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第15回|殺意が消えた時、私は初めて相手を見た

現実の初期化 —— 仮想空間で「私」を殺した48歳のデバッグ・ログ

※この連載は、無料マガジン「現実の初期化」にまとめています。

最初から読みたい方は、マガジンから順番に読んでいただけると嬉しいです。


第14回で、私は怒りが出るまでの流れを少しだけ見ました。

怒りは、最初に来た感情ではありませんでした。

最初に来ていたのは、身体の緊張。

次に、予測。

また威嚇されるかもしれない。
また拒絶されるかもしれない。
また嫌な気持ちになるかもしれない。

その次に、解釈。

自分はこの家で受け入れられていない。
また外側に置かれる。
また傷つく。

そして最後に、怒りが出る。

なんで、こっちがこんな思いをしなければいけないんだ。

そう見えた時、私は以前の自分を思い出しました。

猫に対して、殺意のようなものが湧いた時の自分です。

あの瞬間、私は自分が壊れているのだと思いました。

普通ではない。
最低だ。
こんな感情を持つ自分は、どこかおかしい。

そう感じました。

今でも、その感情をきれいなものだとは思いません。

正当化したいわけでもありません。

ただ、第14回で怒りの処理順を見たあと、少しだけ見え方が変わりました。

あの殺意のような感情は、本当に最初から殺意だったのだろうか。

それとも、もっと前に別のものがあって、最後にそこまで膨れ上がってしまったのだろうか。


本当は、猫のせいにしたかった

正直に言えば、私は猫の方が悪いことにしたかったのだと思います。

猫が威嚇するから。
猫がこちらを拒絶するから。
猫がいるせいで、家の中が落ち着かないから。
猫の態度のせいで、私が傷つくから。

そう思っていた方が楽でした。

自分の中に殺意のような感情が湧いた理由を、外側に置けるからです。

私が悪いのではない。

こんな感情を持たされるほど、追い詰められたのだ。

そう思いたかった。

もちろん、実際に苦しさはありました。

廊下を歩くだけで身構える。
猫の気配に身体が固まる。
威嚇されるかもしれないと予測する。
家の中にいるのに、どこか落ち着かない。

それは、きれいごとで流せるものではありません。

でも、それでも。

猫が悪い。

それだけで終わらせてしまうと、私は自分の中で何が起きていたのかを見なくて済んでしまいます。

見なくて済む。

でも、同じ反応はまた起きる。

私は、猫を責めながら、自分の中の古い防御仕様を見ないままにしていたのかもしれません。


殺意という言葉の奥にあったもの

殺意。

かなり強い言葉です。

自分でも、書くのに抵抗があります。

こんな言葉を使えば、読んだ人は引くかもしれない。

危ない人だと思うかもしれない。

動物に対してそんな感情を持つなんて、と責められるかもしれない。

それでも、この言葉を避けると、あの時の自分のログが少し薄まってしまいます。

あれは、ただの苛立ちではありませんでした。

ただの不快感でもありませんでした。

一瞬、本当に消えてほしいと思った。

目の前からいなくなってほしい。
この緊張を終わらせてほしい。
もう、こちらを脅かさないでほしい。

その感情が、乱暴な形で噴き出した。

そういうものだったと思います。

でも、そこまで見た時、少しだけ違う問いが出てきました。

私は本当に、猫を壊したかったのだろうか。

それとも、自分の中で続いている苦しさを終わらせたかったのだろうか。

猫そのものを消したかったのか。

それとも、猫を見るたびに起動する緊張、拒絶感、居場所のなさ、怒り、その全部を消したかったのか。

答えは、はっきりとは分かりません。

でも後者に近かった気がします。

私は、猫をどうこうしたかったというより、
猫をきっかけに起動する自分の苦しさを、もう終わらせたかった。

そう見えてきました。


感情と行動は、同じではない

ここは、はっきり分けておきたいところです。

感情が湧くことと、行動していいことはまったく別です。

怒りがあるからといって、相手を傷つけていいわけではありません。

殺意のような感情が湧いたからといって、それを正当化していいわけでもありません。

動物に危害を加えることを肯定するつもりはありません。

誰かを傷つける行動を、感情のせいにするつもりもありません。

