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夜と霧 ~ドイツ強制収容所の体験記録~


夜と霧 ~ドイツ強制収容所の体験記録~

原題

EIN PSYCHOLOG ERLEBT DAS KONZENTRATIONSLAGER

著者・訳者

V.E.フランクル(Viktor E.Frankl)
下山徳爾(訳)

出版社

株式会社みすず書房

発行

1956年8月15日 初版 第1刷発行
1985年1月22日 新装版 第1刷発行
2020年9月25日 新装版 第53刷発行

感想

手にしたきっかけ

 現在、看護師をしている娘が大学生時代(看護学科)に、本書を読み、レポートを書くという課題を出された。その時に本書を知って、娘がレポート提出した後、読んでみたのが最初。
 その後、新訳版(訳者が変わっている。)を読んだりもしたが、今回、ビブリオバトル(テーマが「意地悪」)で本書を紹介しようと思い、再読したものである。

概要

 著者であるV.E.フランクルはユダヤ人の精神医学者である。著者は1942年9月にナチス・ドイツによって強制収容所(テレージエンシュタット)に送られ、1944年10月に悪名高いアウシュビッツに送られている。
 但し、僅か3日でテュルクハイムに移送され、そこで終戦を迎え、アメリカ軍によって解放されている。

 本書はそんな著者がアウシュビッツに送られてから解放されるまでの人間の精神状態を自らの体験を元に精神医学の観点から分析した一冊である。

心理状態の変化

 改めて読んでみて興味深いと感じたのは、

  1. アウシュビッツに送られた時

  2. 収容所で不安に苛まれている時

  3. 解放された時

のそれぞれ心理状態を記録していることである。 死と隣り合わせの環境で人間はどのような行動を取り、どのような心理状態なのか、自身の経験から分析している所が興味深い。
 更に囚人側のみならず看守側の心理状態の分析も興味深く読めた。

1.アウシュビッツに送られた時

 人間というものはオプティミズムという性質を備えているらしい。
 日本語にすると「楽天主義」とか「楽観主義」と呼ばれるものだが、人によって強弱はあるものの、困難な状況に対する防御反応として、大なり小なり、これから起こる物事をいい方に考えようとするそうである。

 精神医学では「恩赦妄想」という病象だそうで、死刑判決を受けた者がまさに執行の直前に「自分は恩赦されるだろう」と空想することだという。
 これと同じことがアウシュビッツに到着した時、著者を含め多くの人が希望にすがり、悪いことにはならないだろうと考えていたというのだ。当時既にアウシュビッツの悪名は轟いていたというのにである。

 実際、アウシュビッツに到着して、最初にナチス親衛隊の高級将校の前で右を指さされた者は右に、左を指さされた者は左に進むのだが、皆、自分は恩赦の対象だという恩赦妄想に取りつかれていたという。
 何が行われたかというと左を指さされた筆者はそのまま囚人(労働者)となり、老人や女性など大部分の右を指さされた人たちはそのままガス室に直行させられたという。
 この選別によってガス室に送られた人たちも自分だけは大丈夫という妄想に駆られていた。

2.収容所で不安に苛まれている時

 1.で死を逃れても、当然だが囚人としての辛い生活が待っている。
 ここではまず比較的無感動という状態になるらしい。まず自分の内面の感情を殺し始めるのだ。
 例えば最初はだれか仲間の囚人が、刑務官にサディスティックにいたぶられているのを見ると嫌悪感を催していたのに、そのうちに何も感じなくなるという。無関心、無感覚が強くなるのだ。

 また人間の持つ欲求はこのような極限の状況に置かれると、生存(生き残り)に必要のない欲求から消えていくというのはなるほどと思った。
 例えば食欲は生きるのに必要であるため、他の欲求が消える分、余計に強くなるというのである。それこそわずかなパンの欠片を複数人で奪い合ったりということが収容所では起こる。
 一方で収容所に同性愛者はいなかったらしい。(刑務所には同性愛者もいるという話は聞いたことがあるが。)これは性欲は無くても生存はできるため、消えてしまうためだそうだ。
 なるほどとは思ったが、若い男性が性欲も無くすなんて、とんでもない環境下、まさに極限状態に陥ると人間はこうなってしまうのかと驚いた。

