくさんのお金を持つことは、その人がそれだけ優れていることを意味しない。
自分で会社を作って富を築いた人もいる。長く働き、節約を続けた人もいる。一方で、親から受け継いだお金もあれば、土地や株が値上がりして増えたお金もある。一度持った資本が、持ち主の働きとは別に生んだ利益もある。
r > g が示すのは、金持ちの能力ではなく、資本を持つことの強さである。
私は、ここにピケティを読む意味があると思う。金持ちを嫌う必要はないが、無条件に持ち上げる必要もない。その富はどこから来たのか。なぜそこまで増えたのか。次の世代へどう渡るのか。立ち止まって考える必要がある。
お金はすごい。だが、金持ちが偉いとは限らない。富は事実ではあっても、勲章ではない。
ここからは、ピケティを読んだ私自身の考えになる。
株や土地は、持ち主だけの力で価値を保っているわけではない。通貨、法律、インフラ、教育、治安など、社会の土台があって初めて利益を生む。その土台は、誰か一人が作ったものではない。私たちが受け継いできた共有財である。
そう考えると、資産への課税は金持ちへの罰ではない。社会という共有財を維持する費用を、富を多く持つ人にも負担してもらうという話になる。
ピケティの答えは、資本に税をかけることだった
ピケティが提案したのは、富の集中に税でブレーキをかけることだった。
所得が多い人には、より多くの所得税を負担してもらう。大きな遺産には相続税をかける。さらに、とても大きな資産には、持っているだけでも毎年税をかける。所得や資産が大きいほど負担を重くする仕組みを、累進課税という。
そのためには、誰がどれだけの資産を持っているかを知らなければならない。外国へ移した資産も含めて見えるようにする必要がある。
すべての財産を取り上げるという話ではない。資産を持つことは認めながら、富と力が一部の人へ固定されないよう、相応の負担を求める。
これが、『21世紀の資本』でピケティが示した中心的な提案だった。
統計とスラングが捉えた同じ構図
ここで「親ガチャ」という言葉を考えてみたい。生まれる家庭を自分では選べないことを、ソーシャルゲームの「ガチャ」になぞらえたネットスラングだ。2021年には新語・流行語大賞のトップテンに選ばれ、現代社会の格差を揶揄する言葉として広まった。
r > g と親ガチャが指している対象は同じではない。前者は資本収益率と経済成長率の関係であり、後者は生まれた家庭によって異なる人生の初期条件を指す。
それでも両者には同じ構図がある。本人が生まれる前から存在した差が、その後の努力だけでは埋めきれない差として残る。
ピケティらは、それを各国の長期的な統計から示し、バルザックが描いた200年前のフランスに重ねた。
一方、日本のネット民は、生まれによって異なる出発点を、ゲームに例え「親ガチャ」という一語に圧縮した。
かたや緻密な統計、かたやネットのスラング。直接のつながりがなくても、別々の入口から同じ構図にたどり着いたことが面白い。
個人の答えと社会の答え
個人と社会では、答えが違っていてよい。
個人は、今あるルールの中で生活している。自分と家族を守るために投資し、資産を増やそうとする。
一方、社会は、国家を通じてそのルールを設計できる。
個人が資産を増やそうとし、社会が富の集中を抑えようとする。反対のことをしているように見えるが、矛盾ではない。役割が違うからだ。
生まれのガチャは個人には引き直せない。
しかし社会は、その一度の引きが人生を決めてしまわないよう、ゲームに救済措置を組み込める。
投資で自分や家族を守るのは、理にかなった選択だ。その同じ私たちが、市民として、ゲームのルールのほうを問うこともできる。個人の答えと社会の答えは、両立する。
「だから投資しよう」その一言は、間違ってはいない。ただ、その裏側には、もう一つの答えがある。
参考資料
トマ・ピケティ『21世紀の資本』(山形浩生・守岡桜・森本正史訳、みすず書房、2014年) https://www.msz.co.jp/book/detail/07876/
オノレ・ド・バルザック『ゴリオ爺さん』(原著1835年/中島英之訳、青空文庫) https://www.aozora.gr.jp/cards/001850/files/57353_57270.html
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本文で並べた「親ガチャ」は、どこから来た言葉なのか。おもちゃの名前だった「ガチャ」が、1888年のガム自販機からソシャゲを経て、生まれや境遇のあたり/はずれを指す言葉になるまでを、実際の用例からたどった記事。親ガチャが社会現象になったのは2021年だが、言葉そのものはもっと前からあった。
