【第23話】ポーチボレー -優しい響きの裏の顔- /40年のテニス雑記
決められるボールだったのに出られなかった。
そんなときは、ミスショットしたときと同じくらい悔しい。
ポーチボレーは、テニスの技術というより、自分の性格が試されるプレーなのだと思う。
ダブルスで、どうしても苦手なプレーがある。
ポーチボレーである。
タイミングが難しい。
早すぎてもいけない。
遅すぎてもいけない。
出て失敗すれば怒られ、
出なければ、
「あそこは出る場面だったよね。」
と言われる。
どう転んでも、少し肩身が狭い。
私は長いこと、その「少し肩身が狭い前衛」を続けてきた。
【私は"動かない前衛"だった】
私は、おじさん・おばさん中心のクラブでテニスを覚えた。
ダブルスも雁行陣が基本。
前衛は、
「自分のところへ来たボールだけ処理する」
のが当たり前だった。
だから私の前衛は、
極めて平和主義である。
自分から争いを起こさない。
センターラインも、むやみに越えない。
Tシャツの背中には、
「動かざること山のごとし」
と書いてあっても不思議ではない。
【後輩は忍者だった】
ところが、会社の後輩は違った。
バレー部出身である。
彼のポーチは本当にすごい。
相手の体の向き。
ラケットの面。
視線。
そういうものを見て、
「そこだ。」
という瞬間に飛び出してくる。
前。
横。
センター。
ロブまで追う。
まるで忍者である。
私は時々、
「君は伊賀者か? それとも甲賀者か?」
と聞きたくなる。
同じダブルスとは思えないほど動く。
悔しいが、本当にうまい。
【真っ当なテニスをする後輩夫妻】
一方で、別の後輩夫妻と打つと、妙に安心する。
旦那さんは後衛から豪快なドライブ。
奥さんはアングルショットが得意。
2人とも、ポーチに飛び出すタイプではない。
私と同じくらいの頻度で、
「行けそうなら行く。」
くらいである。
何だか落ち着く。
思わず、
「よっ、江戸っ子。」
と言いたくなるような、
私に言わせれば、実に真っ当なダブルスなのである。
【分かっていても出られない】
もちろん、
「もっと積極的に出なきゃ。」
とは思っている。
だから勇気を出して飛び出す。
すると、
見透かしたようにストレートを抜かれる。
逆に、
「今日はストレートだな。」
と読んで待っている日に限って、
センターへ返される。
どちらにしても、
私は一歩遅い。
ポーチとは、
決断力のスポーツなのかもしれない。
【「ポーチ」という名前に騙される】
それにしても、
ポーチ
という名前はかわいすぎる。
まるで犬でも抱いていそうな響きだ。
しかし実際は、
相手のコースを読み、
前へ出て、
外せば味方に謝るという、
ずいぶん過酷な仕事である。
名前だけなら、
もっと緊張感のあるものでもよかった気がする。
「決死の前衛アタック」
くらいでも違和感はない。
【勇気は、なかなかアップデートされない】
夜、お風呂に入りながら思う。
「あそこで出れば決まっていたかな。」
「いや、抜かれていたかな。」
そんなことを考えているうちに、
ふと思う。
私が前衛のときだけ、
コートが少し狭くならないだろうか。
いや、
相手コートだけ少し広く見えるようになってくれてもいい。
そんな都合のいいことを考えている時点で、
もう勝負は始まる前から負けているのである。
ポーチボレーは、勇気が試される。
そして、その勇気は年齢を重ねても、なかなかアップデートされない。
それでも、たまに一球だけきれいに決まることがある。
だから私は今日も、
「今度こそ出よう。」
と思いながら――
また一本、決められたはずのボールを見送ってしまうのである。
次回は、「インドアコートの功罪」について、 思うところを書いてみようと思います。
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