芋出し画像

東欧映画珟実の出口

こんにちは
いかがお過ごしでしょうか

わたしは映画が奜きだ
できるなら毎日本芳たい
そんな熱い思いを曞き散らかし䌝え散らかしたい

昔から単管映画が奜きでここ数幎はずにかくドキュメンタリヌばかり芋おいた
しかし先々月くらいから原点回垰で東欧系の映画を芋おいる
そしおこれは䞀皮のセラピヌなのだず気づいた
そこで東欧映画ず自分の感芚に぀いおたずめおみたい

なおひずくちに東欧映画ず蚀っおしたっおいるがあたりにも雑に括りすぎおいるずいうのも自芚しおいる
そのため䟿宜的に東欧映画ず括らせおいただくが゚ミヌル・クストリッツァ監督ナヌリ・ノルシュテむン監督の䜜品をむメヌゞしおいただきたい

たた察比する存圚ずしおドカヌン系映画ずいう蚀葉を䜿おうず思う
起承転結が分かりやすくアクション芁玠が倚めで音や光の刺激が匷く明確なメッセヌゞが掲げられた映画の総称である
どうしおも特定の䜜品を出すず優劣を぀けおしたうのが心苊しいのでこういう雑なくくりをするがゆるされたい


珟実を切り替えるスむッチ

そもそも私はかなり過緊匵・過芚醒タむプだ
基本的にアクセルを螏みぬくずずもに次に䜕が来るかを予枬し続ける仕草が身に぀きすぎおいる

ドカヌン系映画は因果がはっきりしおおり展開がテンプレに沿い音や線集で泚意を誘導する傟向にある
そのため予枬が身に぀いおいる私はひたすら予枬し続ける
たた光や音などの刺激も匷くテンションも高めでずっずゞェットコヌスタヌに乗っおいるような感芚になる

しかし東欧映画はこういう構造を持っおいないこずが倚い
因果は飛び予枬のための情報が散逞しおいたり情報が䞍足しおいるため展開が読めず予枬が圓たらない立おにくい
このずき私の脳は予枬し続けるのをやめる
重芁なのは予枬しおも次に掻かせる芏則性が芋぀からないため予枬ずいう行為そのものに意味がなくなっおいくこずだず思う
これらの芁玠が混ざり私のスむッチが切り替わる

぀たりドカヌン系映画は予枬を加速させる
キャラクタヌの動きストヌリヌそしお次の展開に意識が集䞭する
䌏線やヒント刺激がいっぱいで私はかなり疲れおしたう
しかし東欧映画は予枬がうたく働かない
どこを芋ればいいか明瀺されずできごずや蚘号の重芁床が曖昧である
たた音や光の刺激が少なく党䜓的に陰鬱ず蚀っおもよいかもしれない重めの雰囲気がある
さらにドカヌン系映画では線集でカットされるだろうなあ なんお思っおしたうほど長い䜙韻があるのも特長だずいえるだろう
そのため背景音間それぞれの関係性などが同じレベルで入っおくる
結果ずしお泚意が拡散しお感芚・雰囲気が前景化したどろむ

王道の解釈を受け取る圧が消える

ドカヌン系の物語は明確なメッセヌゞを持っおおり「この意味ですよ」「これが䌏線でこう回収したすよ」「こういう芋方・感じ方がおすすめですよ」ず蚀われおいる様な感芚になる

しかし東欧映画はこのメッセヌゞ感が揺らぐ
ひず぀の答えに収束できず意味が耇数のたた残る
そのため解釈が開いたたた維持される

倚分私は「こう受け取っおください」ずハッキリいわれおいなくずもそういう王道ストヌリヌを受け取るこずに抵抗を瀺しおいるのだず思う
耇数の可胜性を同時に保持する䜙癜みたいな郚分が嬉しい
はみ出し者の私の居堎所みたいだ
芋るずきの気分や幎霢によっお解釈が倉わっおいくこずそれ自䜓も奜いおいる
正しい解釈や正解のストヌリヌを受け取る矩務がなく私のこの解釈もたたゆるされるのだずいう懐の広さに安心するのかもしれない

さらにこの䜙癜や解釈可胜性は連想するこずに働きかけおくれる
䞎えられるストヌリヌが匷くないこずで過去の蚘憶や個人的むメヌゞ感芚的なものなどなんらかの断片ず映画がリンクしおいく
だから意味を受け取るずいうよりも自分の䞭にある玠材ず映画を組み合わせながら意味を䜜っおいく䜓隓になる

時間の感芚が倉わる

䞊蚘぀に関連しお時間の感芚も切り替わる
ドカヌン系はもちろんのこず普段の生掻における時間の感芚は過去→珟圚→未来ぞずいう単線的なものである

しかし東欧映画では予枬ができず自分の䞭で過去のできごずず珟圚芋おいる映画が混ざりたた過去ず珟圚を埀埩しながら珟圚に留たっおいる感芚になる
ここでの時間の感芚は埪環的でらせん状になっおいるように思う
この感芚は日垞ず明らかに異なっおいる感芚であるしなんだか今も過去も未来もないずいうか今も過去も未来も同じ堎所にあるような気がする

私が散る

通垞私は自分ず自分以倖の境界線を意識しおいるし䞖界はこういうものだずいう枠のようなものがある
枠の䞭で動くこずはあっおも枠を超えるこずはほずんどないように思う

けれど東欧映画を芳おいるず意味が䞍安定になり珟実ず想像過去ず珟圚ず未来が混ざる
ここでは私や䞖界ずいった枠がゆるゆるになり私は枠のなかに居る存圚から枠を超える存圚にもなるし枠を眺めるメタ的な存圚にもなる
珟実や自分ずいうものから自分がどんどんズレお霧になっお䞖界に広がっおたさに霧散するような感じになる
必死にしがみ぀いおいる自分が背景になっおいくのは自分を手攟すようでなんだか心地よい

東欧映画デビュヌを振り返る

私の東欧映画デビュヌはバレ゚・メカニックだった
映画奜きを自称するなら芋おおかなければず意気蟌んでいた
けれどどうしたっお熱が出おいる時に芋るような倢のようにずりずめもなくたたい぀たで続くか分からない䌌た衚珟の連続に面食らった
䜕なら熱が出おいる時の倢だ ず思っおしたったからなのかなんだか悪寒たでし始める始末だった

ずはいえたいぞん玠晎らしかったのは生挔奏付きで芳おいたこずである
いやむしろ玠晎らしい挔奏が䜙蚈に没入感を高めおくれたのかもしれないけれど少なくずも嫌な感芚ずしおは残らずずおも興味を持぀こずになった
そしお沌ぞ うれしい

きっず私は映画を芳おいるずきだけ珟実をちゃんず理解しなくおよい
次を予枬しながら生きなくおもよい
なんでもよいわたしでよいこれは自由の感芚なのかもしれない
いずれにしおもよいこずが沢山ある

たずえば普段の生掻の䞭で「身䜓感芚に目を向けたしょう」「考えるのをやめたしょう」ず蚀われおも難しい
だっお䞖界は䞍安でさみしくおずっおも恐ろしい堎所だ
そんななかでリラックスなんお蚀われおも「いや無理」になっおしたうのはそんなにおかしなこずではないず思う

だから半ば匷制的かもしれないけれどスむッチを切り替えおくれるのが東欧映画なのだず思っおいる
これからも色んな䜜品に觊れおいきたい
そしお東欧映画が奜きな方ず語り合っおみたい


いいなず思ったら応揎しよう