試し読み:『装丁家・坂川栄治の仕事とその時代』はじめに
2026年6月24日刊行の『装丁家・坂川栄治の仕事とその時代』より、本書の著者・監修者・ブックデザイナーである坂川朱音さんの「はじめに」をご紹介します。
本書では、約35年にわたって7,000冊超にもおよぶ雑誌・書籍の「顔」を作り続けた装丁家であり、ベストセラー請負人とも呼ばれた坂川栄治氏、そして彼が率いた坂川事務所の仕事を多面的に紹介します。坂川氏と同時代を生き、交流のあった作家、編集者、イラストレーター、デザイナーなどの業界関係者による時代の証言も収録することで、出版業界の潮流やその社会背景についても垣間見ることのできる一冊です。ぜひ読んでみてください。
はじめに
僕は東京で働くデザイナーにコンプレックスを抱いていた。東京の人は、すべてが一流で、素晴らしくて、カッコイイ仕事ばかりしているものだと考えていた。だから地方出身の、それもまるで日本という国の端っこから来た僕のような田舎者が、うまくやれるはずがないと思いこんでいた。
ー 坂川栄治って誰ですか? 執筆:坂川朱音(装丁家・娘)
坂川事務所は1987年に35歳の坂川栄治が設立しました。
雑誌『SWITCH』の仕事にはじまり、2020年に急逝するまでの33年間に、約7000冊以上の装丁を手掛け、その間13冊のミリオンセラー(100万部超)の誕生に携わりました。
装丁家の作品集というのは多くが生前に作られており、本人がこだわりをもって編集、執筆、デザインをしている場合が多いのですが、坂川の場合、自著を7冊も出しているにもかかわらず、デザインの本は装丁の教科書として作った『本の顔』(芸術新聞社、2013)のみでした。
本人が生きているときであれば、持論を語ったり、自分の見せたいように作品としてまとめることもできたでしょうが、いかんせん、このような機会に恵まれたのは、死後でした。本人としては不本意かもしれませんが、同業の娘として、極力俯瞰で見た坂川栄治、坂川事務所の作品集としてまとめることに努めました。生前、没交渉になっていた方にも、ご協力を賜り、結果的に多くの方々のお力を借りる形となりました。改めて感謝ばかりです。
また、坂川本人がいないので、同時代に仕事をしていた方々に、坂川事務所の仕事に限らず、当時のことを時代背景ごと書いてほしいというお願いをしました。死後にめちゃくちゃ美化してくれている方もいますが、ここでは極力フラットに事実に基づいて掲載しています。
本書内ではさまざまな方が各々「坂川事務所のデザイン」について記述してくださったので、ここでは本人のプロフィール代わりに、仕事を共にしてきた、現場の坂川栄治について書きます。
装丁家と聞くと美しい本を作る人、というイメージが強いですが、坂川の場合は「作品」というより「商品」意識が強い装丁家でした。例えば「おしゃれ」や「かっこいい」デザインと依頼されたとき、装丁家はそのさじ加減を編集者との打ち合わせで推し量っていくのですが、そうした依頼でも坂川がよく言っていたのは、「(なぜか)島根県の、ちょっと背伸びした中学生が書店で「かっこいいな」と手を伸ばして、自分のお小遣いで買う」イメージでした。その理由は「尖りすぎると東京を出ない。少しデザインに対して感度の高くなってきた中学生が反応するくらいの尖りにしないといけない。東京の感度の高い大人に照準を合わせると一般的な読者を突き放してしまう」。
そんな持論から、坂川事務所の丸みを帯びた装丁は生み出されていったのですが、はじめからそうだったわけではありません。
雑誌『SWITCH』創刊時のデザインは、現在活躍するデザイナーや編集者にも大きな衝撃を与えたと語られており、坂川事務所初期に仕事の依頼に来た編集者の多くがその読者でした。その後の海外文芸にはじまる装丁の数々は、今見てもバキバキに尖っているものが多く、同業の娘としては、なぜそのステージを降りてしまったのかと残念でなりませんでしたが、転機はデザイン、印刷業界を一新させたデジタル化の流れでした。
90年代半ばから徐々にデザイン事務所にMacが導入されはじめ、坂川事務所では2000年にDTPに本格移行したのを機に、坂川はパソコンを使わない選択をし、直接手を動かすデザイナーからディレクター専業となりました。