だからこそ、私はその感情を見ないふりではなく、ログとして見る必要がありました。

なかったことにする。

自分はそんなことを思っていないと言い張る。

怒りをきれいな言葉に置き換える。

それでは、何も見えません。

逆に、感情に飲まれて行動してしまえば、現実を壊します。

だから、間に隙間が必要でした。

感情はある。

でも、行動は選ぶ。

この二つを切り離すこと。

それができなければ、私は自分の感情を怖がり続けるしかありません。

そして、自分の感情を怖がるほど、見ないようにする。

見ないようにするほど、突然噴き出す。

その繰り返しになります。


私は、壊れていたのではないのかもしれない

あの時、私は自分が壊れているのだと思いました。

猫に殺意のような感情を持つなんて、普通ではない。

そんな自分を、どこかで裁いていました。

でも、第14回で怒りの処理順を見たあと、少しだけ別の見方ができました。

壊れていたのではなく、
壊れないために、最後の防御が起動していたのかもしれない。

もちろん、それで許されるわけではありません。

でも、見方は変わります。

殺意のような感情は、私の本性そのものではなかった。

限界まで追い詰められた防御反応だったのかもしれない。

これ以上、傷つきたくない。
これ以上、拒絶されたくない。
これ以上、この家で異物のように感じたくない。
これ以上、自分の居場所がないと思いたくない。

その叫びが、極端な形になって出てきた。

そう考えると、ほんの少しだけ、自分を見る目が変わりました。

私は最低だ。

そこで終わるのではなく、

私は、そこまで追い詰められていたのかもしれない。

そう見る余地ができたのです。


敵のままでいてくれた方が、怒りやすかった

猫を敵にしている方が、楽な部分もありました。

あいつが悪い。
あいつがいるから苦しい。
あいつが威嚇するから、自分はこうなる。

そう思っていれば、怒りの矛先ははっきりします。

敵がいる。

だから怒れる。

でも、第14回で自分の反応ログを見てしまうと、少しそれが崩れました。

猫は、ただそこにいた。

威嚇していない時もあった。

猫がいない廊下でも、私は固まっていた。

つまり、私の苦しさは猫だけでは説明できません。

猫を敵にしたままでは、自分の中で先に起動している予測や防御を見なくて済む。

だから、猫には敵のままでいてほしかったのかもしれません。

その方が、自分の怒りを正当化しやすいから。

これは、あまり認めたくないことでした。

でも、たぶんあります。

相手を完全な悪者にしておくと、自分の中を見る必要がなくなる。

家族でも、会社でも、noteの数字でも、AIでも、同じです。

外側のせいにしている間は、自分のログを読まなくて済む。

でも、それでは現実は初期化されません。

ただ、同じ怒りを再起動し続けるだけです。


殺意は、視界を独占していた

殺意のような感情が湧いた時、私の視界はかなり狭くなっていました。

猫しか見えない。

怒りしか見えない。

自分の苦しさしか見えない。

この状況を終わらせたい。

その一点に意識が集まる。

その時、私は自分の中にある他の感情を見ていませんでした。

怖さ。
寂しさ。
居場所のなさ。
分かってほしさ。
疲れ。
情けなさ。

全部が、怒りの後ろに隠れていました。

怒りは強い。

強いから、他の感情を隠してくれます。

怖い、と認めるより、怒っている方が楽です。

寂しい、と感じるより、相手を責める方が簡単です。

傷ついた、と言うより、腹が立つと言った方が自分を保てます。

だから私は、怒りに乗っていたのかもしれません。

怒りがあると、自分が弱いと感じなくて済む。

殺意のような感情が視界を独占している間、私は自分の奥にある柔らかい感情を見なくて済んでいたのです。


消えたわけではない

では、その感情は消えたのか。

消えていません。

猫に対して、完全に穏やかになれたわけではありません。

かわいいと思えるようになったわけでもありません。

急に心が広くなったわけでもありません。

廊下で猫を見れば、今でも身体は反応すると思います。

嫌な気持ちになることもある。

怒りが出ることもある。

また同じような黒い感情が、一瞬よぎることもあるかもしれません。

それを「もう大丈夫です」とは言えません。

言ったら嘘になります。

