#148 ヤンヤンの謎
話はだいぶ遡る。
2024年12月30日の投稿「#55 年末年始の予定」で、その当時、下書きに書きかけの駄文が4本あり、それを2025年の年始中にすべて吐き出したい、というようなことを書いていた。
年末の大掃除ムードの中、noteの棚卸しの機運がグングンと高まっていたのだと思う。
当時の下書きは、こんな感じ。
・KANさんのこと(仮題)
・うまい棒換算(仮題)
・ヤンヤンつけボーの話(仮題)
・なんだこれは毎日お金が(仮題)
どれも書き始めたものの、着地点が分からなくなり、そのまま放置していたものばかりである。
結局、そのときの決意はなし崩し的に霧散し、年始中に一本も投稿することはなかった。
それから約11か月後、「KANさんのこと(仮題)」については、「#103 愛は続く」というタイトルで、形を変えて投稿することになった。
本来書きたかったLiveの話には触れられていない。ただ、KANさんについて書けていなかったことが自分の中でずっとわだかまりになっていたので、ひとまず形にすることができ、それだけでも一安心している。
そして今回は、「ヤンヤンつけボーの話(仮題)」を投稿したい。
現在、七つにまで増えてしまった下書きを、一つでも減らしたい。
そんなやぶれかぶれの投稿に付き合っていただけるとありがたい。
なるべく短くするので、どうか許してほしい。
***
『ヤンヤンつけボー』をご存じだろうか。
おそらく皆さんも一度くらい、スーパーのお菓子売り場で、パンダの描かれた筒状のパッケージを目にしたことがあるのではないだろうか。
知らない方のために説明すると、明治が1979年から発売している、スティック状のクラッカーを付属のチョコクリームに沈め、カラフルなトッピングをつけて食べるチョコレート菓子である。
その存在はずっと知っていたものの、私は幼い頃から一度も食べたことがなかった。
ところが先日、ふと思い立って、この歳になって初めて買ってみた。
そして紙の蓋を開けた瞬間、40数年前のことを思い出した。
ヤンヤンつけボーを見るたび、私はいつも妹のことを思い出す。
私より三つ年下の妹。
今では中学生と高校生の母親になっている。そんな妹が、まだ幼かった頃の話である。
***
40数年前。
妹が幼稚園に入るか入らないか、私が小学生になるかならないか、そのくらいの頃だった。
ある日、妹が突然、
「これからわたしのことをヤンヤンと呼んで!」
と言い出した。
当時の妹はまだ語彙力も乏しく、なぜそんなことを言い出したのか、十分な説明はなかった。
おそらく、おやつに食べたヤンヤンつけボーがよほど美味しかったか、パッケージに描かれたパンダが気に入ったか、その程度の理由だったのだろう——少なくとも私は、そう思っていた。
幼い頃の妹は非常に我が強く、いったん言い出したら聞かないところがあった。家族もその扱いにはしばしば難儀していた。
このときも突然の要求に困惑したものの、その日から妹は「ヤンヤン」と呼ばれなければ返事をしないという徹底ぶりだった。
仕方がないので、家族は彼女のことをヤンヤンと呼ぶようになった。
まあ、いくら頑固な子供でも、こんな約束は一週間もすれば忘れるだろう。
最初はそんな軽い気持ちだった。
ところが、一週間経ってもヤンヤン。
一か月経ってもヤンヤン。
気がつけば、三年近くヤンヤンと呼び続けていた。
あまりにも長くそう呼んでいたので、いつしかヤンヤンのほうが本当の名前なのではないかと思うくらい、家族の中に定着していた。
幼稚園の友達や近所の子供たちも、妹のことを本名ではなくヤンヤンと呼んでいたように思う。
ところが、妹が小学生になった途端だった。
いつの間にか、ヤンヤンではなく普通に下の名前で自分のことを呼び、周りからもそう呼ばれるようになった。
小学生になって、自分が本名に由来しない「ヤンヤン」と呼ばれていることが急に恥ずかしくなったのかもしれない。
あるいは、本人の中でヤンヤンに対する情熱やこだわりをすっかり失ってしまったのかもしれない。
とにかく、三年近く続いたヤンヤン時代は、何事もなかったかのように終わった。
***
そんなことを、ヤンヤンつけボーの蓋を開けた瞬間に思い出した。
もしかすると本人は、もう忘れているかもしれない。
子供の頃、なぜ自分のことを「ヤンヤン」と呼ばせたかったのか。
40年以上経った今なら、その理由を本人から聞くことができるかもしれない。
そう思った。
近頃では、親族の冠婚葬祭で顔を合わせるか、年賀状をやり取りするくらいで、普段はほとんど連絡を取らなくなった妹に、久しぶりにLINEを送ってみた。
「久しぶり! 急だけど、子供の頃ヤンヤンって呼んでくれって言ったの覚えてる?」
しばらくして返事が来た。
「ほんと急」
そりゃそうだ。
40年以上前の話を、前触れもなくいきなり聞かれたら、そうなる。
「何でヤンヤンだったの? ヤンヤンつけボーとか関係ある?」
長年の素朴な疑問を、忌憚なくぶつけてみた。
すると、
「何それ、関係ない。思いつきとかじゃなくて、前世の記憶っていうのかな」
と返ってきた。
「?」
話が、思っていた方向とはまったく違う。
ヤンヤンつけボーでも、パンダでも、幼児の思いつきでもなかった。
まさかの前世である。
「子供の頃、前世の記憶みたいなのがあって、中国かどこかの町で、私はヤンヤンって呼ばれている男性で」
にわかには信じがたいが、どうやら妹には、幼い頃からそんな記憶があったらしい。
「神の啓示みたいなこと?」
そう聞いてみると、
「多分、あの頃はまだ現世の名前の◯◯って呼ばれるより、前世のヤンヤンの方がしっくりくるというか」
という返事が来た。
……。
40数年間、私はずっと「ヤンヤンつけボーが好きだったんだろう」と思っていた。
ところが妹にとっては、「前世の自分の名前だから」という、まったく別のスピった理由だった。
40数年越しに謎が解けたと思ったら、謎がひとつ増えた。
というか、どう消化したらいいのか分からない。
とりあえず、この件については深く考えないことにする。
目の前のヤンヤンつけボーでも食べよう。
そして、思いもしなかった妹の「ヤンヤン」の理由を聞いた私、たーちゃんは、今度はこれまた食べたことがない「ねるねるねるね」に挑戦しようと頭の片隅で思った。
