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第14回|家族と猫は、私を壊す敵ではなくテストツールだった

現実の初期化 —— 仮想空間で「私」を殺した48歳のデバッグ・ログ

※この連載は、無料マガジン「現実の初期化」にまとめています。

最初から読みたい方は、マガジンから順番に読んでいただけると嬉しいです。


第13回で、私は少しだけ気づきました。

目の前の人に反応していると思っていた。
でも実際には、そこに過去の会議室や、昔の傷や、居場所のなさを重ねていた。

現実を見ているつもりで、過去のログを再生していた。

そう考えると、次に気になったのは、もっと手前のことでした。

反応は、どこから始まっているのか。

怒りは、いきなり怒りとして出てくるのか。
それとも、その前に何か別の処理が走っているのか。

私は、それを見てみることにしました。

猫を好きになるためではありません。
猫に勝つためでもありません。
猫を教材にするためでもありません。

ただ、猫と遭遇した時、自分の中で何が起きているのか。

そのログを取ってみようと思ったのです。

元SEらしく言えば、エラー発生時の処理フローを見る。

そんな感じでした。


廊下に出る前から、もう緊張していた

部屋のドアの前に立ちました。

廊下に出るだけです。

ただ、それだけ。

でも、その時点で、身体は少し固くなっていました。

猫がいるかもしれない。

そう思った瞬間、肩に力が入りました。

まだ見ていない。

鳴き声も聞こえていない。

足音もしない。

それなのに、身体はもう準備していました。

警戒。

予測。

防御。

私はドアノブに手をかけたまま、少しだけ止まりました。

おかしい。

まだ何も起きていない。

猫は目の前にいない。

威嚇もされていない。

それなのに、私はすでに反応している。

この時点で、少しだけ分かりました。

私は、猫に反応しているのだと思っていました。

でも実際には、猫に会う前から、猫がいるかもしれないという予測に反応していたのです。

現実より先に、予測ログが起動していました。


猫はいなかった

ドアを開けました。

廊下を見る。

猫はいませんでした。

静かでした。

何もいない。

なのに、胸の奥にはまだ硬さが残っていました。

私は廊下に出て、少し歩きました。

右を見る。
左を見る。
階段の方を見る。

いない。

それでも、どこかで探している。

猫を探しているというより、危険を探している。

どこから来るか。

またあの目で見られるか。

また威嚇されるか。

また嫌な気持ちになるか。

私は、猫がいない廊下で、猫に備えていました。

これが少し怖かった。

現実には何も起きていないのに、身体の中ではもうエラー処理が走っている。

怒りではありません。

最初にあったのは、怒りではなかった。

緊張でした。

その次に、予測。

その次に、防御。

怒りは、もっと後から来るものなのかもしれない。

そう思いました。


私は、出来事ではなく予測に疲れていた

廊下に立ったまま、私はしばらくその感覚を見ていました。

猫がいない。

でも、身体はまだ猫を警戒している。

つまり私は、現実に起きた出来事だけで疲れていたわけではありません。

起きるかもしれない出来事に、先に疲れていた。

また傷つくかもしれない。
また拒絶されるかもしれない。
また腹が立つかもしれない。
また自分の居場所がないと感じるかもしれない。

その「かもしれない」が、先に身体を固めていました。

これは猫だけの話ではありません。

家族に何か言われる前から、私は身構えていることがあります。

noteの数字を見る前から、落ち込む準備をしていることがあります。

AIに相談する前から、否定されるような感覚を持っていることがあります。

まだ起きていない。

でも、もう反応している。

私は、現実そのものだけではなく、現実の予告編に疲れていたのだと思います。

しかも、その予告編はたいてい暗い。

どうせまた嫌な気持ちになる。
どうせまた分かってもらえない。
どうせまた数字は動かない。
どうせまた自分が揺れる。

そんな映像を、自分の中で先に流している。

そして本当に疲れる。

現実が起きる前に、もう疲れている。

これでは、どんな小さな出来事にも余裕がなくなるはずです。


角の向こうから、猫が出てきた

廊下の先で、小さな音がしました。