3.解放された時

 冒頭でも述べたが筆者はアウシュビッツでは僅か3日間過ごしただけで、テュルクハイムに送られ、そこで終戦を迎えている。

 少し話はそれるが筆者はアウシュビッツを出たからと言って、安心というわけではない。私はあまりにもアウシュビッツが悪名高いので、他の収容所はアウシュビッツほどではないと思っていた。
 本書の解説によればアウシュビッツ以外にもブッヒェンワルト、ダッハウ、ラヴェンスブリュックなどの強制収容所があり、それぞれの収容所でアウシュビッツに勝るとも劣らぬ虐殺が繰り広げられていたことを知った。

 話は戻って、まず筆者は解放時の心理を描く前に収容所の看視兵のことを書いている。
 看視兵にも2つのタイプがあり一つはサディスティックな者。もう1つは道徳的な意味で人道的な者である。
 前者は最初は命令に従う形で囚人を虐待していたが、そのうち感覚が麻痺しどんどんサディスティックになっていったという。この点は囚人でなくても自分の内面の感情を殺す比較的無感動状態になるのではないかと思った。
 反対に人道的なものは命令に背いても病人に身銭を切って薬を与える人もいたという。

 また囚人の中にもサディスティックな者と人道的な者がおり、筆者は看視兵(ナチス)だから悪。囚人だから善。というような属性による分類は不可能だと言っているが、その通りだと思った。

 そして解放された時である。
 死と隣り合わせの極限状態から解放されて、皆、狂喜乱舞しただろうと思っていたが、そうではなかったらしい。
 あれほど欲していた「自由」であるが、既に憧れとしての自由は失われており、自由になったという現実をうまく受け入れられないのだという。
 極限状態が長く続くと、解放されてもすぐににはうまく受け入れられないとは、なんと恐ろしいことなのか。人間の精神とはかくも脆いものなのかと驚いた。
 綺麗な花が咲き誇っているのを見ても、認識はしているが感動を伴わない。自由になって嬉しいはずなのに「嬉しかったか?」と問われて、「嬉しいはずなのだが、そうではなかった。」と答えるのは、人間は精神が破壊されるとこうなってしまうのかと思った。
 心理学的に言うと離人症というそうで、あらゆるものが非現実、不確実、夢のように思われ、現実を信じることができない症状に罹患すると知って恐ろしさを感じた。

 時間が経てばこのような状況からも脱して元に戻るが、精神よりも先に体が反応を起こすということも知った。
 ある日、突然、食事をがつがつと摂り始めるというのだ。これもやはり人間は生存に必要なことから順に、回復していくということではないだろうか。人間が生きて行く上で栄養補給(食事)は欠くべからざるものなので、まずは体から反応を示すということなのだろう。
 そして順番に感動や喜びといった感情を取ろ戻して行き、それと同時に表情も蘇って来るそうだ。

貴重な資料ではあるが…

 本書は著者の実体験に基づいて書かれたもので、精神医学上、貴重な資料となっている。
 娘が看護師を目指していた頃、レポートのための課題図書となったのも頷ける。(娘が看護師を志望しなければ、私は恐らく本書を手にすることはおろか、知ることも無かったかもしれない。)

 言葉は悪いがナチスによる壮大な人体実験があってこのような貴重な資料が生まれたわけである。
 ただ、そもそもホロコーストが無ければ、本書が書かれることは無かったわけで、(著者の精神医学に関する論文は出たかもしれないが。)多くの人が犠牲になることも無かっただろうし、現代の世界情勢も変わっていたかも知れない。
 そういう意味においては本書を生み出すきかっけとなった、ナチスの行った悪行の数々はやはり許されるべきではないし、罪深いことだと思った。
 本書によって精神医学の分野は進歩したかも知れないが、例え進歩が遅れてもあのような(本書には当時の写真も多く掲載されており、正視に堪えない人は新訳版を読むことを勧める。)残虐ことが起きたのは人類にとって悲劇だと思う。

 そしてロシアによるウクライナ侵略や中東情勢に見られるように、未だに人類は同じ過ちを繰り返しているのかと思うと情けなくなる。

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