たくさん選べる店ほど、じつは客は何も買わない
選択肢は多いほどいい。自由は多いほどいい――この近代社会の大前提を、そろそろ疑ってかかったほうがいい。
じつは、選べるものが増えるほど、人はかえって選べなくなり、しまいには何も選ばずに立ち去る。しかも、たまたま選んだ後でさえ、満足度は下がっている。
社会心理学者シーナ・アイエンガーが行った、いまや古典となった「ジャム実験」がある。
高級食料品店の試食コーナーに、あるときは二十四種類のジャムを、別のときは六種類のジャムを並べた。どちらが客を惹きつけたか。品揃えが豊富な二十四種類のほうが、より多くの通行人の足を止めた。
ここまでは常識どおりだ。
ところが、実際に購入に至った割合は、まるで逆の結果になった。
二十四種類を見た客のうち、実際に買ったのはわずか三パーセント。対して、六種類しか並んでいなかった場合、購入率は三十パーセントに達した。
選択肢が四分の一に減ったことで、購入率はおよそ十倍に跳ね上がったのである。
なぜ、こんなことが起きるのか。
選択肢が多すぎると、人間の脳はいくつもの負荷に同時にさらされる。
まず、すべての選択肢を比較しきれないという情報過多。
次に「もっと良いものがあるかもしれない」という判断の先送り。
そして最も厄介なのが、選んだ後にやってくる後悔の予感だ。
二十四個の中から一つを選ぶということは、二十三個を捨てるということでもある。選ばなかった二十三個の中に、より良いものがあったのではないか――この「見送った選択肢への後悔」の予感が重くのしかかり、脳は決断そのものを回避する。
心理学者バリー・シュワルツはこの状態を「選択のパラドックス」と呼んだ。自由の拡大が、幸福ではなく麻痺と後悔を生む、という逆説である。
さらに残酷なのは、苦労して選び切った後も割を食う、という点だ。
選択肢が多い中から選んだ人は、選択肢が少ない中から選んだ人よりも、自分の選択への満足度が低くなる傾向がある。
理由は同じだ。捨てた選択肢が多いほど、「あっちのほうが良かったかもしれない」という比較対象が大量に残り、選んだものの価値を目減りさせる。
選択肢の多さは、決断を妨げるだけでなく、決断の後の満足まで蝕む。豊かさが、そのまま不幸の種になっている。
この構造は、あらゆることに「最善」を求めてしまう人ほど深く突き刺さる。
シュワルツは、人間を二つのタイプに分けた。あらゆる選択肢を吟味して最良のものを求める「マキシマイザー(最大化人間)」と、一定の基準を満たせばそれで手を打つ「サティスファイサー(満足化人間)」だ。
研究が示すのは、皮肉な事実である。
より良い結果を執拗に追い求めるマキシマイザーのほうが、客観的には良い選択をしていることが多いにもかかわらず、主観的な幸福度は一貫して低い。
ベストを尽くそうとする真面目さそのものが、後悔と不全感の源泉になっている。
妥協を許さない人ほど、選択の海で溺れやすいわけだ。
実践的な着地点は、選択肢を減らせ、という一点に尽きる。
ただし、世界の選択肢は減らせないから、減らすのは自分の側の基準のほうだ。
何かを選ぶとき「これ以上探せば、もっと良いものがあるかもしれない」という無限の探索を、あらかじめ打ち切る線を引いておく。
「この条件を満たしたら、それ以上は比較しない」と決めてしまう。
買い物でも、仕事でも、住まいでも、伴侶でさえも――満足化人間の構えを意図的に選ぶことが、選択のパラドックスから抜け出す唯一の現実的な方法になる。
ベストを諦めることが、結果的に幸福度を上げる。
これは怠慢ではなく、認知資源の合理的な配分だ。
選べる自由が増えたのに、なぜか息苦しい。
決められない、決めても晴れない。
それはあなたの優柔不断のせいではなく、選択肢という名の豊かさが、静かに幸福を削っているからかもしれない。
自由は、ほどほどがいい。
全部を選べる権利は、たいてい、何も選べない不幸とセットで届くのだから。
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