爪が床に触れるような音。

あ、来た。

そう思った瞬間、身体がさらに固まりました。

次に、角の向こうから猫が出てきました。

こちらを見ています。

逃げるでもない。
鳴くでもない。
威嚇するでもない。

ただ、こちらを見ている。

それだけでした。

でも私の中では、一気に処理が走りました。

肩が上がる。

胸が熱くなる。

目線が固まる。

呼吸が浅くなる。

次に、言葉が出てくる。

また来た。

また見ている。

また何かされるかもしれない。

その後に、解釈が乗る。

拒絶される。

嫌われている。

この家で自分だけが外側にいる。

そして、最後に怒りが来る。

なんでこっちがこんな思いをしなければいけないんだ。

なんでただ廊下を歩くだけで、こんなに疲れなければいけないんだ。

なんで自分の家なのに、こんなに身構えなければいけないんだ。

怒りは、たしかに出てきました。

でも、最初ではありませんでした。

最初に来たのは、身体の緊張でした。

次に予測。

次に解釈。

その後で、怒り。

私は今まで、怒りだけを見ていました。

でも、怒りは最後に表示されたエラーメッセージのようなものだったのかもしれません。

その前に、いくつもの処理が走っていたのです。


怒りは、私を守るために出てきていた

猫は、まだこちらを見ていました。

私は立ち止まったまま、できるだけ呼吸をしました。

平気ではありません。

かわいいな、とは思えません。

癒やされる、でもありません。

むしろ、身体はまだ緊張しています。

でも、その緊張を見ている私がいました。

今、肩が上がった。
今、胸が熱くなった。
今、「拒絶された」という解釈が出た。
今、怒りが出た。

そうやって見ていると、怒りの見え方が少し変わりました。

怒りは、悪者というより、防御反応に近かった。

また傷つかないように。
また居場所のなさを感じないように。
また自分が小さくなる前に、先に力を出す。

そのために怒りが出ていた。

もちろん、怒りが出たからといって、何をしてもいいわけではありません。

怒りを理由に、相手を攻撃していいわけでもない。

猫にぶつけていいわけでもない。

でも、怒りそのものを「最低な感情」として切り捨てるのも違う気がしました。

怒りは、私を守ろうとしていた。

ただ、その守り方が古くなっていた。

いま目の前にいるのは、過去の敵ではありません。

ただの猫です。

それでも、私の中の防御システムは、昔の設定のまま動いていました。


猫を変える前に、ログを見る

以前の私は、猫の反応そのものをどうにかしたかったのだと思います。

威嚇しないでほしい。
警戒しないでほしい。
こちらを敵のように見ないでほしい。
できれば、普通に通らせてほしい。

それは今でも思います。

きれいごとではありません。

毎回、廊下で緊張するのは疲れます。

自分の家なのに、いちいち身体が固まるのは嫌です。

でも、猫を変えることだけに意識を向けると、私はいつも外側と戦うことになります。

猫が変われば安心できる。

家族が変われば安心できる。

数字が変われば安心できる。

AIが褒めてくれれば安心できる。

その形に戻ってしまいます。

でも今回は、ほんの少し違いました。

猫を変える前に、自分の中で何が起きたのかを見る。

怒りが出た。
その前に緊張があった。
その前に予測があった。
その前に、廊下へ出る時点で警戒が始まっていた。

つまり、出来事は猫との遭遇から始まったのではありません。

私の中では、ドアを開ける前から始まっていた。

ここを見ないまま猫だけを責めても、たぶん同じことを繰り返します。

猫がいなくても、私は警戒する。

猫がいても、私は警戒する。

ならば見るべきなのは、猫だけではありません。

私の中で先に動き出す処理です。


現実は、敵ではなくログ画面だった

私はその場で、猫を見ながら思いました。

この猫は、私を試すためにいるわけではない。

私の成長のために配置されたわけでもない。

私に気づきを与える役割を持っているわけでもない。

猫は猫です。

ただそこにいる。

その前提は、外したくありませんでした。

家族も同じです。

noteの数字も、AIの返答も、私のために存在しているわけではありません。

誰かを、自分の成長のための教材にしたくはありません。

でも、それでも。

そこに反応した私のログは、確かに残ります。

猫を見た瞬間の身体。

家族の声を聞いた時の胸の沈み。

