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優しさは貸しではなく負債である

 借金の恐ろしさは、借りた瞬間には痛みがないことにある。

 優しさも同じだ。
 誰かに親切にするとき、私たちは「貸し」をつくっているつもりでいる。だが帳簿をよく見てほしい。無償で引き受けた仕事は、貸しではなく借金として記帳されている。しかも借り主はあなた自身。
 一度やった優しさは、次からは「やって当然の義務」に転記され、あなたはそれを死ぬまで返済し続けることになる。

 社会心理学者エレイン・ハットフィールドらの「衡平理論」は、人間関係を身も蓋もない収支で説明する。

 人は与えすぎても受け取りすぎても苦痛を感じ、収支を合わせようとする。ここまでは常識的だ。問題はその先で、心理学者マーティン・グリーンバーグが示したように、返せない恩を受けた側は感謝ではなく「負債感」を抱き、やがて貸し主そのものを避けるようになる。
 つまり一方的な優しさは、相手の中で不快な借金として計上され、あなたは債権者ではなく、顔を見たくない取り立て屋になっていく。良かれと思った親切が関係を静かに壊すのは、この会計処理のせいである。

 さらに残酷なのは、優しさには「前例」という複利がつくことだ。
 行動経済学が繰り返し示してきたとおり、人は一度提示された水準を基準点として固定する。

 初回の親切は感動され、二回目は喜ばれ、三回目には風景になり、四回目に断ると「変わったね」と非難される。

 提供し続けている間は利息ゼロ、やめた瞬間に延滞金が発生する。これが優しさという契約の約款であり、署名欄は存在しないのに効力だけがある。

 そしてこの約款は、全員に同じ条件では適用されない。

 組織心理学者マデリン・ハイルマンとジュリー・チェンの実験が、その格差を数字で暴いている。
 職場で同僚を手伝うという同じ利他行動をしても、男性は評価が上がるのに、女性の評価は上がらなかった。
 女性の場合は「やって当然」と見なされるからだ。
 逆に手伝いを断ると、女性だけが評価を大きく下げた。

 つまり同じ優しさが、ある人にとっては加点のボーナスで、別の人にとっては最初から給与に組み込まれた基本業務にされている。
 頼まれごとを断れないのは性格が弱いからではない。
 断ったときの延滞金の利率が、人によってまるで違うからなのだ。
 会議のお茶くみも、職場の誕生日祝いの手配も、実家の親戚づきあいの調整も、誰かの「基本業務」に無断で組み込まれた優しさの残高である。

 では、どう返済計画を立て直すか。

 第一に、新規の借入を審査制にすること。
 頼まれごとを受ける前に「これは一回きりの取引か、恒久的な担当になるか」を見積もる。
 恒久化しそうな案件は、初回から満額で応じない。冷たいのではなく、与信管理である。

 第二に、既存の債務は一括返済ではなく、静かな減額交渉で減らす。
 「今回はできない」を淡々と繰り返せば、基準点は少しずつ下方修正される。相手は一時的に不満を示すだろうが、それは延滞金の請求ではなく、金利の正常化に対する抵抗にすぎない。

 第三に、優しさを出すなら、見返りを期待しない額——つまり失っても惜しくない額——に限ること。投資の鉄則がそのままここでも通用する。

 優しさそのものは美しい。

 だが無限に引き出せる口座だと周囲に思われた瞬間、それはあなた名義の借金に変わる。
 返済で人生の残高が尽きる前に、一度、通帳を記帳してみるといい。

 あなたが「いい人」でいられているのは、誰かがあなたの信用枠を使い放題にしているだけかもしれないのだから。


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