無期限メンテナンス日記318
たぶん。たぶんなんですが、たぶん風邪でした。たぶん。
8月に入ってから花粉症がひどくて、いやこれもたぶん花粉症だろうって感じでたぶんなんですが。くしゃみと鼻水がほんとにひどくて、ずっとズルズルしてるので風邪と花粉症の区別がつかないんですが、たぶんこの2~3日は風邪だったのではないかと。なんかちょっとダルかったしもともと無い集中力がもはやゼロ状態。いや集中力ももともと無いから判別がつかないんですが。たぶん風邪。
そんな中で、お茶の間に寝っ転がって甲子園の決勝戦を見て午前中を過ごし(家族大迷惑)、午後はお茶の間のテレビ前で正座してゆず×ゆづ対談を拝見させていただいておりました。(どっちにしろ邪魔)
尊い。
読書感想文とか超苦手なのでうまく言葉にできないのですが、一言で言うなら、尊い。
なんだっけ、復興支援の活動をする人に対して「震災アクセサリー」とか言う人も実際にいたわけですし同意して拡散する人もわんさかいたわけですし、被災の度合いを物差しにして人の心まで測ろうとする人もいたわけですし、自分より幸せ(に見える)人に慰められることを受け入れられないのはある意味当たり前な感情だとも思います。
その中で15年やってきた人の言葉には実感がめちゃくちゃこもっていました。
極論として言うと「自己満足」だと。しかし、「やりたい」と思う気持ちがないと、誰かのためにという気持ちで作り始めてしまうと誰にも届かないものになると。
ここからは福祉の仕事を中途半端でイチ抜けした人間が言えることかというと、どうなんだろうと思うようなことを書きます。これは私の「自己満足」だということで羽生さんの言葉を肯定の力に借りて思ったことを文字にしてみます。
最初に仕事を始めたときは「困ってる人を助ける」という頭があったと思います。つまり、してもらう側としてあげる側みたいな。
そしてこちら側が描いた理想と実際に利用したいと思う人の現実には違いがたくさんあって、もっと声を拾ってどう変わっていけばいいのかと試行錯誤しました。
それは自分に技量が無かったこともあって、うまくいかないし疲労困憊するばかり。しかも苦情はもらえても感謝の言葉はなかなかもらえない。
これだけしているのだから少しは感謝してほしい。そういう気持ちでやっていたしそれが当たり前だとも思っていました。
そうこうしているうちにものすごい勢いで同業が増えていって、福祉ではあるけれど実質は利用する側が数ある中から事業所を選べるサービス業と変化していきました。
初期の頃とはまるで立場が逆転したような変化でした。
でもここで、福祉と利用者が対等と言えるような関係になったのかなと思いました。「してあげる」的な気持ちは抜きにして、自分がその仕事をしたいからしている。それが利用する側の人にとってなにより嬉しいことなのではないかと。
対等な関係になってはじめて、利用する人の希望がひとつ叶ったのではないかと思ったのです。
羽生さんが言った「自己満足」は被災者との対等な関係とも言えるのじゃないかなと、私はそう思いました。
お仕着せではなく、被災した人が世の中に存在する「支援」の中から自分の心に入れたいと思ったものを拾い上げる。
そうなった時にはじめて人の心に届くのかなと。
これが、私なりの解釈です。
あとはね、とにかくゆずと対談している時の羽生さんが嬉しそうで嬉しそうで見ているこちら側もたまらなく嬉しかったので絵にしました。