noteの数字を開く前の緊張。

AIの返答を読む時の身構え。

それらは、私の中で起きた現実です。

現実は、敵ではなかったのかもしれません。

敵というより、ログ画面。

何が起きたか。
どこで反応したか。
どの順番で処理が走ったか。
どの解釈で苦しさが増幅したか。

それを映している画面。

私はずっと、その画面に映ったものを責めていました。

でも、デバッグするなら、まずログを読む必要がある。

エラー画面に怒鳴っても、原因は分からない。

画面を閉じても、処理は変わらない。

ログを見る。

そこからしか、始まらない。


感情はバグではなく、仕様だった

猫は、少しだけこちらを見たあと、別の方へ歩いていきました。

威嚇はしませんでした。

何も起きなかった。

でも、私の中ではいろいろ起きていました。

緊張した。
予測した。
解釈した。
怒った。
防御した。
疲れた。

それは、全部ログでした。

感情はバグではない。

何度も自分で言ってきた言葉です。

でもこの時、少し違う意味で響きました。

怒りも、緊張も、警戒も、私を壊すために出てきたわけではありません。

過去の経験から身を守るために、そういう仕様として組まれていた。

ただ、その仕様が今の現実に合わなくなっている。

昔は必要だった防御かもしれない。

でも今、そのまま動くと、廊下に猫がいないだけで身体が固まる。

まだ起きていない出来事に疲れる。

ただ見られただけで、拒絶されたと感じる。

仕様が悪いのではありません。

更新されていない。

古い環境に合わせたまま、今の現実で動いている。

だから苦しい。

そう考えると、感情を消す必要はないのだと思いました。

見る必要がある。

どんな仕様で動いているのか。

どこで古い設定が呼び出されているのか。

どの処理が、今の現実に合っていないのか。

そこを見る。

それが、現実のデバッグなのかもしれません。


反応を止めるのではなく、処理順を見る

私は、反応しない人間になりたいわけではありません。

猫に何をされても平気。
家族に何を言われても平気。
数字がどうでも平気。
AIに何を返されても平気。

そんな人間になりたいわけではない。

たぶん、それは無理です。

私は反応します。

傷つきます。

揺れます。

腹も立ちます。

怖くもなります。

でも、反応したあとに少しだけ見られるようになりたい。

今、何が最初に来たのか。

怒りか。
緊張か。
寂しさか。
怖さか。
予測か。
解釈か。

怒りが最初に見えても、その下に別の処理があるかもしれない。

怒りの奥に、怖さがあるかもしれない。

怖さの奥に、過去の記憶があるかもしれない。

過去の記憶の奥に、分かってほしかった自分がいるかもしれない。

そこまで見えれば、怒りに飲まれるだけではなくなります。

怒りを消すのではなく、怒りが出るまでの道筋を見る。

これが、私にとってのデバッグでした。


廊下は、少しだけ違って見えた

猫が去ったあと、廊下には何も残っていませんでした。

ただの廊下です。

床があって、壁があって、少し生活音がある。

でも、さっきとは少し違って見えました。

猫がいないのに固まった身体。

猫が出てきた瞬間に走った処理。

怒りが最後に来たこと。

それらを見たあとでは、廊下はただの通路ではありませんでした。

自分の中の古い仕様が起動する場所。

反応ログが残る場所。

現実を責める前に、自分の処理を確認できる場所。

もちろん、そんなふうに思えたからといって、急に楽になるわけではありません。

次にまた猫が出てきたら、私はたぶん反応します。

また身体が固まるかもしれません。

また嫌な気持ちになるかもしれません。

また怒りが出るかもしれません。

でも、少なくともひとつ分かりました。

怒りは、突然現れた怪物ではない。

その前に、身体が動いていた。

予測が走っていた。

解釈が乗っていた。

防御が始まっていた。

怒りが起きた瞬間こそ、デバッグの入口だった。

私は、廊下を戻りながら、そう思いました。

まだ何も解決していない。

猫との関係も変わっていない。

家の空気も、noteの数字も、現実のお金も変わっていない。

それでも、ひとつだけ変わったことがある。

私は、エラー画面を閉じる前に、ログを読もうとし始めていました。

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