なぜ日本の近代化は西洋と同じ道を歩まなかったのか?|日本資本主義論争から考える現代社会【現代社会学】歴史と近代①
現代という時代は、グローバル化の進展のなかで資本主義のさまざまな矛盾が露呈し、社会の格差や貧困といった構造的な問題がかつて以上に可視化されています。こうした状況のなかで、マルクスの理論が改めて注目されていることも、決して不思議なことではありません。しかし、私たちがこの複雑な現代を読み解くにあたり、あえて今、戦前の日本へと視線を戻すことには、単なる歴史の回顧を超えた重要な社会学的意味があります。
かつて、20世紀初頭のマルクス主義者が19世紀のヨーロッパを対象として形成されたマルクス理論を日本社会に適用しようとしても、現実の天皇制国家は古典的な資本主義社会のイメージとは大きく異なる特徴を持っていました。そこで日本社会に残存する封建的な性格と、天皇制国家が持つ絶対主義的な性格をどのように理解するのかをめぐって、講座派と呼ばれる論者と労農派と呼ばれる論者との間で論争が行われることになりました。これが戦前の社会科学を代表する論争の一つとして知られる日本資本主義論争です。多数の経済学者、法学者、歴史学者、運動家などを巻き込んだこの論争は、日本社会をその固有の歴史的条件から捉え直す契機の一つとなり、戦後の社会科学にも大きな影響を与えることになりました。
講座派と労農派。この2つの学派が対峙した地点にこそ、現代の私たちが考えるべき近代のジレンマが横たわっています。
講座派は、農村に残る封建的な性格と天皇制国家の絶対主義的な性格を強調しました。したがって、明治維新を市民革命とは捉えず、封建制から絶対主義的な国家体制への権力再編として理解しました。
他方で労農派は、日本社会における資本主義の発展を重視し、天皇制を立憲君主制という側面から捉えました。そのうえで明治維新を市民革命として位置づけ、農村に残る封建的な性格も資本主義の発展とともに次第に解消されていくと考えました。
社会学的な視座からこの論争を俯瞰すれば、両派の対立は経済発展に共通する論理と資本主義の後発国が持つ国家権力や社会構造の特殊性という、近代社会が抱える二つの側面をめぐる対立として捉えることができます。経済発展の側面から日本社会の資本主義化を分析した労農派と、後発資本主義国における政治的・社会的な特殊性に注目した講座派。両者の緊張関係は、日本社会を単純にヨーロッパの発展モデルへと当てはめるのではなく、その歴史的・社会的条件から捉える必要性を浮かび上がらせました。
あなたがビジネスの最前線で直面されている組織の論理や市場の変動も、この歴史的経緯と無関係ではありません。民主主義的な制度や社会の成熟と並行してではなく、急速な経済的近代化を進めた日本の歴史。その過程で形成された制度や価値観、社会関係の一部は形を変えながら現在の日本社会にも残されています。こうした歴史的な積層を理解することは、現代の日本社会が抱える構造的な問題を考えるための一つの重要な手がかりになるでしょう。
歴史を学ぶとは、過去の亡霊を呼び出すことではありません。それは現在という時間がどのような歴史的積層の上に成り立っているのかを解明する作業です。あなたがこの歴史的コンテクストを自らの思考の中に位置づけ、現代の資本主義を冷徹かつ構造的に捉え直すための一つの視座として活用されることを願っています。
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