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老舗を立て直した3代目の覚悟と手腕~銀座英国屋の復活劇~


老舗企業の再建と聞くと、どのような姿を想像するでしょうか。

伝統を守りながら、新しい商品を開発する。
若者向けにブランドを刷新する。
海外へ進出する。
店舗を増やして、再び成長軌道に乗せる。

おそらく、そんな華々しい復活劇を思い浮かべる人が多いはずです。

しかし、高級オーダースーツ店「銀座英国屋」の復活は、その真逆でした。

店舗を減らす。
社員数を減らす。
売上規模を追わない。
旗艦店さえ閉じる。

かつて42店舗、売上高100億円超を誇った会社が、現在は東京・銀座と大阪・梅田の2店舗だけになりました。

それでも、売上高は店舗数が11店舗だった2020年3月期の14億3000万円から、4店舗まで減らした2026年3月期には14億8700万円へ増加。直近4年間は経常利益率も2桁台を維持しています。

店舗数を半分以下にしながら、増収増益。

これは、小売業の常識からすれば異例です。

なぜ、そんなことができたのでしょうか。

そこには、泥船のような会社を28歳で引き継ぎ、古参役員を一掃し、安売りをやめ、売上高の3割を稼いでいた旗艦店まで閉鎖した3代目、小林英毅社長の覚悟がありました。

これは、老舗ブランドの復活劇であると同時に、経営者が「何を捨て、何を残すか」を決める物語です。

42店舗、売上高100億円の成功が、会社を苦しめた

英国屋は1940年、東京・日本橋で創業しました。

バブル期までは百貨店の成長に乗り、声がかかれば次々とテナント出店。最盛期の1989年には42店舗、売上高100億円超、社員数500人という規模にまで拡大します。

数字だけを見れば、大成功です。

店舗が増える。
売上高が増える。
社員が増える。
店長のポストも増える。

企業が成長しているように見えます。

ただし、その出店のすべてが、緻密な採算計算に基づいていたわけではありませんでした。

創業者には、「店舗を増やして店長を増やしてあげたい」という思いもあったといいます。

人情のある話です。

しかし、経営において善意と採算性は、必ずしも一致しません。

好景気の間は、多少効率の悪い店舗があっても、全体の成長によって隠すことができます。ところが、景気が悪化すると、それまで見えていなかった固定費が一斉に牙をむきます。

バブルが崩壊し、消費が冷え込むと、広がりすぎた店舗網と人員は英国屋の重荷になりました。

つまり、英国屋を苦しめたのは、失敗だけではありません。

過去の成功そのものが、次の時代の足かせになったのです。

これは老舗企業に限った話ではありません。

会社を危機に陥れるのは、間違った施策だけではない。
かつて正しかった施策を、環境が変わった後も続けることもまた、企業を弱らせます。

成功体験は、利益を生む資産であると同時に、変化を妨げる負債にもなります。

銀座英国屋の復活は、この成功体験を疑うところから始まりました。

後継ぎになるつもりのなかった3代目

3代目の小林英毅氏は、もともと家業を継ぐつもりはありませんでした。

ソフトウエア開発会社のワークスアプリケーションズに勤務し、家業とは異なる世界を歩んでいました。

ところが、親身になっていた人物から、ある言葉を投げかけられます。

自分の人生は、銀座英国屋で働いている人たちの利益によって成り立っているのではないか。

この言葉をきっかけに、小林氏は英国屋への入社を決めます。

ここが、この物語の最初の重要な場面です。

事業承継というと、家業を引き継ぐことが既定路線だった後継者を想像しがちです。

しかし、小林氏は違いました。

自分がやりたくて飛び込んだというより、そこで働く人たちへの責任を自覚し、逃げないことを選んだのです。

ところが、入社初日から待っていたのは歓迎ではありませんでした。

「俺たちの言うことだけ聞け。お前は黙っていろ」

店舗の店長から、いきなりそう言われたといいます。

社内では古参役員が強い権限を持ち、業績不振の責任を現場に押しつけていました。会議では店長を激しく叱責し、休暇も取りにくく、役員や店長によるパワーハラスメントが横行していました。