多くのデザイナーが版下のアナログ作業からデジタル作業に移行し、版下を継続するデザイナーもまだいましたが、自らの手でデザインすることをやめたのは装丁業界内では珍しいケースだったと思います。
とはいえ、すべての打ち合わせに出て、構図を決め、イラストレーターの選定や発注、用紙や色の指定は本人が行っていました。
デザイン作業は、坂川がノートに描いた設計図のようなスケッチを基にアシスタントデザイナーがレイアウトしたものに、背後からモニター上で書体や配置位置などについて指示を出していました。
それまで自分の手先から生み出していたものが、スタッフであるデザイナーの背後からモニターを見て指示を出す手法に変わり、肉眼ではわからないズレすらも拡大してモニターで確認ができるようになったのに反して、坂川はさらに一歩離れて遠隔で制作することになったのでした。
それはときに「手に取りやすいデザイン」を求められるデザイナーが直面しがちな、「余計なこだわり」をなくすことに繋がったともいえます。
そもそも、デザイナーにしては珍しく、「絶対こうあるべき」という神経質
なこだわりはあまりないタイプでしたが、「これはダサい」という独自基準だけは明確かつ厳格にある人でした。ただ、そこさえクリアしていれば許容範囲は案外広く、それがゆりかごから墓場までのように、「だるまさん」シリーズから『千の風になって』まで、幅広いジャンルと年齢層の、ベストセラーに繋がったのかもしれません。
今回ここに掲載した1000冊以上の本の多くが絶版です。
おしゃれなセレクト書店ではほとんど見かけないのに、ブックオフでは大量に見かける坂川事務所装丁の本でさえです!(これは売れた本ほどブックオフ流出率が高いという賛辞)。
本は残る、なくならないと思われがちですが、気になったときに買っておかないと案外すぐに絶版になる生ものです。
翻訳書には版権の期限があり、書店では2週間おきに新しい本が棚を一新します。動かない本はあっという間に返本、ときに断裁されます。
本や雑誌といった出版物が情報、娯楽、知識、記録、文化といった多様な側面をもった大きな媒体だった時代から、現在の「出版不況」といわれて久しい時代に至る40年余ですが、いちデザイン事務所が関わった書籍からだけでも見えてくる現象があります。
例えば、坂川事務所がはじまってまもなく、「バブル期」と呼ばれていた時代にはさまざまな国の海外文芸作品がたくさん刊行されました。海外文芸というのは海外で刊行されている作品の版権を買い、日本語に翻訳して印刷、出版するため、時間も予算もかかります。当時は円高だったから驚くような定価にならなかったというのもあるでしょう。これまであまり知られていなかった国の作品など新しい文学を輸入する、というのが80年代後半から起こった新しい現象でした。
もうひとつ例を挙げると、少子化になってからのほうが不思議と絵本と児童書の売上は伸びています。これは1人の子どもに対して両親+両祖父母の計6人の大人が子どもに目とお金をかけられることも一因といわれていますが、 2000年前半頃から新しいタイプの絵本や作家が台頭してきたこともあり、若い親たちの興味を引いたことから、短期間にベストセラーが生まれる現象が今に至るまで起こっています。
こうした景気や、社会現象は常に本にも反映されます。
時代の変遷をわかりやすく見るために約10年刻みで年表と、有識者の方々の寄稿や取材記事、対談、同時代を見てきた方々へのアンケートも行い、収録しました。
昭和世代には懐かしく、平成、令和世代には新鮮に感じられると思います。
ほかにも『SWITCH』のデザインにまつわる生前のトークイベントの再録、『SWITCH』創刊時の副編集長と坂川の当時のアシスタントの右腕対談、ブロンズ新社の当時の編集者による座談会に加え、「写真」「装丁」「イラストレーション・絵本」のコラム、終盤は(デザインの話をほぼしていない)元スタッフ座談会に、坂川事務所ができるまでの前章譚の自伝など、装丁たちだけでなく、当時を感じられる読みものも盛りだくさんになりました。
いちデザイン事務所の装丁を通した小さな出版史としてお楽しみいただければ幸いです。
















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