『気にしすぎ…と言われた日の帰り道』
ようこそ、秘密の図書館へ。
今夜も一冊、本棚から小さな物語を取り出してみましょう。
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その日は、朝から少しだけ胸の奥がざわざわしていた。
理由は、うまく説明できない。
誰かが怒っているわけでもない。
悲しいことがあったわけでもない。
ただ、教室の空気がいつもより少し尖っているように感じた。
机を引く音が大きい。
誰かの笑い声が、いつもより鋭く耳に残る。
先生の声にも、ほんの少し疲れが混じっている気がする。
少女は、そういう小さな変化によく気がついた。
気づこうとしているわけではない。
勝手に心の中へ入ってくるのだ。
だから時々、自分でも疲れてしまう。
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昼休み。
いつも仲良くしている子の声が、少しだけ冷たく聞こえた。
「別に、何でもないよ。」
そう言って笑ったけれど、その笑顔がいつもと違うように見えた。
少女は気になった。
私、何かしたかな。
朝、何か変なことを言った?
昨日の帰り道?
もしかして、あの時……。
ひとつ考え始めると、頭の中にいくつもの出来事が浮かんできた。
授業が始まっても、そのことばかり考えてしまう。
黒板の文字が、目には入っているのに頭に残らない。
胸の辺りに、小さな石をひとつ入れられたようだった。
放課後。
思い切って、そのことを誰かに話した。
「なんだか、あの子の様子がいつもと違う気がするの。」
すると返ってきたのは、あっけらかんとした言葉だった。
「気にしすぎじゃない?」
そう言いながら、少女は笑った。
「そうかな。」
そう答えながら。
胸の中では、小さな何かが、ぺしゃんと潰れた。
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帰り道。
夕方の空は、淡いオレンジ色だった。
長く伸びた少女の影が、アスファルトの上をついてくる。
ランドセルが、いつもより重たい。
道端の草が風に揺れている。
自転車が横を通り過ぎる。
どこかの家から、夕飯を作る匂いが漂ってきた。
いつもなら好きな時間だった。
けれど、その日は何を見ても、心が晴れなかった。
——気にしすぎ。
その言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
私って、面倒くさいのかな。
みんなは気にならないことを、私は気にしてしまう。
声の大きさ。
顔の表情。
ちょっとした返事。
誰かが黙った理由。
誰かのため息。
全部、拾ってしまう。
「気にしなければいい。」
そう言われれば、それまでなのかもしれない。
でも少女には、
“気にしない方法”が分からなかった。
空が見えるのと同じくらい自然に、
風を感じるのと同じくらい勝手に、
誰かの小さな変化が心へ入ってきてしまうから。
少女は歩きながら、小さく呟いた。
「気にしたくて、気にしてるわけじゃないのに。」
誰にも聞こえない声だった。
でも、その言葉を口にした瞬間、
胸の中に溜まっていた何かが、少しだけほどけた。
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家の近くまで来ると、小さな公園があった。
少女はランドセルを背負ったまま、ベンチに座った。
夕暮れの公園には、もう誰もいない。
木の葉が擦れる音。
遠くから聞こえる犬の鳴き声。
鳥が一羽、電線に止まっている。
少女は空を見上げた。
薄い青色と夕焼けの橙色が、ゆっくり溶け合っていた。
誰も何も言わない。
その静けさが、嬉しかった。
しばらくすると、
少女は自分の呼吸がゆっくりになっていることに気づいた。
「ここ、好きかも。」
ぽつりと言った。
誰にも説明しなくていい場所。
何も気にしなくていい場所。
その時の少女には、まだ分からなかった。
この静かな時間が、
自分の心を守るために必要なものだったことを…
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長い年月が流れた。
私は秘密の図書館の奥にある棚から、一冊の本を取り出した。
少しくすんだ水色の表紙。
そこには、小さな文字で書かれている。
『気にしすぎと言われた日の帰り道』
ページを開く。
夕暮れの公園が広がった。
ベンチには、小さな少女が一人で座っている。
ランドセルを背負ったまま、
空を見上げていた。
私はその隣へ、静かに腰を下ろした。
少女は驚いた顔で私を見る。
「どうしたの?」
私が尋ねると、
少女は少し迷ってから言った。
「私ね、気にしすぎなんだって。」
「そう言われたの?」
少女はうなずいた。
「だから、直したほうがいいのかな。」
私はすぐには答えなかった。
少女と一緒に、夕焼けを眺めた。
風が吹く。
木々が、さらさらと音を立てた。
「ねえ。」
私はゆっくり口を開いた。
「もしかしたらね。」
「あなたは、“気にしすぎる人”なんじゃなくて、」
「人より少しだけ、いろんなことに気づける人なのかもしれないよ。」
少女は私を見る。
「同じじゃないの?」
私は笑った。
「似ているけど、少し違う。」
「誰かの悲しい顔に気づける。」
「声が震えていることに気づける。」
「花が昨日より少し咲いたことにも。」
「風の匂いが季節で変わることにも。」
少女は黙って聞いていた。
「それってね。」
「時々、とても疲れる。」
「だから、静かな場所へ逃げたくなる日もある。」
「でも、その感じ方を全部なくしてしまったら……」
私は少女の手をそっと握った。
「あなたの優しさも、一緒に消えてしまうかもしれない。」
少女は、自分の小さな手を見つめた。
「じゃあ、直さなくてもいい?」
「うん。」
私はうなずいた。
「ただね。」
「全部を心の中に入れなくてもいいんだよ。」
「気づいても、そっとそこに置いてくることを、大人になったあなたは少しずつ覚えていくから。」
「本当に?」
「本当。」
少女の顔に、小さな笑顔が浮かんだ。
その笑顔を見ながら、私は思う。
この子はまだ知らない。
今日「気にしすぎ」と言われて嫌いになりかけたその心で、
いつか文章を書くことを。
誰かが言葉にできなかった寂しさを見つけ、
そっと言葉にして差し出すようになることを。
私は少女の頭を優しく撫でた。
「その心、大事にしてね。」
少女は少し照れながら、うなずいた。
夕暮れの空に、一番星が光っていた。
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私は秘密の図書館へ戻り、本を静かに閉じた。
「気にしすぎ。」
昔は、その言葉を聞くたびに、
自分の心を否定されたような気がしていた。
でも今は少し違う。
確かに私は、気にしすぎることがある。
疲れてしまうこともある。
だから、自分を休ませることも覚えた。
静かな場所へ戻ること。
一人になること。
本を開くこと。
窓の外の空を見ること。
そして、
「今日はたくさん感じたね。」
そう、自分の心に声をかけること。
あの日の少女には、
「気にしない人」になることより、
「気づいてしまう自分との付き合い方」を教えてあげたかった。
きっと、優しさとは、
何も感じない強さではない。
感じたあとで、
自分の心にも優しくしてあげられることなのだと思う。
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☘️今日の心の栞
「気にしすぎ」と言われたその心は、
誰かが見過ごした小さな変化に気づける心でもある。
だから、変えなくていい。
たくさん感じた日は、
その分だけ自分にも、優しくしてあげよう。

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