会社の数字が悪い。
雰囲気も悪い。
経営陣は責任を取らない。
現場は疲弊している。

しかも、古参役員たちは自分たちの報酬を増額していたといいます。

業績不振の企業で起きる典型的な現象です。

数字が悪くなると、人は原因を構造ではなく、誰かの能力不足に求め始めます。

経営陣は現場を責める。
店長は社員を責める。
社員は顧客や景気を責める。

こうして組織は、問題を解決する集団ではなく、責任を押しつけ合う集団になっていきます。

創業家出身の小林氏ですら、「潰れてしまえばいい」と思うほどでした。

それほどまでに、会社は荒れていたのです。

28歳の社長は「生け贄」だった

経営不振が続く中、銀行は融資の条件として経営トップの交代を求めました。

しかし、実質債務超過に近い状態で、社長になれば経営者保証も背負うことになります。

役員たちは、誰も社長になりたがりませんでした。

権限は欲しい。
報酬も欲しい。
ただし、責任は取りたくない。

会社が苦しいとき、人間の本性は驚くほど分かりやすく表れます。

そんな中、28歳だった小林氏が父親から経営を引き継ぎ、社長に就任しました。

古参役員から見れば、若い創業家の3代目は、責任を押しつけるのに都合の良い存在だったのでしょう。

小林氏自身も、後に「いい生け贄だと思われていたのだろう」と振り返っています。

しかし、小林氏は生け贄にはなりませんでした。

社長就任からわずか4カ月で、役員の総入れ替えを断行します。

ここに、3代目の覚悟が最も端的に表れています。

老舗企業の後継者が改革に失敗する理由の一つは、過去への遠慮です。

長く勤めた役員だから。
先代を支えてくれた人だから。
社内事情に詳しいから。
取引先との関係を持っているから。

こうした理由で、問題のある人物を残してしまう。

しかし、小林氏は、会社の歴史と古参役員の地位を切り離して考えました。

伝統は守る。
しかし、伝統を盾にして居座る人間までは守らない。

この線引きができる後継者は、実は多くありません。

しかも、英国屋はオーダースーツの会社です。

商品価値を生み出すのは、生地や縫製技術だけではありません。店舗で顧客と向き合う社員の接客、採寸、提案力がブランドそのものです。

現場のモチベーションが落ちれば、商品の品質まで落ちる。

だからこそ、最初に着手すべきなのは商品開発でも広告でもなく、組織の正常化でした。

経営再建では、数字から手をつけたくなります。

しかし、数字をつくるのは人です。

現場を壊している人間を残したまま、売上高だけを回復させようとしても長続きしません。

小林氏は、経営改革の第一歩として、組織の毒を抜いたのです。

安売りは、売上高をつくってもブランドを壊す

経営陣を刷新した後、小林氏が取り組んだのが価格の適正化です。

バブル崩壊後の英国屋は、売上高を確保するために安売りへ走っていました。

現在、銀座英国屋のオーダースーツの最低価格は税込み24万2000円です。

しかし当時は、8万円台でオーダースーツを受注するセールまで行っていたといいます。

売れないから値下げする。
値下げすると一時的に客が来る。
しかし利益が残らない。
利益が残らないから、また値下げして売上高をつくる。

典型的な安売りの循環です。

英国屋の顧客には、年収2000万円を超える経営者など、購買力の高い富裕層が多くいました。

その顧客に対して安売りをしても、大きな意味はありません。

むしろ、価格が下がることで、「英国屋で仕立てる特別感」が薄れてしまいます。

高級品における価格は、単なる交換条件ではありません。

価格そのものが、商品の意味を構成しています。

24万円のスーツと8万円のスーツでは、原価や品質が同じだったとしても、顧客が受け取る体験は変わります。

高級ブランドが値下げを繰り返すと、顧客は安くなったことを喜ぶより、「定価で買う価値があるのか」と疑い始めます。

そして一度傷ついた価格の信頼は、簡単には戻りません。

小林氏は、価格を戻し、不採算店を閉鎖しました。

これは単なる値上げではありません。

誰に、どの価値を、どの価格で売る会社なのかを定義し直したのです。

事業再生とは、売上高を取り戻すことではありません。

顧客と商品の関係を、もう一度正しく結び直すことです。

「売上高の3割」を捨てる決断

改革開始から3年余りで、英国屋は赤字体質を脱しました。

