霜葉

近頃急に気温が下がって、吹く風から秋の匂いがする。吸い込んだ空気の奥に、底冷える京都の冬が潜んでいる。

この一ヶ月間はいろいろ忙しかった。集中講義、勉強会、インターン、研究室合宿! 九月の前半にやるべきタスクが山ほど詰まっていて、それが過ぎた瞬間にやるべきことがゼロになった。圧倒的自由。なので最近は気になる企業説明会にぼんやり参加したり、書きためていた小説の続きを書いている。ゆっくり散歩をすることもある。最近は夏の陽差しも和らいでいるし。この秋の空気感はかなり好みだけど、過ぎた夏を想うともの悲しい気持ちにもなる(家の前に咲く百日紅の花も散っていた)。

秋の近づいたこの時期に、いつも思い出す詩がある。唐代の詩人、杜牧の「山行」である。以下に引用する。

遠上寒山石徑斜 遠く寒山に上れば石径斜めなり
白雲生處有人家 白雲生ずる処人家有り
停車坐愛楓林晩 車を停めて坐ろに愛す楓林の晩
霜葉紅於二月花 霜葉は二月の花よりも紅なり

杜牧「山行」

この漢詩に現れる晩秋の空気感、かなり好きだ。ぴんと張った冷たい空気と、そこに映えるように燃える霜葉の色のコントラストがよく伝わる。「寒山」「石径」「白雲」の冷たい印象を持つ語を前半に固め、後半に「楓林」「晩」「霜葉」というように赤色を表す語を畳みかけるように出す。テクニカルなだけでなく、詩としての言葉も芳醇である。

この詩で特に好きなのは最終句。ここでいう「二月の花」とは桃の花であり、簡潔に言えばそれは春の花であるが、つまりここで言いたいのは、晩秋に染まる楓の紅葉は、春の盛りに咲く花よりも鮮やかだ、ということである。始まりの季節である春だけでなく、終わりの直前である晩秋にも生命は輝く。むしろ、終わりにこそ最も強く輝く。沈む夕陽が美しく照るように。

就活をしていると、自分のモラトリアムの終わりを強く実感する。霜葉が寒山に染まるように、自分のモラトリアムの終わりに何か輝くものを作りたい。

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