愛とスキはこんなに違う
「好き」は花を引き抜き、「愛」は水をやる
こんな言葉がある。
花が好きだというとき、あなたはそれを引き抜くでしょう。でも、あなたが花を愛していれば、毎日世話をして、毎日水をやるでしょう——。
ネットではブッダの言葉として出回っているが、じつはインドの宗教家オショー・ラジニーシの発言だとされている。誰が言ったかはこの際どうでもいい。重要なのは、この短い言葉が「好き」と「愛」の違いを、恋愛小説一冊分より正確に言い当てていることだ。
人類学者のヘレン・フィッシャーは、脳画像の研究から、人間の恋愛感情が三つの別々のシステムで動いていると指摘した。
性欲、恋愛感情(夢中になること)、そして愛着だ。
三つは別の神経回路と別のホルモンで動いており、しかも互いに連動していない。誰かに夢中になりながら別の相手に愛着を持つことが可能なのは、そのためだ。
このうち「夢中」を担当しているのが、ドーパミンである。ドーパミンは快楽そのものではなく「欲しい」「手に入れたい」という渇望をつくる物質だ。
花を見て「きれい、欲しい」と手を伸ばし、引き抜くのはこの回路である。そしてドーパミンには厄介な性質がある。手に入れた瞬間に急速に減衰するのだ。だから引き抜かれた花は、花瓶に挿されて三日で見飽きられる。
一方の「愛着」を担当するのはオキシトシンとバソプレシンで、これはハトやプレーリーハタネズミにも備わっている、はるかに古くて地味なシステムだ。派手な高揚はない。かわりに、毎日同じ相手のそばにいることが苦にならなくなる。
「毎日水をやる」を可能にしているのは、こちらの回路である。
つまり「好き」と「愛」の違いは、気持ちの強さの違いではない。動いている装置が、そもそも別なのだ。
「好き」で選んだ服はクローゼットの奥で眠り「好き」で始めた習い事は三か月で終わり「好き」でつき合った相手とは、熱が冷めた瞬間に何も残らない。
ドーパミンは獲得の瞬間に最大になり、あとは下がる一方だからだ。これを心理学では「快楽適応」と呼ぶ。
どんな幸運にも人は慣れる。
宝くじの当選者も一年たてば元の幸福度に戻る。
だが、水やりは違う。毎朝ベランダの鉢に水をやる。ぱっとしない日常の反復だが、ある朝、蕾がついているのに気づく。この小さな驚きは、引き抜いた瞬間の高揚より小さいかわりに、何度でも起きる。愛着の回路は減衰しないのだ。
「好き」は感情であり「愛」は行動である。
感情は自分でコントロールできない。誰を好きになるかも、いつ冷めるかも、意志では決められない。ところが行動は決められる。水をやるかやらないかは、気分ではなく、手を動かすかどうかの問題だ。
だとすれば「愛しているかどうか」は、胸に手を当てて確かめるものではない。カレンダーを見ればわかる。
この一か月、相手のために何をしたか。自分の身体のために何を食べ、何時に寝たか。友人に、いつ連絡したか。行動の記録が、そのまま愛の記録である。
これは相手に対してだけの話ではない。自分自身に対しても、私たちはしばしば花を引き抜いている。
「もっと痩せたい」「もっと有能でありたい」と、理想の自分を欲しがっては、届かない自分をむしり取る。それは自分が「好き」なのであって、愛してはいない。
愛しているなら、まず今日の自分に水をやる。
眠る、食べる、休む。地味で、退屈で、しかし確実に効く。
愛は情熱ではなく、習慣である。
だから燃え上がらないし、映画にもならない。そのかわり、枯れない。 人生は思ったより短い。引き抜いた花を並べて眺めていられるほど長くはないが、毎日水をやり続けた花が咲くところを見るには、たぶん十分な長さがある。
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