でも、少しだけ変わったことがあります。

その感情が出た瞬間に、

これが私のすべてだ

とは思わなくなりました。

殺意のような感情がある。

でも、それだけが私ではない。

怒りがある。

でも、その奥には怖さもある。

防御もある。

過去のログもある。

そして、それを見ようとしている私もいる。

そこが、以前とは少し違いました。

感情が消えたのではありません。

視界を独占しなくなった。

それだけです。

でも、その「それだけ」は、私にとってかなり大きな変化でした。


感情をなかったことにしない

私はこれまで、嫌な感情をなかったことにしようとしてきました。

こんなことを思ってはいけない。
怒ってはいけない。
憎んではいけない。
殺意なんて持ってはいけない。
もっと大人にならなければいけない。
もっと穏やかでいなければいけない。

そうやって、自分を整えようとしていました。

でも、それは整えるというより、消そうとしていただけかもしれません。

消そうとすると、感情は地下に潜ります。

地下に潜った感情は、なくなるわけではありません。

見えないところで熱を持ち続ける。

そして、何かのきっかけで噴き出す。

だったら、見た方がいい。

嫌でも見る。

怖くても見る。

これは何か。

どこから来たのか。

何を守ろうとしているのか。

何を終わらせたがっているのか。

そうやってログとして見る。

それは、自分を甘やかすことではありません。

むしろ、責任を持つことに近い。

感情があることを認めたうえで、行動を選ぶ。

見ないふりをして暴発させるのではなく、見たうえで扱う。

それが、今の私にできる現実的な向き合い方でした。


怒りの奥にいた私

猫への怒りの奥にいたのは、たぶん別の私でした。

拒絶されたくない私。

居場所がほしい私。

家の中で安心したい私。

自分だけが異物だと思いたくない私。

誰かに、そんなに身構えなくてもいいと言ってほしい私。

その私が、怒りの奥にいました。

殺意のような感情は、強すぎるエラーメッセージでした。

でも、その奥にあったのは、

もう傷つきたくない

という、かなり単純な願いだったのかもしれません。

そう思った時、少しだけ力が抜けました。

怒りを消そうとするより、
その奥にいる自分を見る方が、たぶん必要だった。

猫を責め続けるより、
猫に反応していた自分の内部処理を見る方が、たぶん現実は変わる。

少なくとも、自分の中の世界は少し変わる。

外側は、まだ何も変わっていません。

猫は猫のままです。

家族も家族のままです。

noteの数字も、現実のお金も、急に変わったわけではありません。

でも、私は自分の感情を、少しだけ別の角度から見始めていました。


私は、その感情に全部を預けない

殺意のような感情が湧いたことは、消えません。

その事実は、私のログとして残ります。

でも、そのログをどう読むかは、少し変えられるのかもしれません。

私は最低だ。

そこで終わらせることもできます。

猫が悪い。

そこで終わらせることもできます。

でも、今はもう少しだけ奥を見ることにしました。

私は何に反応したのか。

何を守ろうとしたのか。

何を終わらせたかったのか。

どの古い仕様が動いたのか。

感情は、私の中にあります。

でも、感情が私の全部ではありません。

怒りもある。

憎しみもある。

黒い感情もある。

でも、それを見ている私もいる。

ログを読もうとしている私もいる。

そこに、ほんの少しだけ隙間がある。

私は、その隙間を大事にしたいと思いました。

猫を好きになれたわけではありません。

怒りが消えたわけでもありません。

殺意のような感情が二度と出ないと言えるわけでもありません。

でも、その感情が出た時に、私はもう少しだけ立ち止まれるかもしれない。

これは私の本性なのか。
それとも、古い防御仕様が起動しているのか。

そう問い直せるかもしれない。

私はその感情を、なかったことにはしない。

でも、そこに私の全部を預けることもしない。

殺意は、私のすべてではなかった。

それは、私の中に残っていた古い防御仕様のひとつでした。

私はそれを、ログとして残す。

そして、そこから少しずつ、現実をデバッグしていく。

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