しかし、経常利益率は1桁台前半にとどまっていました。

小林氏は当時の経営を、「店の家賃を払うために服を売っているようなビジネスモデル」と表現しています。

これは非常に鋭い言葉です。

商売をしているつもりが、実際には固定費を維持するために働いている。

店舗を守るために売る。
社員数を維持するために売る。
借入金を返すために売る。
過去の経営判断を正当化するために売る。

こうなると、事業は顧客価値をつくるものではなく、既存構造を延命する装置になります。

そこに新型コロナウイルス禍が襲いました。

対面接客が難しくなり、2020年度は経常赤字へ転落します。

多くの企業にとって、コロナ禍は危機でした。

英国屋にとっても危機でした。

しかし同時に、先送りしていた決断を下すきっかけにもなりました。

最大の重荷は、銀座2丁目にあった旗艦店です。

この店舗は売上高の3割強を稼いでいました。

普通に考えれば、閉じるわけにはいきません。

しかも、銀座の一等地にある路面店です。英国屋の象徴であり、ベテラン社員にとっては心のよりどころでもありました。

一方で、年間賃料は1億5000万円超。

売上高10億円台の会社にとって、あまりにも重い固定費です。

小林氏は迷います。

その背中を押したのが、40年以上勤務する生え抜きの副社長でした。

「旗艦店の存続は諦めた方が賢明かもしれない」

この言葉を受け、2021年6月、英国屋は旗艦店を閉鎖しました。

この決断のすごさは、単に高い家賃を削減したことではありません。

売上高の3割を稼ぐ店舗を閉鎖するということは、目先の数字だけを見れば、自ら会社を小さくする行為です。

経営者には、拡大する勇気が必要です。

しかし、それ以上に難しいのが、縮小する勇気です。

新しい店舗を出す決断は、前向きに見えます。
店舗を閉じる決断は、後退に見えます。

だから、多くの会社は不採算拠点を残します。

撤退すると失敗を認めることになる。
社員や取引先に説明しづらい。
ブランド力が落ちる気がする。
もう少し待てば回復するかもしれない。

そう考えている間にも、固定費は毎月流出していきます。

小林氏は、旗艦店を閉じることで英国屋の象徴を捨てたのではありません。

象徴を守るために、象徴だった建物を捨てたのです。

ブランドは店舗ではない。
一等地の住所でもない。
豪華な内装でもない。

顧客が英国屋に求めていたのは、フィッティングの技術、接客、縫製品質、そして自分のためだけに仕立てられる体験でした。

ならば、それを守るために店舗は減らせる。

これが、小林氏の見立てでした。

路面店はいらない。必要なのは予約だった

小売業において、好立地の路面店は集客力の源泉です。

人通りの多い場所に店を構えれば、偶然店を見つけた人が入店します。

しかし、銀座英国屋の客単価は最低でも20万円を超えます。

街を歩いていた人が、偶然店を見つけて、その場で20万円以上のフルオーダースーツを注文するでしょうか。

ほとんどありません。

しかも、フルオーダースーツは、採寸、仮縫い、納品までに3回ほど来店する必要があります。

つまり、英国屋を訪れる顧客の多くは、最初から目的を持った予約客です。

この顧客行動を丁寧に分解すると、ある事実が見えてきます。

英国屋にとって、店舗は集客装置ではありません。

店舗は、予約後の顧客体験を完成させる場所です。

集客する場所と、価値を提供する場所が同じである必要はない。

この発見が、英国屋のビジネスモデルを変えました。

予約客が中心なら、一等地の路面店は必須ではない。
地方の顧客も、東京や大阪への出張時に来店できる。
店舗網を全国に広げなくてもよい。

必要なのは、全国に店舗を置くことではなく、来店理由のある顧客を東京と大阪へ送客することです。

これは、小売業でありながら、店舗ビジネスから予約ビジネスへ転換したとも言えます。

店舗数を減らして売上高が増えた理由は、ここにあります。

店舗を減らしたのに売れたのではありません。

そもそも、売上高を生んでいたのは店舗数ではなかった。

そのことに気づいたのです。

社長の仕事を「予約を取ること」に絞った

銀座英国屋には、すでに強みがありました。

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