日陰蔓の次の作品の一部を紹介します。

僕が大学生のときの話だ。
僕は高校の同級生だったK君の車に乗せてもらい、湶の集落へ向かった。
湶の集落には遠縁の家があったが、そこには寄らずに集落を抜け、南東に向かって林と田畑の中を走っていくと数軒の民家があった。三月の末だったと思うが、道路以外にはまだ雪がたくさん残っていた。
民家の手前で右に曲がってすぐのところに、雪に埋まった林道の入口がある。まっすぐ進むと南の谷の摩崖集落へ抜けることができる。
道路は車一台分の幅しかないので一旦戻り、通行の邪魔にならないようにと、一番手前の民家の前の道路に車をおいて、テントの入ったリュックを背負い、スキーを担いで林道から山に入った。
林道は、ほぼ南南西への登り勾配で両側は深い杉林だ。ロングスパッツを撒いた長靴で硬くしまった雪の上を歩いていく。
二キロメートルほど歩くと、背丈が低い小杉の中を歩くようになる。
途中で林道を離れ、山道に入る。
といっても、雪に埋まっていて、どこが道なのかわからない。
やがて、冠山の東に出た。
冠山周辺には、過去にも来たことがある。
摩崖の集落側から細い山道を登って、親せきと一緒に山菜取りに来たり、小学校の遠足で冠山西側の小さな池まで行ったりした。この池は噴火の跡らしい。近くにある別の池には、人が乗っても沈まない浮草の島もあった。
冠山は、盾ノ山連峰手前の山並みの中でひときわ目立つ台形をしていて、平野部から見てもすぐにわかる。
子どもの頃、アーサーランサムの本を愛読していた僕には、冠山は「シロクマ号と謎の鳥」の話に出てくる四角い山を連想させた。自転車に乗った僕は、周りの田んぼを海に見立て帆船に乗っている気分で四角い山つまり冠山を仰ぎ見ていた。雪を抱いた高山も見えていたが、その頃の僕は、山の名前を全く知らなかった。
冠山が三度白く化粧すると里も雪になることは、ずっと後になって、地元の山々を紹介した本を読んで知った。
僕たちは、その冠山のすぐ東側の小さな丘の一つに登り、テントを張る場所を決めた。
雪を掘り、それを周囲に積み上げて壁にした。持ってきた登山用の折りたたみスコップは、小さすぎて役に立たない。K君はスキーの板で雪を払っているが、どう見ても手を使った方が絶対に効率が良い。
ペグは打てず、適当な木も無かったので、雪の塊を作ってステーのロープを巻き付ける。締め付け過ぎると雪にロープが食い込み、ステーが緩んでくる。
テントを張り終えると、背負ってきたものを収める。
とりあえずストーブで暖をとり、カップラーメンで昼食をとった。夕食も次の朝食もカップラーメンだ。
それからは、雪の斜面を登っては降りるのスキー三昧!
どこでも滑り放題だ。
雪は固く締まっているが、陽がさしていて、表面は適度に柔らかくて調子がいい。
踵が上がるスキーではないので、カニさん歩きで登る。
斜面は起伏があって、楽しめる。
雪がたっぷり積もっているから、杉に邪魔されることもない。
杉が育てば、こうはいかなくなる。
南風が吹いて雪融けが進めば、針葉が雪面に敷き詰められて、スキーはできなくなる。
夕方になると一気に冷え込んだ。
持ってきた寝袋にカバーをかけ、厳重に厚着をして潜り込む。
だが、寒くて眠れなかった。
グランドシートと薄いウレタンマットを通して冷気が伝わってくる。
朝起きると晴天で、雪面はカチンカチンだ。
スキーのエッジが利かない。
帰りは、歩いてきた林道をスキーで降りる。
幅は狭いが、傾斜も緩いので、ゆっくりであれば降りてこられる。
林道を出たところでスキーを脱ぎ、僕たちは車のところに戻った。
見ると、一番近い民家の入口近くで手を振っている人がいる。
勝手に車を止めていったのを咎めているのだと、僕たちは思った。
ところが、その人、お婆さんだったが、「休んでいかれ。」と言う。
古い木造の家の中にはお爺さんもいて、囲炉裏の周りに座って、僕たちは炭火で温めた小豆のお餅をごちそうになった。
そして、今くらいの時期に、ふたりの高校生が山に入って遭難した話を聞いた。
その話は、僕も知っていた。
「でも、あんた方は、ちゃんと山に入る格好だったからね。」
車を止めて出かけたときから、僕たちを見ていたようだ。
「寒かったろう。」
それに異論はない。
僕たちは、高校時代にもキャンプに来たことがあることや、残雪期に登山に来たことも話した。
「ここらも、だんだん人が減ってなぁ。」とお爺さんが言った。
その通りだった。
その後、冠山に入ることはなくなった。
僕たちはもっと高い山を登ったり、冬はリフトのあるスキー場に通うようになったからだ。
でも、お爺さんとお婆さんのことは、ずっと心に残っていた。
いつかまた、訪ねていきたいとも思っていた。
高齢になり、仕事を辞めた僕は、鉾岳の写真を撮るため、湶集落近くのダム湖の東側から林道に入った。
帰りには、ダム湖を挟んで冠山周辺を撮影した。
平野部側からとは逆の東側だ。
そして、湶の集落に寄ってみた。
ところが、その集落から、南東へ向かう道が見つからない。
車のナビにも、詳しいことが出てこない。
車にも人にも出会わない。
静まり返っている。
確かこっちだったはずと、車を走らせるのだが、ぐるっと回って、いつの間にか集落のはずれに戻ってしまう。
ようやく、集落を抜けて、摩崖に向かう道に入ったのだが、こんなに細かったかなと心細くなる。
でも、間違いない、この道だ。
あそこに、あのお爺さんとお婆さんの家があったはず・・・だった。
でも、無い。
数軒あっていたはずの家が、一軒も残っていない。
そのまま直進して探したが、どこにも家が建っていない。
反転して戻ると、両側に平らな敷地の跡が幾つもあるのに気が付いた。
一番下の敷地跡・・・、ここだったんだ。
歳月が経つのは、とても残酷だと、僕は思った。
もっと、ずっと前に、訪ねてくるべきだったと、僕は後悔した。
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