【壮絶な過去 #2】病名「髄芽腫」。小児病棟で大人が耐えた、7ヶ月間の地獄
手術後の激痛の中で、僕の新しい「敵」の正体が判明しました。 病名は、「髄芽腫(ずいがしゅ)」。
先生の口からは直接言われませんでした。でも、ベッドの上で震える手でスマホを操作し、その病名を検索したとき、血の気が引きました。 検索結果に表示されたのは、この文字です。
「グレード4(最高悪性度)」
進行が早く、予後も決して楽観できない…。しかも、当時の僕にはもう一つの恐怖がありました。
「詳細なリスク群が、まだ分からない」
なんでも、僕の腫瘍は非常に稀なタイプらしく、大阪の専門施設に検体を送って遺伝子レベルの解析をする必要があったそうです。 しかし、結果を待っていては手遅れになるかもしれない。
「見切り発車でも、今すぐ最強の攻撃を仕掛けるしかない」
こうして、敵の正体が完全に見えないまま、僕の人生をかけた「実験(治療)」が幕を開けました。
■治療プロジェクト仕様書:JCCG-MB19
2023年1月23日。入院手続きを済ませた僕に渡された、治療の設計図(プロトコル)がこれです。
【プロトコル名:JCCG-MB19】
対象: 小児髄芽腫(4歳以上・標準リスク群プロトコルを適用)
開始日: 2023年1月23日
治療内容:
・化学療法(抗がん剤)
・放射線治療(全脳・全脊髄照射)
・自家末梢血幹細胞移植(大量化学療法)
使用薬剤(通称:悪魔のフルコース):
・シスプラチン(強烈な吐き気と、聴力低下のリスクがある劇薬)
・エンドキサン(出血性膀胱炎の副作用あり、血尿を防ぐために大量の点滴と排尿を強いられる)
・エトポシド、オンコビン(脱毛、手足の痺れ、骨髄抑制…)
これらを、「殺されるんじゃないか」と思うペースで身体にぶち込んでいくのです。(ここに記したのは一部です。さらに詳しい治療や数字などは別記事でまとめます)
漢字とカタカナが並ぶこの文字列。 髄芽腫は本来「小児」に多い病気のため、大人の僕に適用されたのは**「小児用プロトコル」でした。 通された病室は、もちろん「小児病棟」**。 アンパンマンのプレイルーム、廊下に響く子供の泣き声。 そんな中で、29歳の男が一人、副作用のフルコースに挑むことになったのです。
「看護師が悪魔に見えた」極限の夜
治療が進むにつれ、副作用は確実に僕の身体を蝕んでいきました。 特に辛かったのは、大量の抗がん剤を入れている時です。 免疫機能は底を打ち、高熱が下がらない。そして粘膜障害で喉がただれ、水を飲むことすら激痛が走る状態。 それなのに、決められた時間に「錠剤の薬」を飲まなければなりません。
喉が焼けるように痛い。吐き気で身体が受け付けない。
「もう、無理です...飲めません...」
そう訴えても、看護師さんは引きません。僕が飲み込むまで、ベッドの横でじっと監視しています。 もちろん、それが僕を救うための彼女の仕事であり、愛の鞭であることは頭では分かっています。 でも、あの高熱と激痛の中で仁王立ちする姿は、申し訳ないけれど**「悪魔」**に見えました。 「これを飲むまでは、逃がさない」 そんな無言の圧に負け、涙目で薬を流し込む。そんな夜が何度もありました。
閉ざされた世界に届いた「光」と「言葉」
当時の病院は、コロナ感染対策の厳戒態勢下。原則、親族以外の面会はNGでした。 外部との接触が遮断された孤独な世界。 それでも、僕のスマホには、いろんな友達からのLINEが届き続けていました。昔の仲間がお守りを送ってくれたこともありました。 返信すらできない日もありましたが、その通知の一つ一つが「お前は一人じゃない」と言ってくれているようでした。

また、担当のリハビリスタッフが偶然にも弟の知り合いで、彼との何気ない会話や笑顔も、僕の心を繋ぎ止めてくれました。
そして、眠れない夜に読み漁った本の中に、当時の僕を支えた言葉があります。 震える手で書き留めたメモが、今も残っています。
「向かい風が強いということは、前向いて走ってる証拠や。胸張ってええ」
「計算よりも情熱をベースにして行動を繰り返す」
「納豆ご飯でもいい、家が散らかっててもいい、子どもの話を聞く、心が大事」
「今は向かい風の中にいるだけだ。止まっているわけじゃない」 そう自分に言い聞かせ、枕元の娘の写真を見つめ続けました。 「かっこいい背中を見せるんじゃなかったのかよ」 高熱でうなされる中、その写真と言葉だけが、現実と僕を繋ぐ命綱でした。

生還。しかし、世界は変わっていた
7ヶ月。季節が変わるほどの長い時間を耐え抜き、僕はなんとか生還しました。 最終的な治療の効果判定もクリアし、病院を出て、久しぶりに吸った外の空気。 「助かったんだ...」
しかし、戦いは終わっていませんでした。むしろ、ここからが「現実」という別の地獄の始まりでした。 命と引き換えに残ったのは、ふらついてまともに歩けない身体(体幹失調)、揺れる視界(眼振)、バセドウ病。
そして家に帰って待っていたのは、
「離婚」と「無職」。
空っぽになった僕の手に残されたのは、ボロボロの身体と、社会から弾き出された疎外感だけでした。
【今後の連載予定】〜絶望から這い上がる「実験記録」の全貌〜
次回予告:【壮絶な過去 #3】29歳、無職、出戻り。「働く親」を見送る毎日の情けなさと、僕の生存戦略
すべてを失った29歳。実家に帰った僕を待っていたのは、毎日働きに出る高齢の両親を見送る「居心地の悪さ」でした。傷病手当金なし。障害年金なし。そんな僕がどうやって食い繋いだのか?次回、僕をどん底から救いあげた「2つの給付金」と、人生を再構築するためのリアルなお金の話へ。
ここから、僕の逆襲(リスタート)が始まります。
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脳腫瘍サバイバーとして、後遺症と闘いながらエンジニアを目指し勉強中です。現在は無職のため、頂いたサポートは全額、技術書の購入や学習環境への投資に充てさせていただきます。「また社会で働きたい」という夢を叶えるため、少しでも応援していただけると本当に励みになります!