フォロバ100と義理のスキをやめてみる
義理のスキって、誰が喜ぶんでしょう?
noteの毎日更新を続けていた頃に、思っていたことがあります。
毎日連続で書いていると、たまに明らかに初速から反応のいい記事を出せたことがあって。
スキをポツポツといただいているなぁと思っていると、気づいたら1時間で何十人という方からスキが届いているではありませんか。
まだまだ無名の一個人の記事。
ただのまぐれだったり、時間などのタイミングがよかったという理由が大きかったのかも?と分析していたのですが、そこでふと思いました。
これって本当にちゃんと読んでもらってのスキだろうか?
一生懸命考えて、うんうん悩みながらやっと書けた一本の記事。
まだ荒いところだらけだけど、それでもえいや!で投稿して。
せっかく書いたからには読んでもらいたいし、反応もほしい。
でも、その反応の中に義理のスキが混ざっていたら?
たまたま目に止まって、最初の数行だけでスキをしていただけたのだとしたら?
スキを返してもらえることを期待されてのスキだったら?
そもそも、流し見すらされていなかったら?
フォローも同じ
一見プロフィールの名前だけを見ると、AI副業について書いているアカウントと思われ、同様に発信している方からフォローをいただけたとします。
お互いに切磋琢磨できるような交流ができれば、素晴らしいことだと思います。
でも、ただのフォロー数を増やすためだけの行動だったとしたらどうでしょうか?
私は正直、かなりショックです。
私もフォロバ100をやっていました
とはいえ私も、noteを始めたての頃は右も左も分からず、スキ返しやフォロー返しの文化?があると知り、
「フォロバ100」を名前につけて、手当たり次第にフォローされたら返していた時期もあります。
でも、ちゃんと読みたかったんです。
皆さんが自分と同じように時間をかけて、書き上げているであろう一本の記事を。
しかしフォロバ100をやっていた頃は、急に増えたフォロー数に、
誰の何の記事を読んで、まだ誰の記事を読めていないのかが分からなくなったり。
仕事をしながら読んでいたりしたので、途中で見失ってしまったりすることがありました。
そこで、ふと思ったんです。
これって誰のためにやってるんだろう?
例えフォロワーさんが何百人、何千人になったとしても、私は嬉しくないし、むしろ私の手に負えない。
交流できない人も、きっと増えてくるし。
すでに今のフォロー数ですら追いきれていないのに。
振り返ってみると私がフォローしていた方の中には、1ヶ月以上更新の止まってしまっている方や、何万人とフォローもフォロワー数もいる方もいたり。
もちろん、それぞれのnoteの使い方があるので、それが悪いという話ではありません。
でも、
そりゃ交流も生まれないわな
って思いました笑
私が欲しかったのは数字じゃなかった
フォローしていただいたから、フォローを返す。
スキをいただいたから、スキを返す。
もちろん、それがきっかけで素敵な記事や書き手さんに出会えることもあります。
でも私の場合、いつの間にか、
「読みたいから読む」ではなく、「返さなきゃいけないから読む」
に変わり始めていました。
そうなると、せっかくの記事を読むことまで作業になるんですよね。
これはなんか違うなぁと。
私が欲しかったのは、フォロワーという数字そのものじゃなくて、
「この人の記事、また読みたいな」
「この人が書いたから読んでみようかな」
と思ってくれる方が最初は1人でもいい。
いつかそんな人が少しずつでも増えていくことでした。
なので、フォロバ100も義理のスキもやめてみました。
今は、
読みたいと思った人をフォローする。
気になった記事を読む。
読んで「好きだな」「面白かったな」と思ったらスキをする。
コメントしたいと思ったらコメントする。
そんな当たり前だろっていう結論に落ち着きました😳笑
たぶん最初から、それでよかったんですよね。
これからは自分の記事についたスキが、
「返してほしいから」
ではなく、
「この記事、読んでよかった」
と感じてもらえたのだと信じていこうと思います。
だから私も、誰かの記事に押すスキはそういうものにしたい。
きちんと読んで自分の中で解釈して、参考にできる部分は学ばせてもらう。
その上でコメントを残したり、フォローをしたり、次のアクションを起こしていきたいです。
この事でフォロワーさんが減っても焦らないし、むしろ前ほど数字は気にならないと思います。
私は、数字のために誰かの記事を読むより、
本当に読みたいものを読んで、本当にいいと感じたものに反応する方が、自分にも周りにも正直なんじゃないかなと思うのです。
数字を追いかけるだけの日々は結構虚しいものがあったので😌
これからはこんな感じでマイペースにnoteを育てていきたいです🙂↕️
